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「夜だけが知っている」の二人
夕方の化粧品売り場は、何年経っても慣れない。来客がピークになり、スタッフの注意も散漫になりやすい時間。決して、気は抜けない。
「藤宮さん、少しよろしいですか」
控えめな声で呼ばれて振り返ると、スタッフの表情がわずかに強ばっていた。視線の先には、常連の外商の上原様だ。
——あぁ、また。
「代わりますね」
穏やかな声でそう言って、一歩前に出る。
「上原様、いらっしゃいませ。本日は何をお探しですか?」
にこやかに対応するが、男の視線は商品ではなく、こちらに向いている。
「藤宮ちゃんが選んで。こういうの、似合いそうだよね」
距離が近い。にたにたと笑い、口元を見ながらそんなことを言う。気持ち悪い。そう思いながらも、表情は崩さない。双葉の勤務する化粧品ブランドは、男性用のスキンケアなども取り扱っているため、男性客の来店もある。しかし、この上原様という外商顧客は、スタッフに必要以上に触れたり、ハラスメントに抵触しそうな言葉を使ってきたりする。
「ありがとうございます。ただ、私は上原様ご自身がお求めのものを、ご提案させていただきたく存じます」
柔らかく、けれど一歩引かせる。何度か同じやり取りを繰り返したあと、ようやく会計へ進んだ。
「じゃあ、また藤宮ちゃんがいるときに来るよ」
そう言った上原様は、ポンポンと肩をたたき、そのまま肩から手首まですっと撫でられる。もう、本当に気持ち悪い!店舗スタッフにこんな思いはさせられない。接客を変わって良かった。と自分を納得させる。
少し身を引いて、さりげなく手を避けると、笑顔でお辞儀をする。
「ありがとうございます。また、お待ちしております」
姿が見えなくなった瞬間、息を吐いた。まだ、触られたところがぞわぞわしている。笑顔でスタッフに「ちょっとお水飲んできますね。」と言ってバックヤードに戻ると、手がわずかに震えているのに気づく。大丈夫、大丈夫。そう思いながらも、心臓の音がやけに大きい。
「……お疲れさまです」
視界の端に、綺麗に磨かれた革靴が見えた。顔を上げると、フロアマネージャーの水瀬が立っていた。
いつから見ていたのか、わからない。気のせいか、肩のあたりを見られているような気がする。
「大丈夫です」
「そうは見えませんでしたけれど。でも、藤宮さんの対応は完璧でした」
水瀬マネージャーの温かい言葉に気持ちが救われる。
「ありがとうございます」
笑顔でそう返したけれど、視線は合わせられなかった。
「ただ、次に上原様がご来店された際は、まず、私を呼んでください。」
気のせいか、語尾に怒りが滲んでいるような気がする。
「え…。あ、はい。承知しました。」
双葉がそう答えると、軽く頷いて、水瀬は去っていく。それだけだった。それなのに。なんで、あんなにわかってくれるんだろう。小さく息を吐いて、もう一度気持ちを整える。
売り場に戻るときには、双葉はいつもの顔に戻っていた。




