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サイラスとアデル  作者: バラモンジン


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22/25

22.領地入りしたサイラスとアデル

 

 ※ 3月22日改稿しました。主に後半をだいぶ変えました。

 

 温泉町のホテルに二泊して旅立つ朝。


 アデルとサイラスは朝食前に連れ立って、昨日の遊歩道とはまた違う並木道を歩いた。


 途中にある飲泉所で温泉水を勧められ、しぶしぶコップを受け取って、ゆっくり時間をかけて飲んだ。


 飲み終えた後、二人は顔を見合わせて、お互い同じことを思っていることを確信した。

 

「温泉は浸かるだけで十分だね」


 そう言って笑った。まだ若い二人には切実な体の不調がないため、無理をして不味い温泉水を飲む理由はないと思うのだ。



 王都の屋敷を出てから、アデルとサイラスは寝るとき以外はずっと一緒にいるので、お互いが隣にいることがごく自然なことになってきた。


 アデルも最初の頃こそ、サイラスと二人きりで馬車の中にいることが気づまりだったが、初めて訪れる場所は見るもの聞くもの全てが目新しく、大人しく縮こまっている場合ではなかった。


 そしてそれらに興味と好奇心を全開にしていても、隣にいるサイラスは苦言を呈することなく見守っていてくれる。その心地良さに、アデルはサイラスにかなり心を許し始めていた。


 サイラスとしても、アデルが伸び伸びと振る舞ってくれることは、自分の心の安寧のためにも、またこれから向かう侯爵領の人たちの手前も、歓迎すべきことだった。



 馬車の中でとりとめのない会話が浮かんでは、窓から流れる景色とともに消えていった。



「そういえば、エレオノール伯母様には、亡くなったボアルネ伯爵との間にお嬢様がいらしたのですよね。その方は今どうしていらっしゃいますか」


「母の姉の子供だから俺の従姉になるわけだが、彼女は今、王都にいるよ」


「結婚されたのですか」


「いや、・・・結婚するとかしないとか、したとか別れたとか、色々聞かされた気がするが、実際どうだったかな。少なくともお嬢様という年齢ではないよ」


「王都では何を?」


「彼女は雑誌に寄稿したり、広告の作成に加わったり、文を書くことを仕事にしている」


「まあ、素敵ですね。本名で書かれていますか」


 アデルの好奇心がむくりと起き上がる気配がした。


「いや、出版や印刷業界は男社会だからね、男性のペンネームをいくつか使い分けているらしい。昨日泊まった温泉地の広告も、彼女が文を書いているよ」


「では、自活しているのですね」


 アデルは自分の足で立っているサイラスの従姉に、強い関心を抱いた。


「そうだな。たとえ上手くいかなくても、伯母の資産や、実家のサヴィニ家の後ろ盾もあるから、路頭に迷う心配はないというのは心強いだろうな」


 アデルは黙り込んだ。


「アデル?」


 訝しんだサイラスが声をかけた。また何か斜めに考えを飛ばしているのだろうか。


「アデルも文を書く仕事がしたいの?」


「いいえ。私は世間知らずなので、それはハードルが高いかもしれません。それより、もし私がベルトランを離れて自活する必要に迫られた時、果たして生きていくための手立てとして、具体的にどんな方法があるかと考えていました」


「なるほど。まあ、そんな心配は無用だけれど、想像するのは止めないよ」


「はい、恐れ入ります。より現実的な方法を模索してみます」


 そう言うとアデルは、静かに自分一人の思考に沈んでいった。


 この頃になるとサイラスにも、これはアデルの自信のなさ故の自衛ではなく、考えること自体が好きなのだろうと思うようになった。


 アデルは、最初から愛人のいる侯爵家のサイラスに嫁いできたわけだが、決して自分を卑下しているわけでない。こうなったらこんな道がある、という人生の分岐のシミュレーションをして楽しんでいるだけなのだ。卑屈さの欠片もない。そんなアデルにサイラスも救われていた。そう思っていた。


 だが実際のところ、アデルは大真面目だった。


 子を産む前にサイラスが不慮の事故などで他界したら、アデルがベルトラン家に残る道はない。ありえないことではない。現にボアルネ夫人は、夫に先立たれ家を出た。だから自分も、せめて心づもりだけでもしておこうと考えた。


 刺繍の腕で店を成功させているイブリン、温泉リゾートの発展に力を注いでいるボアルネ夫人、男社会で文筆業をしているというサイラスの従姉。さらに身近なところでは、民間の研究機関に勤めている母親がいる。


 アデルの周りには、貴族の生まれでありながら働いている見本となるべき人たちがいることで、いざという時、自分もそうした道に足を踏み出すことに何のためらいもなかった。



 ガラガラと、馬車は田舎道を走る。


 昨夜もビリヤードで夜更かしをしたアデルは、慣れない旅の疲れも相まって、こくりこくりと頭が揺れ出した。


 サイラスはアデルの小さな頭が窓枠にぶつかりそうになるのが気になったので、そっと肩を抱き寄せて自分にもたれかけさせた。柔らかい寝息がサイラスの眠気も誘った。


 二人は馬を休ませるための休憩時間まで、しばし寄り添って眠りに就いた。



 ガタリ。


 馬車は大きく揺れて止まった。


 サイラスにもたれかかって眠っていたアデルは、目を開けた時の状況がすぐに理解できなかった。


「あ、すみません。いつの間にか眠っていました。重たかったでしょう?」


「いや、俺も眠っていたから大丈夫」


 間近でアデルの顔を見たサイラスは、その琥珀色の透き通った瞳に目を奪われた。レンズ越しではないアデルの目が、真っ直ぐサイラスを見上げていた。


「綺麗だ」


と、サイラスが思わず呟いた言葉は、


「失礼します」


という侍従のバティストが馬車の外からかけた声と重なって、アデルにはよく聞き取れなかった。


「何とおっしゃいました?」


 アデルが聞くも、もう一度繰り返すようなことでもないので、


「外に出て身体をほぐそう。首が凝ったんじゃないか」


と誤魔化した。



 馬車から降りると、すぐに折り畳み式のテーブルと椅子が並べられ、真っ白なリネンの上に軽食とお茶が用意された。


 街道から少し逸れたそこは、小川が流れ、樫の木が心地良い木陰を作っていた。馬たちは水を飲み、ゆっくりと草を食んでいた。気持ちの良い風が渡る。


「ピクニックみたいですね」


 アデルの何気ない一言で、サイラスはイブリンと行ったピクニックを思い出した。


 イブリンは初めて王都の外にサイラスと馬車で出かけたことを喜び、サイラスはその無邪気なはしゃぎっぷりが可愛いと思った。今でもその気持ちは変わらない。


 けれど、次第に自分の中でアデルの存在が大きくなっていくのにも気づいていた。



  ◇    ◇



 それから宿場で馬を替えたり、知り合いの貴族の家に泊まったりしながら、侯爵家の馬車は、ようやくベルトラン家の領地に入った。



 領地入りは先触れの従者が到着時刻を伝えているので、行く先々で教会の鐘が鳴り、村人が街道沿いに並んで馬車に向かって頭を下げた。


 アデルはサイラスに倣って馬車の窓から手を振った。手を振り返してくれる人や、走ってついてくる子供たちがいる。ベルトラン家が領民に慕われているのが分かった。侯爵は良い領主なのだろう。


 アデルも将来領主を継ぐサイラスをしっかり支えたいと思った。

 



 到着したベルトラン家の領主館は、想像以上に立派だった。


 建物もさることながら、玄関で迎える使用人たちの整然と居並ぶ姿にアデルは圧倒された。だが、いずれこの大勢の人員をアデルが取りまとめていかなくてはならない。怖気づいている場合ではないのだ。


 アデルはサイラスに手を取られ、大勢の視線の中、まずは形からと、侯爵夫人からのアドバイスを心の支えに、精一杯の気品を保って歩いた。


  

 アデルとサイラスは、すでに準備されていた風呂で旅の汚れを落とした後、サロンでゆっくりお茶を飲むことにした。


「疲れただろう?」


「ええ。ですが、気持ちの良いお風呂で、埃と一緒に疲れもきれいさっぱり流れ落ちたようです」


 アデルには侍女のエリザが、晩餐まではまだ間があるからと、コルセットを緩めて着られる楽なドレスを用意してくれたので、心身ともにくつろぐことができた。アデルの侍女は実に気が利くのだ。



 その後、使用人たちへの紹介も、屋敷の中の案内も、正装してからの晩餐も、何もかも滞りなく流れていった。



 翌日も同じだった。


 アデルは侯爵家の若奥様として丁寧にかしずかれ、全てが快適に整えられていく。


 使用人たちは皆、洗練された動きでそれぞれの仕事をしていて、決して無駄なおしゃべりをしたり、手を休めたりすることがない。アデルの姿を見かけて急に取り繕っているのではなく、それがいつもの仕事ぶりのようだ。


 廊下をアデルが通れば脇に寄って頭を下げるし、不躾に顔を見てくる者もいない。


 あまりに行き届いている。


「どうしてかしら」


 疑問がつい、口に出た。


「いかがなさいましたか」


 後ろに控えていた侍女のエリザが訊ねた。


「こちらの使用人と、王都のタウンハウスの使用人の印象がずいぶん違うと感じたの。王都の方は現地採用なのかしら」


「はい、タウンハウスの方は元々王都住まいの者が多いですね。ですが、使用人の質を一定に保つために、あちらで採用しても最低一年間はこちらで礼儀と仕事を仕込まれて、合格となれば王都に戻ることができます。ですから、どちらもベルトラン侯爵家に仕えるものとして同じだけのものを持ち合わせているはずです」


「そうなの?」


「それに、少なくとも社交シーズンの数ヶ月は侯爵夫妻が王都に滞在しているわけですから、お仕えするだけの技量も心構えも必要ですし、手を抜いたりも許されません。万が一、不心得者がいれば、こちらに送り込まれて再教育となります」


「そうなのね。分かったわ」


 アデルはここに来てやっと得心がいった。



 アデルが侯爵家に嫁入りしたばかりの頃、やけにメイドの動きが鈍かった。廊下で時々ぶつかりそうになるのは人が多いせいかと思ったが、簡単なことを頼んだだけなのに時間がかかることもあって、要領が悪いのか人手が足りないのか、ちぐはぐな印象を受けた。


 だからアデルなりに仕事の効率化を提案したり、申し訳ないと謝られれば受け入れて、いずれ人員配置の見直しを侍女長に提案した方が良いのかしらと考えたりもした。


 ところが、一週間ぶりにサイラスが帰宅して、その後侯爵夫妻が領地から戻って来た頃には、一時のようなもたついた仕事ぶりは見られなくなり、そんなことがあったことさえアデルの記憶から消えていた。


 ついでに使用人の顔ぶれが少し変わったように思ったのは気のせいではなく、再教育のためにこちらに送られてきたのだろう。タウンハウスで見た顔を、こちらでも見かけたから。



 あの当時、アデルは侮られていたのだと思う。


 使用人からすれば、イブリンという愛人がいるサイラスの元に、取り立てて特筆すべきこともない堅実なだけの子爵家の娘が来た。見てくれも冴えないし、自分たちが敬愛するサイラス様の隣に並ぶのに相応しくないと思えばこそ、嫌がらせの一つ二つもしてみたくなったのかもしれない。


 なるほど、なるほど。


 けれど、今さら過ぎる話だ。自分も鈍すぎたし、優秀な侍女たちのおかげで何事もなくここまで来たのだから、振り返っても仕方がない。今あることに感謝しよう。


「エリザ、コリーヌ、それに王都にいるアメリもだけれど、あなたたちが私の侍女で本当に良かったわ。ありがとう」


「いきなりどうなさったのですか」


 二人の侍女は、アデルの唐突なお礼に戸惑った。


「私がベルトラン家に馴染めたのも、こうして領地の屋敷で真っ当な扱いを受けているのも、あなたたちの活躍のおかげだと思ったのよ」


「恐れ入ります。けれど、私たちばかりの力ではありません。侯爵様も侯爵夫人もアデル様を認めておいででしたし、何よりサイラス様がアデル様を大切にエスコートされていましたから、それを見れば、疎かな扱いをしようなどと思う者はいないと思います」


「それに、サイラス様も以前とは見違えるように落ち着いた雰囲気になりましたから、それがアデル様のおかげだと思っているのではないでしょうか」


「そうなのかしら。なんだか遠巻きにされているようで落ち着かないのだけど」


「アデル様はお高く留まっていてもすぐにばれますから、いつも通りでいらしてください。その方がこちらでも早く馴染めると思いますよ」


 できる侍女のエリザにそう言われると、そんな気がしてくる。


「そうね。そういえばサイラス様にも言われたのだわ。領地でも猫を被る必要はないって」



 アデルは、それなら明日からの領地見学では心行くまで人の話を聞いて、領民たちの仕事や生活や考えていることを知ろうと決意したのだった。



読んでいただきありがとうございました。


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