24.王都に向かうサイラスとアデル
サイラスとアデルは、予定より一週間長くベルトラン領に滞在した。子を成そうというアデルの提案に従った形だ。
明日は王都に向けて出立するという日の朝。
侍女のエリザがアデルの髪を梳いていると、アデルが言った。
「私ね、自分に対する考えを改めたわ」
アデルが返事を求めているようでもなかったので、エリザは黙って髪を整え続けた。
「努力するのは得意だけれど、我慢するのはそれほど得意じゃないみたい。そもそも我慢しなくてはいけないのかしらと考えてしまったのよね」
「さようでございますか」
エリザはアデルの思考の邪魔をしないように、ただ受け流した。
「交渉の余地はあると思うのよ」
「交渉には、入念な準備と根回しが必要です」
エリザは髪を少しずつ掬い、複雑に編みこんでいく。アデルの注文は、邪魔にならない髪型だ。
「ねえ、エリザは、私が何のことを言っているのか分かるの?」
「いいえ、一般論です」
エリザはまだ踏み込むつもりはない。
すると、アデルの爪の手入れをしていたコリーヌが、話に入ってきた。
「どなたと交渉するのですか」
「サイラス様かしら、それとも侯爵様?」
「おおごとじゃないですか」
「でも、すぐにというわけではないの。将来に向けて言質を取っておきたいというか、なんらかの期限がほしいというか」
エリザとコリーヌは顔を見合わせた。
「まさかと思いますが、・・・離婚を考えていらっしゃいます?」
コリーヌが恐る恐る聞いた。
「まさか。貴族としてそんな無責任なことはできないわ。ベルトラン家の一員となった以上、領民のために尽くすつもりよ。それは最初から変わらない。だけど、思った以上に私は器が小さかったのね。頭で納得していることに、気持ちは従いたくないと言うの」
侍女二人は不用意なことは言えないので口をつぐんだ。
「サイラス様と共に領地を盛り立てていく覚悟はあるのよ。跡継ぎもきちんと教育するつもり。だけど、二人目三人目を産むのは勘弁してほしいと言うのは、許されるものかしら」
「さあ、私どもからは何とも」
「ごめんなさい。こんな話をされても困るわよね。でも、諦めて。あなたたちは私の心の拠り所でもあるから」
「いいえ。アデル様のお考えを知っていた方が動きやすいと思いますので、これからも心につかえがあればおっしゃってください」
侍女の立場としては、そう言うしかないだろう。
「ありがとう」
アデルは心からの礼を言った。
その夜、アデルの侍女エリザとコリーヌは、誰にも聞かれないように寝室で話をした。
「アデル様のあの言葉、どう思います?」
コリーヌが問いかけた。
「たぶんアデル様は、自分で思う以上にサイラス様を好いていらっしゃるのではないかしら」
アデルといる時間が一番長いエリザの目にはそう映る。
「なら、無事に夫婦になれたのだから良いんじゃないですか?」
コリーヌにはアデルが悩む理由が分からない。
「サイラス様の心はイブリン様一人のものだから、寝所を共にしたところで義務でしかないと思えば、辛いとか虚しいとか感じても不思議じゃないと思うの。王都に戻ればサイラス様はイブリン様のところに向かうでしょうし」
「アデル様って、そんなにデリケートで乙女な性格でしたっけ? そもそもイブリン様を正式に愛人として遇するよう言ったのはアデル様でしょう」
「だから、そこが自分に対する見込み違いだったってことじゃない? 自分がサイラス様を好きになるなんて思っていなかったのよ」
「そうでしょうか。それよりもボアルネ夫人から刺激を受けて、アデル様も自分で何かやってみたいと思ったのかもしれませんよ。だから、何人も子供産んでる場合じゃない、とか」
「うーん、確かにそれもありそう」
侍女たちはアデルの心を計りかねているのだった。
◇ ◇
翌日、サイラスとアデルは領地を後にした。
帰りは来た時と異なるルートを通ることになっていた。せっかく遠出するのだから、色々な領地を見ておくのも良いだろうという理由からだった。おかげで往路より遠回りになり、二日ほど余分に馬車に揺られることになった。
アデルは、サイラスと領主館で何度か寝所を共にしたが、特に距離が縮まった感じはしなかった。
最初の時こそ心臓が持たないのではないかと思うほど緊張したが、考えてみれば本来は結婚式の夜に済ませていることなのだ。なまじお互いにある程度理解し合い、領地を盛り立てる同士のような関係になっていたので、今さら過ぎて気恥ずかしいというのが正直なところだった。
目的は貴族の義務の一つ、跡継ぎをもうけることだ。それ以上ではないとアデルは知っている。王都に戻ればサイラスはイブリンの元に行くのだ。アデルは余計な感情は持つまいと決めた。
侯爵は、イブリンが自立してサイラスから離れていくかもしれないことを示唆したが、たとえイブリンがサイラスから離れても、サイラスの心も一緒に離れるとは限らない。
そうであってもアデルは、サイラスとは領主夫妻として同じ方向を見つめていればそれで良いと思っている。
アデル自身、子供の頃に両親が揃っているところをあまり見たことがなかった。それでも彼らは研究者ということで通じ合うものがあるのか、顔を合わせれば会話がはずんでいた.。アデルも難しい内容は分からないなりに、その場にいるのが好きだった。
だから、サイラスと恋人の延長のような夫婦になれなくても別に構わないと思っている。
それより! 考えるべきは領地を富ませる方法だ。
アデルは帰路でもどこかに立ち寄る度に、ベルトラン領で活かせることがないか熱心に見て回った。
「アデル、もっとゆっくり楽しもうよ」
「あ、申し訳ありません。はしたなかったですね。気をつけます」
「いや、これから何度だって来られるだろう? いちどきに頭に詰め込まなくても良いのではないか」
それは確かにそうだ。けれど、この先妊婦になったら自由に動き回れない。一人目が女の子なら、次こそ男児をと望まれる。そう考えると、アデルは何かに急かされるような思いに駆られ、周りを注意深く観察するのを止められなかった。
馬車の中でも、会話はもっぱら領地のことだった。甘やかな雰囲気は微塵もない。
「では、サイラス様のお考えとしては、ベルトランで真っ先に取り組むべきは製鉄の方法の見直しということですね」
「そうだな。うちは広大な森と水量の豊富な川があったから昔から製鉄所があちこちにあった。燃料に木炭を使用していたからね」
「今は石炭から作ったコークスが使われるのですよね」
「ああ。これから国中に鉄道が敷設されるとなると、鉄材の需要はますます高まる。今の規模では供給が間に合わない。最新の高炉技術を導入して生産性を上げたいんだ」
「鉄道だけでなく、例えばレースの織機なども巨大な機械でしたよね。あらゆる分野で機械化が進めば、いくらでも需要はあるのでしょう」
「だろう? 今の点在する昔ながらの製鉄所は、まとめて大きな工場にしたいんだ」
「領民からは反発も出るでしょうね」
「そうかな。生産性も上がれば儲けも大きくなるだろう? 今より収入が増えれば歓迎されると思うが」
「住まいから遠くなる人もいるでしょうし、そもそも新しいことに抵抗ある人だっていると思います。これまで身につけてきた技術やコツが不要になって新しいことを覚えないといけないとなると、年齢が上の人ほど反対しそうです」
「なるほどな。そこは父と二人掛かりで説得に回るよ。なに、男は根本的にでかくてダイナミックな物が好きなんだ。そういうものに携われると知れば、きっと乗ってくると思いたいが」
アデルは、その後もサイラスが具体的な製鉄の話を生き生きと語るのを聞いて、なるほどその熱意で訴えかければ、ついてくる領民も多いだろうと思った。何より今現在ベルトラン家が領民に慕われているのだから、新しい時代に対応してゆく大変さも一緒に乗り越えていかれるだろうと期待するアデルだった。
熱弁するサイラスをアデルが頼もしく見ていると、それに気づいたサイラスが、
「アデルは女性だから、巨大な鉄の塊を見てもあまりワクワクしないよね」
と、少し照れたように言った。
「私は大袈裟な機械にはときめきませんが、ある分野の鉄製品には興味があります」
「へえ、何だろう」
サイラスが意外そうに聞いた。
「高級鋳物です。それ自体が美術品として価値があるだけでなく、日常生活の中に溶け込んでいるような製品です」
「例えば?」
「ボアルネ夫人の温泉リゾートの公園を歩きましたよね。そこに置かれていたベンチを覚えていますか」
「ベンチ? うーん、座った覚えはあるけれど、どんなだったかな」
「背もたれの部分が植物を模した美しい曲線を描いていて、とても素敵だと思いました。ガゼボのテーブルもそうでしたし、神話をモチーフにした彫像などもありましたけれど、記憶にありませんか」
「うん。俺の視界には入らなかったな。やはり一緒に歩いていても見ているところは違うんだな。その鋳物を作ったとして、どんなふうに売り込むの」
「あそこの温泉施設やカジノを見て思ったのですが、これから富裕層向けの観光地では、人を呼ぶために、より高級で最新の技術を取り入れた設えを目指すでしょう。屋外でしたら庭園の調度品に、建物内でしたら階段やバルコニーの手すりですとか、暖炉の背板などに繊細で装飾的な鋳物を使えば、高級感を際立たせる一助になると思います」
「俺は見過ごしてしまいそうだが、そういうものか」
「そうした製品は、いずれ貴族の別荘や邸宅にも取り入れられていくと思うのです」
「なるほど。実物を見ないとピンとこないが、優美な高級品となれば門扉など目立つところでも使いたいかもな」
いまひとつ反応の薄いサイラスだったが、アデルはそれもお互い様だろうと納得した。
ともあれ、製鉄業に関しては、これまで以上にベルトラン領の大きな事業となるだろうというのが二人の一致した考えだった。
サイラスとアデルを乗せた馬車は、もうすぐ王都というところまで来ていた。
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