第5話 杖は殴るものじゃない
少し前。
王国軍――前線。
「囲め!!」
号令と同時に。
王国兵たちが。
一体の魔物を取り囲んだ。
人のような姿。
大きさも。
人間とそれほど変わらない。
武器すら。
持っていない。
だが。
その周囲には――
何人もの兵士が倒れていた。
「騎士団、前へ!」
銀色の鎧を纏った騎士たちが。
一斉に剣を抜く。
その中央から。
一人の男が前へ出た。
「下がれ」
他の騎士とは違う。
装飾の施された鎧。
手には。
大剣。
男が静かに構える。
「団長……」
「俺が止める」
人型の魔物が。
男を見る。
次の瞬間。
地面が弾けた。
「――っ!」
速い。
だが。
騎士団長も踏み込む。
ガキィン!!
大剣と。
魔物の腕が激突した。
「……っ!」
騎士団長の表情が歪む。
魔物は。
素手だった。
「なんという硬さだ……!」
魔物の腕が動く。
騎士団長が。
大剣で受ける。
ドゴッ!!
「ぐっ!」
身体ごと。
後ろへ押し飛ばされる。
「団長!」
「構うな!」
地面を滑りながらも。
騎士団長は踏みとどまった。
「今だ!」
左右から。
騎士たちが斬りかかる。
一撃。
二撃。
魔物の身体へ。
剣が入る。
確かに。
傷を負わせた。
だが。
止まらない。
「離れろ!!」
後方から。
声が響いた。
騎士たちが。
一斉に飛び退く。
一人の魔法使いが。
杖を掲げていた。
その周囲に。
巨大な魔法陣が展開する。
「燃え尽きろ――!」
空気が。
熱を帯びる。
「《爆炎》!」
轟音。
巨大な炎が。
人型の魔物を飲み込んだ。
「やったか!?」
兵士たちが。
炎を見る。
「いや!」
炎の中から。
何かが飛び出した。
人型の魔物。
全身から。
煙。
身体には。
いくつもの傷。
それでも。
動いている。
「馬鹿な……」
魔法使いが。
目を見開く。
騎士団長が。
大剣を構え直した。
「来るぞ!」
だが。
魔物は。
彼らへ向かわなかった。
突然。
向きを変える。
「なに?」
そのまま。
森へ走り出した。
「逃げるぞ!」
「追え!!」
騎士団長が叫ぶ。
兵士たちが追う。
しかし。
速い。
負傷しているとは。
思えない速度で。
人型の魔物は。
木々の間へ消えていった。
「くそっ!」
騎士団長が。
剣を握りしめる。
「捜索隊を出せ!」
「はっ!」
「かなり傷を負わせた! そう遠くへは行けん!」
兵士たちが。
動き出す。
誰も。
気づいていなかった。
魔物が消えた森。
その先に――
王国軍の救護所があることを。
◇
「俺、戦えねえんだけど」
人型の魔物を前に。
俺は。
杖を握っていた。
少し前まで。
負傷兵を治していただけなのに。
なんで。
こんなことになってる。
「護衛! 前へ!」
残っていた兵士たちが。
魔物を囲む。
「治癒魔法使いは下がれ!」
「言われなくても」
俺も。
下がる。
戦うのは。
俺の仕事じゃない。
というか。
戦えない。
攻撃魔法が。
使えないわけじゃない。
火も。
水も。
風も。
出せる。
ただし。
全部。
杖先から離れない。
そんなもの。
戦闘で何の役に立つ。
「はぁっ!」
兵士が。
斬りかかった。
魔物が動く。
速い。
「なっ――」
ドゴッ!
兵士が。
吹き飛ぶ。
「ぐあっ!」
「おい!」
二人目。
槍を突き出す。
魔物が。
身体を逸らす。
腕を振る。
バキッ!
槍が折れた。
「嘘だろ……」
そのまま。
兵士の身体が。
宙を舞う。
「きゃあっ!」
後ろから。
悲鳴。
治癒魔法使いたちが。
さらに下がる。
「…………」
まずい。
残っている護衛は。
多くない。
ここは。
救護所だ。
前線じゃない。
戦える奴のほとんどは。
前に出ている。
「応援は!?」
「呼びに行っている!」
「それまで持たせろ!」
「…………」
無茶言うな。
魔物が。
また一人。
兵士を倒す。
俺は。
周囲を見る。
逃げるか?
いや。
どこへ。
後ろには。
簡易ベッド。
治療したばかりの。
負傷兵たち。
立てない奴もいる。
そのさらに奥には。
治癒魔法使いたち。
「……最悪」
魔物が。
こちらへ歩いてくる。
「おい!」
俺は。
杖を構えた。
「…………」
何してんだ。
俺。
戦えないって。
分かってるだろ。
でも。
他に。
誰もいない。
「くそっ」
魔力を流す。
火。
ゴオッ!!
杖先の球体を中心に。
炎が燃え上がった。
「なに、あれ……」
後ろから。
声が聞こえる。
知るか。
魔力だけは。
昔から。
腐るほどあるんだよ。
「おい!」
魔物へ。
杖を向ける。
「こっち来んな!」
炎を。
放つ。
「いけ!」
ゴオオッ。
「…………」
炎は。
杖先で。
元気に燃えている。
「…………」
知ってた。
「いけ!」
ゴオオッ。
「…………」
「いけって!」
ゴオオオッ。
「…………」
こんな時くらい。
「飛べよ!!」
飛ばない。
十八年間。
一度も。
例外はなかった。
今日も。
絶好調で。
飛ばない。
「くそっ!」
杖を振る。
炎も動く。
もちろん。
杖先と一緒に。
魔物が。
俺を見る。
「…………」
目が合った。
「あ」
魔物が。
地面を蹴る。
「ノア!」
誰かが叫んだ。
「うおっ!?」
横へ飛ぶ。
直後。
さっきまで立っていた場所を。
魔物の腕が薙いだ。
ブォン!!
風圧。
それだけで。
眼鏡がずれた。
「…………」
眼鏡を直す。
今の。
当たってたら。
「死ぬだろ!!」
誰に言ってるのか。
自分でも分からない。
「俺、治療係だから!」
もちろん。
魔物には通じない。
「話くらい聞けよ!」
魔物が。
こちらを向く。
「…………」
駄目だ。
話し合いも。
無理らしい。
逃げる。
右。
ベッド。
左。
負傷者。
後ろ。
治癒魔法使いたち。
前。
化け物。
「…………」
詰んでる。
魔物が。
また近づく。
俺は。
杖先を見る。
魔法はある。
ちゃんと。
発動している。
昔から。
そうだった。
誰よりも。
大量の魔力を込められる。
でも。
飛ばない。
目の前まで。
敵が来ているのに。
届かない。
「……役立たず」
自分で言って。
少し。
腹が立った。
何年。
言われてきた。
魔力量だけなら。
魔力だけはすごい。
飛ばせれば。
普通に使えれば。
何度も。
何度も。
「…………」
魔物が。
また一歩。
近づく。
どうする。
火?
飛ばない。
水?
飛ばない。
風?
飛ばない。
土?
多分。
飛ばない。
全部。
杖先から。
離れない。
「…………あ?」
俺は。
杖先を見る。
離れない。
「…………」
どれだけ。
魔力を込めても。
杖先から。
離れない。
ふと。
三年前のことを思い出した。
――飛ばせないなら、直接届ければいい。
治癒魔法を。
初めて使えた日。
あの女の人に。
言われた言葉。
「…………」
いや。
待て。
それは。
治癒魔法の話だ。
「…………」
魔物を見る。
近い。
あと数歩。
「いやいやいや」
違う。
それとこれとは。
話が違う。
治癒魔法は。
杖を当てれば。
傷が治る。
なら。
攻撃魔法は?
「…………」
杖先を見る。
魔物を見る。
もう一度。
杖先を見る。
「…………いや」
駄目だろ。
そんなの。
魔法使いの。
戦い方じゃない。
杖は。
魔法を使うためのものだ。
殴るものじゃない。
魔物が。
一歩。
近づく。
「…………」
知らねえよ。
「もう……」
炎を消す。
代わりに。
ただ。
魔力そのものを。
杖先へ。
「どうにでもなれ……!」
流す。
もっと。
まだ。
もっと。
杖先の球体が。
光り始める。
パァァァッ――!
「なに……?」
後ろで。
誰かが呟いた。
俺は。
構わず。
魔力を流す。
どうせ。
飛ばない。
だったら。
全部。
ここに。
集めてやる。
「おおおお……!」
光が。
膨れ上がる。
まだ。
まだいける。
「うおおおおおっ!!」
杖先から。
離れない。
大量の魔力。
それが。
球体を中心に。
巨大な塊になっていく。
俺には。
ただ。
杖先が。
馬鹿みたいに光っているようにしか見えなかった。
だが。
救護所から。
少し離れた場所にいた者には。
違って見えていた。
細い柄。
その先に。
巨大な光の塊。
まるで――
巨大な槌。
魔物が。
地面を蹴った。
来る。
「飛ばねえなら――!」
俺も。
一歩。
踏み込んだ。
杖を。
両手で握る。
振りかぶる。
魔物の顔が。
目の前。
「あああああああ!!」
全力で。
振り抜いた。
「――このまま食らえ!!」
杖先が。
魔物の身体へ触れた。
瞬間。
ドゴォォォォォォン!!!!
「――っ!?」
視界が。
真っ白になった。
凄まじい衝撃。
俺自身まで。
後ろへ吹き飛ばされる。
「うわぁっ!?」
地面を。
転がる。
「いってぇ……!」
耳が。
キーンと鳴っている。
何が。
起きた?
「…………」
見えない。
「眼鏡……」
ない。
「眼鏡どこ!?」
地面を。
手探りする。
「ない!」
右。
ない。
左。
ない。
「こんな時に!」
指先に。
何かが触れた。
「あった!」
掛け直す。
「…………」
見えた。
土煙。
救護所の前。
地面が。
抉れている。
その中心。
人型の魔物が。
倒れていた。
動かない。
「…………は?」
俺は。
立ち上がった。
恐る恐る。
近づく。
「おい」
反応なし。
「…………」
杖先で。
つつく。
ツン。
動かない。
もう一度。
ツン。
「…………死んだ?」
後ろが。
静まり返っている。
「…………」
俺は。
魔物を見る。
自分を見る。
魔物を見る。
「俺が?」
いや。
でも。
俺だよな?
他に。
誰も攻撃してないし。
「…………」
俺でも。
倒せた。
「なんだ」
思わず。
息を吐く。
「大した魔物じゃなかったのか」
その時。
ピシッ。
「ん?」
嫌な音がした。
俺は。
杖を見る。
先端。
球体状の魔石。
そこに。
一本の亀裂。
「…………」
ピシッ。
「待て」
亀裂が。
広がる。
「待て待て待て」
パキン。
魔石の一部が。
地面へ落ちた。
「…………」
俺は。
固まった。
「…………嘘だろ」
魔物を見る。
動かない。
杖を見る。
割れている。
魔物。
杖。
魔物。
杖。
「…………」
そして。
理解した。
「雑魚一匹倒しただけで……」
割れた魔石を見る。
「なんでこっちが壊れるんだよ!!」
この杖。
安物じゃないんだぞ。
十歳の時。
まだ。
俺が大賢者候補だった頃。
一族が。
期待を込めて。
用意してくれた杖。
八年間。
大切に使ってきた。
それが。
初めて魔物を殴っただけで。
これ。
「…………最悪」
魔石の欠片を。
拾う。
修理。
できるよな?
魔石を交換すれば。
多分。
直る。
問題は。
「…………」
財布を思い出す。
「金ねえ」
終わった。
「はぁぁぁぁ……」
ため息が。
出た。
その時。
「ノア!」
後ろから。
呼ばれた。
「怪我人を診てくれ!」
「…………」
俺は。
割れた杖を見る。
魔石は。
欠けている。
「これ」
まだ。
ヒール使えるのか?
試しに。
魔力を流す。
パァッ。
弱いが。
光った。
「……いけるか」
「ノア!」
「はいはい!」
魔物の死体に。
背を向ける。
「今行きます!」
俺は。
そのまま。
治療へ戻った。
自分が。
何を倒したのかも。
知らないまま。
◇
しばらくして。
救護所での治療が。
落ち着いた頃。
俺は。
割れた杖を抱えて。
帰路についていた。
「……直るよな」
気になるのは。
それだけ。
あの魔物?
一発だった。
なら。
大した奴じゃない。
前線から。
たまたま。
ここまで入り込んできた。
そんなところだろう。
それより。
杖だ。
十歳から。
ずっと使ってきた。
「魔石だけなら……」
交換できる。
多分。
問題は。
金。
「…………」
財布を開く。
「…………」
閉じる。
もう一度。
開く。
「…………」
増えてない。
閉じる。
「はぁ……」
とりあえず。
帰ったら。
魔具店へ持っていこう。
救護班の報酬で。
足りればいい。
そんなことを。
考えながら。
俺は歩いていった。
だから。
知らなかった。
その少し後。
前線から。
王国軍の兵士たちが。
救護所へ到着したことを。
◇
「魔物はどこだ!」
「こちらです!」
兵士たちが。
倒れている人型の魔物を。
取り囲む。
その中の一人が。
死体を見た瞬間。
表情を変えた。
「……こいつ」
「どうした?」
「前線から逃げた個体だ」
「なんだと?」
別の兵士も。
確認する。
そして。
息を呑んだ。
「間違いない」
周囲が。
ざわつく。
「死んでいるのか?」
「ああ」
「誰が倒した?」
「…………」
誰も。
答えない。
「救護所の護衛ではないのか?」
「いや」
救護所に残っていた兵士が。
首を振った。
「護衛は、ほとんどこいつにやられた」
「なら……」
兵士たちが。
顔を見合わせる。
「誰が?」
答えられる者は。
いなかった。
騎士団長が。
人型の魔物の前へしゃがむ。
傷を見る。
自分たちが。
前線で与えた傷。
そして。
それとは。
明らかに違う。
大きな損傷。
「…………」
「団長?」
「これが……とどめか」
「え?」
騎士団長は。
地面を見る。
大きく。
抉れている。
まるで。
何か。
凄まじい一撃が。
叩き込まれたように。
「一体、何が……」
その時。
「……見た」
離れた場所から。
声がした。
一人の負傷兵。
戦闘中。
救護所から。
少し離れた場所にいた男だった。
「何を見た?」
「光だ」
「光?」
男は。
思い出すように。
ゆっくりと。
手を動かす。
「あの魔物が救護所へ向かって……」
「それで?」
「突然、ものすごい光が見えた」
「魔法か?」
「分からない」
男は。
首を振る。
「遠かったから、人影までは見えなかった」
ただ。
一つだけ。
見えたものがあった。
「あれは……」
男が。
呟く。
「槌だ」
「槌?」
「ああ」
男は。
確信したように。
言った。
「巨大な、光る槌だった」
兵士たちが。
黙る。
「何者かが……」
男は。
倒れている魔物を見る。
「巨大な光の槌で、こいつを一撃で叩き潰した」
「一撃……?」
「ああ」
誰も。
言葉を発しなかった。
王国騎士が。
大魔導士が。
王国軍が。
仕留めきれなかった魔物。
それを。
正体不明の何者かが。
たった一撃で。
やがて。
誰かが。
呟いた。
「……何者なんだ」
当然。
答えられる者はいなかった。
その頃。
そんな騒ぎになっていることすら。
知らない俺は。
帰り道。
割れた杖を眺めながら。
一つだけ。
考えていた。
「…………修理代」
いくらするんだろう。




