25.王都のイブリン
その頃、王都のレース専門店『銀の針』では、小さな変化がいくつかあった。
まずはレース商品が多彩になり、顧客層が広がった。
「この肘上まであるグローブ、素敵ね」
「本当ね。どれも前より刺繍が多くて凝っているように見えるわ」
「その割にお値段はそれほど高くなっていないのね」
そう言いながら若い女性客がこちらを振り向いたので、イブリンが説明をした。
「はい。以前は模様のないチュール生地に刺繍を施しておりましたが、こちらは元の生地に模様が編みこまれておりまして、そこに刺繍を足しているのです。華やかに見えますでしょう?」
「そうね、素敵だわ」
「刺繍の薔薇はどれも違うので、お好みのものを見つけてくださいね」
そうと言うと女性たちは一つ一つ見比べて、気に入った品を買っていった。
時代の流れで機械レースの安価な商品が広く出回り始めたが、それでは満たされない層がイブリンの店にやって来るようになった。皆、自分だけの一点ものが欲しいのだ。以前より高額の商品の売れ行きが良い。
また、襟や袖に自分でレースを取り付ける用の幅の違うレースも各種揃えた。工夫を凝らして違いを出せば、生地は機械レースでも次々と売れた。
こうして『銀の針』は着実に売り上げを伸ばしていった。
もう一つの変化として、レース工房のジュリアン・マルセルが定期的に店に来るようになった。レースのデザインについてイブリンと相談するためだ。
「この間言われたところを直してきたけど、これでどうだ?」
マルセルが新しいレースのデザイン画を広げた。
「あら、いいかも。どころじゃないわ、すっごく素敵じゃないの。蔓が間延びしてないから、大きな薔薇を刺繍しても良いし、小さい薔薇を集めても可愛くできそう。バリエーションが楽しめるのはありがたいわ」
「地に散らした葉や花びらの案配はどうかな」
「絶妙なバランスね。刺繍の部分は厚みが出るから地模様に負けないと思うし、これでいきましょう」
「よし、じゃあ、後はサイズと糸の話だな」
そこからは、アデルの侍女のアメリとベルトラン家から来た担当者も交えて、細かい話を詰めた。
レース工房のジュリアン・マルセルは、以前は模様のないチュール生地を編む機械の職人だった。
それがイブリンの商品を見て惚れこみ、アデル経由でベルトラン家の後押しを受けて猛勉強し、レース模様のパターン設計をするドラフトマンになることができた。ただの機械工だったことを思えば大出世だ。
マルセルにとって『銀の針』は特別な場所だった。
あの日、勇気をもってこの店のドアを開けたことで、レース糸のような細い縁を手繰り寄せ、機械化する産業の流れに置いていかれることなく食らいついている。
だから、ドラフトマンとして一流になることも大事だが、『銀の針』のために特別な計らいをするのも当然のことだと思っている。
特別な計らいというのは、世間一般向けの大量生産のレースとは別に、そこに刺繍を足して完成させる『銀の針』専用のオリジナルのレースを提供することだ。一面ベタな模様にするのではなく、細かい注文に応えていく。
その作業は面倒でもあるが、同時にマルセルのパターン作成能力を鍛えることにも繋がっていた。
そんなわけで打ち合わせの回数も多く、イブリンとマルセルはすっかり意気投合した仕事上のパートナーとしてお互いを認め合っていた。
だからといって、それが男女の仲に発展する気配は微塵もなかった。イブリンは新商品を考えるのに一生懸命だったし、マルセルもレースのこと以外に気持ちを割いている余裕がなかったからだ。それ以前にイブリンはサイラス一筋だったし、マルセルにとってイブリンは恩人であり貴族社会の女性だ。おかしな感情が芽生えるはずもなかった。
ところが世間と言うものは、ゴシップだとかスキャンダルというものが大好きだ。火のないところに煙は立たずというが、わざと小さな火を灯しては、成り行きを面白がって見物しているような者もいる。
「ねえ、聞いた? 『銀の針』のイブリン様」
「なあに? 例の愛人の方でしょう?」
「最近、店に若い男が足しげく通っているのですって」
「その方、次期侯爵様に勝てると思っているのかしら」
「それがね・・・」
お金もなさそうな平民ですって。
訪れる回数が普通ではないらしいの。
それなのに一度もレースを買わないとか。
来たら奥の間に籠りきりらしいわよ。
出入りも裏口からこっそりと。
そういえばサイラス様は、奥様とご領地だそうね。
嘘ではない。だが、買い物ではなく仕事の打ち合わせで来ているのだ。細々とした仕事の話を店頭でするわけにはいかない。話し合いの席には他にも何人もいる。そういう情報は敢えて省かれている。言葉少なに語って余白を想像で補ってもらうのだ。
真偽のほどはともかく、スキャンダラスであればあるほど噂が広まるのは早い。この件も瞬く間に広がりかけた。
ところが、その品のない噂は途中でバッサリ切り捨てられた。
ある茶会で一人の令嬢が、ここだけの話にしておいてほしいのだけどと前置きをして、ひそめた声でイブリンと平民の男との関係を語った。仲間の令嬢もワクワクとその場を見守っている。
一瞬、場がざわついたが、同じテーブルで聞いていた女性が冷静に聞き返した。
「あなた方は、ベルトラン家を敵に回したいの?」
さらにもう一人が追い打ちをかけた。
「夜会でアデル様に言い掛かりをつけたご令嬢たちが、社交界を追放されたことを忘れたのかしら」
喜んでを話を聞いてくれると思っていた令嬢たちは、心外そうに眉間にしわを寄せ、
「あら、あの方たちは何の瑕疵もないアデル様を貶めたからでしょう。愛人のイブリン様が若いツバメを引き込んでお楽しみだなんて、誰かが注進してあげた方がよろしいのではなくて?」
と食い下がった。仲間も頷いている。
「では確認するわ。あなた方にそれを教えてくれた人は、どんな風に言っていたの? 若いツバメだなんて直接的で下品な言葉を使っていらしたのかしら」
「えっと、それは・・・」
「どうだったかしら」
喜々として噂を広めようとしていた令嬢たちは戸惑った。
「教えてもらったことから推測して、言葉を足したのではなくて?」
「でも、しょっちゅう来ては奥で長いこと一緒に過ごして、裏口からこっそり帰っていくなんて、疚しいことがある証拠じゃありませんの? 平民がいったい何の用があって男爵令嬢の元を訪れるというのです」
「もう一度聞くわ。その男性は裏口から入って店の奥で過ごし、売り場には姿を見せずにまた裏口から帰っていくのね」
「ええそうよ。店の商品は見もしないのですって」
「店に姿を現さないのに、誰がそれを見届けたのかしら」
「え?」
「どなたかが店の裏口でずっと見張っていたということよね。それはあなた方にその話をしてくれたご友人かしら」
「いえ、それは」
「それに、奥で二人きりだという根拠は?」
「あの、あなたこそ何なのですか。奥の部屋を覗いたことがないのはあなたも同じでしょう。なぜイブリン様を庇うような発言をなさるのですか」
茶会でとっておきの噂を披露したつもりだったのに、面目をつぶされた格好の令嬢は、なおもムキになって言い募った。
冷静に相手をしていた女性は、
「だって私、その奥の部屋での話し合いに立ち会ったことがあるんですもの」
と、何でもないことのように言った。
「はい?」
「どういうことですか」
「というより、あなたあまりお見かけしませんけれど、どちら様?」
「あら、ごめんなさい。私あまり王都にいることがないものだから、お茶会も慣れていないの」
その言葉を聞いて、令嬢たちはあからさまに見下し始めた。
「ふうん、田舎の出なのね。そんなあなたがなぜ『銀の針』の奥に入れたというの」
「田舎出は否定しないけれど、王都にいないのは仕事柄あちこちに出かけているからよ。今日はこのお茶会を主催した方から招かれたの。彼女は学園時代からの友人なのよ。たまにはこうしたところで情報収集をするのも良いのじゃないかって。おかげで面白い話が聞けたわ」
田舎者だと思った彼女が、主催者とごく親しいと知って令嬢は怯んだ。本日の主催者である伯爵家は、王都でも有数の商会を経営しているのだ。できれば親しくしておきたい。
そこにちょうど主催者である伯爵夫人が現われた。
「皆様、楽しんでいらっしゃるかしら。あら、レオニ―はここにいたのね」
「ええ、思いがけず有意義なお話が聞けたわ。お茶会も捨てたものじゃないわね」
「でしょう? 国中を駆け回るのもいいけれど、立ち止まらないと見落とすものもあるわよ」
二人の親し気なやり取りに、先ほどの令嬢がおずおずと声をかけた。
「あの、もしよろしければこちらの方をご紹介していただけないでしょうか」
どうやら敵対するより味方に付いた方がよさそうだと判断したらしい。
「紹介するわね。彼女はレオニ―・ボアルネ。お母様はサヴィニ領の温泉リゾートを開発しているの。彼女はその宣伝広報などを担当しているわ。もちろんそれだけではないけれど」
「あの、サヴィニ領って、もしかしたら・・・」
先ほどの令嬢の隣にいた女性がおそるおそる訊ねた。
「ええ、ベルトラン侯爵夫人のご実家ね」
「では、こちらのレオニ―様は」
「ベルトラン侯爵夫人の姉君のご息女よ」
「つまり私は侯爵夫人の姪ってこと。だからベルトラン家が後援している『銀の針』に出入りしてもおかしくないでしょう? 商品開発の現状を見せてもらいに行ったのよ。だから断言するけど、イブリンさんとマルセル氏が奥の間で二人っきりになることなんてないのよ。憶測で噂をバラまかないでほしいわ。ご理解いただけた?」
「はい」
令嬢たちは冷汗をかきながら硬い声で返事をした。
こうして悪意を含んだイブリンを貶める噂は、サイラスとアデルが王都に戻って来るまでには下火となって消えたのだった。
読んでいただき、ありがとうございました。




