23.アデルの提案
※ ひとつ前のエピソードを大きく改稿しています。そちらからお読みいただけると幸いです。
アデルとサイラスは、数日かけて領地内を回った。
街でも農村でもサイラスは人気があった。なにしろ麗しの次期領主様だ。馬車から降りて、きらきらしい笑みを浮かべれば、たちまち人だかりができた。
とりわけ最後に訪れた領都の教会前広場では、元々の人出も相まって熱烈な歓迎を受けた。
「ようこそいらっしゃいました」
「ご結婚おめでとうございます」
「ゆっくりしてってください」
「うちの村にも寄ってくださいよ」
次々に温かい言葉がかけられた。
サイラスとアデルが顔を見合わせて微笑み合うと、おめでとうございます、の声がまたいくつも飛んできた。
領民との距離が近い。
近いからこそ、聞こえてくる声もあった。
― あの女が?
― メガネって
― なんか、ねえ
― 地味じゃない?
アデルに聞こえたということは、当然サイラスの耳にも届いているわけで、
「俺が選んだアデルだ。異論は認めないよ」
そう言ってサイラスはアデルの手を取って近くに引き寄せ、声がした辺りに視線を向けた。
決して強い口調ではなかったが、数人の少女が顔を赤くして俯いた。まだ十代の前半だろう。陰湿な響きはなかったものの、そういう軽はずみな声を放置しておくと、それが許されると勘違いする者が出かねない。悪意の芽は小さくとも摘んでおくに限る。
一瞬気まずい沈黙が生まれかけたが、
「じゃあ、早いとこ跡継ぎを頼みますよ」
「次は赤ん坊連れて来ておくれよ」
「楽しみに待ってますからね」
という激励の言葉が続いた。今度はサイラスたちが赤くなったので、その場が和やかな雰囲気に戻った。
二人は広場を一周し、目に留まったいくつかの店に立ち寄り、店主から話を聞いた。
アデルは王都にいる時も、さほど買い物に出かけることがなかったので、店の商品が珍しいものばかりに見えた。ここの特産品なのか、王都にもあるものなのか区別がつかない。これでは地元の商品をよそで売り込むことができない。
アデルは反省して、これからは王都でも各種店舗に足を伸ばし、流行や品揃えを知っておかなくてはと思った。
だが今は、目の前のものに集中しよう。アデルが興味のおもむくままにあれこれ訊ねると、店主も張り切って色々と紹介してくれた。
アデルとサイラスは、店主自慢の商品を買い求めた。経済を回すのも領主の仕事の一つだからだ。
こうしてゆっくりと買い物をしながら街を回った後、二人は領主館に戻った。
館に帰ってから、サイラスとアデルはここ数日の視察の感想を語り合った。
今回二人が訪れたのは、ベルトラン領の主な産業である製鉄の町と、牛を放牧している農村とチーズの加工場、今が収穫の最盛期であるジャガイモ畑が広がる村などだ。
そして最後に訪れたのが、先ほどの領地の中心にある街だった。
「どこも活気がありましたね。皆さんが楽しそうにしているのが何よりでした」
「アデルのいたユベール領と比べて、どんな印象だった」
「私は比較できるほど、ユベールの領地のこと知らないのです。両親ともに研究者でしたから、ほぼ王都暮らしで、年に数日領地に滞在するくらいでした。その数日間も、母の研究対象である羊を見に、牧羊農家の人としか交流しませんでしたから」
「領地は子爵の従弟に任せているんだっけ?」
「そうです。ついでに爵位も譲ってしまいたいのに受けてくれないと、いつもぼやいていました」
そんな話を皮切りに、視察で気付いたことを話し合い、今後の展望として侯爵に提案したいことなどを共有した。
「父には俺から話しておくよ。それにしても、同じものを見聞きしてきたのに、目の付けどころがまるで違うね。二人で出かけて正解だったよ」
「そうですね。私ももっと大局的に物事をみないといけないと再認識しました」
「では、お互いに有意義だったということだね」
そんなふうに話がまとまった。
「ところで、サイラス様」
不意にアデルが、改まった様子で呼びかけた。
「何だろう」
サイラスは身構えた。アデルがやけに真剣な顔をしていたからだ。
この顔には覚えがある。結婚後して一週間後、愛人のイブリンと話をしたいから呼んでくれと言い出した時と同じだ。
思わず後ろに控えている侍女のエリザを見た。エリザも首を傾げている。
あれ? 頼りにしているエリザに相談していないということは、それほど大したことでもないのかな、とサイラスは思った。
思った矢先に、アデルが言った。
「サイラス様、子を成しませんか」
「ん?」
こをなしませんか? 聞き間違いではないよな、とサイラスは自分を疑った。
「あの、領地の皆様も待っていてくださるようなので、そろそろ跡継ぎをもうけませんか」
アデルはサイラスに伝わらなかったのかと思って、言い直した。
「いや、聞こえているよ。あまりに急だったから、受け身が取れなかった」
「急でしょうか。結婚してからずいぶん猶予をいただいたと思うのですが」
アデルは不思議そうに聞いた。
「いや、ごめん。女性のアデルから言わせてしまったね。俺が、結婚式の夜をすっぽかしてしまった上に、今さら切り出すタイミングを見失っていて・・・」
後ろめたいサイラスは歯切れが悪い。
「いえ、それは別に構いません。私の方こそ楽しさにかまけて、頭の片隅に追いやっていましたから」
「それなら、なぜ今?」
「今回視察に出向いてみて、あちこちで領民の皆様に望まれましたし、貴族としては自分のやりたいことを優先している場合ではないのかなと。それに・・・」
「それに?」
アデルは少し言い淀んだが、隠し事をするのは良くないと思い、
「『寝所を共にしない方が本当にサイラス様の奥様で良いのか』という声があります」
と答えた。
「誰だ、それを言ったのは」
「誰でも構いません。普段なら絶対に私が行かないような場所でしていた世間話なのですから」
「だからと言って口にして良いことではないだろう」
「いいえ。私自身もそう思いましたので。ですから、ここは貴族の有るべき姿として、まず跡継ぎを産んでベルトラン家の安泰を計りましょう」
なぜそんなにあっけらかんと言えるのだとサイラスは思ったが、よく見るとアデルは両の手を握り締め、震えるのを押さえている。冷静さを装っているだけだった。
「旅の途中や知り合いの貴族家では気が引けますし、王都に戻れば、決心が鈍りそうです」
「それは・・・」
王都にはイブリンがいるからだとサイラスは思い至った。
「分かった。ごめん。寝室を用意させよう」
「謝罪は要りません。サイラス様が私を妻として望んでくだされば十分です」
そう言ってアデルは、エリザを連れてサロンを出て行った。
椅子に座ったままのサイラスは呆然としていた。
「バティスト、俺は失敗したと思うか?」
後ろに立っている侍従に訊ねた。
「失敗というか、先を越されましたね」
「先を越されただけだろうか」
「真摯に謝るチャンスを逃しました」
「ごめん、では軽すぎたか」
「何に対するごめんだったのですか」
「言いにくいことを女性から言わせてしまったこと、かな」
「それだけですか。初夜に置き去りにしたこと、そもそも愛人がいることも、いまだに謝っていないですよね」
「アデルは元々知っていただろう?」
「知っていたとしてもです。この先二人で侯爵家を盛り立てていくのに、わだかまりはない方が良いと思いますけどね」
バティストの言うことは、いちいちもっともだ。
「そうだな。それに、アデルが使用人にそんな目で見られているとしたら、それは俺のせいだ」
「とは言え奥様の場合、常人と違う感性をお持ちのようですから、私の意見などまるで見当違いなのかもしれません。ですから、お二人でよく話し合ってください」
「王都から送られてきたメイドたちについては、それとなく様子を窺ってみてくれ。処罰するにしても逆恨みされたらたまらないから、俺たちがここを発ってからにしてくれ」
「承知いたしました」
サロンに残った主従がこのような会話をしている間、アデルは速足で自室に戻るやいなやベッドに伏した。
「・・・」
「アデル様」
エリザが声をかけた。
「いい、何も言わないで、分かってる、唐突過ぎたわ。驚いていたもの」
「私も驚きました」
エリザがそう言うと、アデルはガバリと身体を起こし、
「でしょう? 実を言うと私も驚いたの。何人もの人から跡継ぎをって言われるたびに、逃げている場合じゃないなって思って。領地の将来について話をしている今がそのタイミングなんじゃないかと咄嗟に思いついたのよ」
と、早口でまくし立てた。
「最初から言おうと考えていらしたのではないのですね」
「ええまったく。思いついた勢いで言ったわ。言った途端恥ずかしくなって大変だった」
「私からは落ち着いているように見えましたよ」
「そう? 本当に? 私、大丈夫だったかしら」
「大丈夫もなにも、遅きに失したくらいです。恥じることも恐れることもありません」
アデルはエリザに力強く肯定され、ようやくベッドから降りた。
「取り乱してごめんなさい」
「いいえ、お気になさらず」
アデルの混乱などものともせず、エリザはニコニコと嬉しさを隠し切れない顔で、遅れてやって来たコリーヌと共に準備を始めた。
その姿を見てアデルは、侍女たちにももどかしい思いをさせていたのだと悟った。
その夜、サイラスとアデルは、ようやく本当の意味で夫婦となったのだった。
読んでいただき、ありがとうございました。




