第2話 大賢者候補、左遷される
「ノア」
「ん?」
名前を呼ばれ、俺は振り返った。
目の前には父さん。
その手には、細長い箱があった。
「なんだ、それ」
「開けてみろ」
差し出された箱を受け取る。
見た目以上に重い。
俺は床に置くと、ゆっくり蓋を開けた。
「……おお」
中に入っていたのは――一本の杖。
深い茶色の柄。
先端には、透き通った球体状の魔石が取り付けられている。
子供の俺でも分かった。
そこらで売っているような安物じゃない。
「これ……俺の?」
「ああ」
父さんが頷いた。
「今日から、お前の杖だ」
俺は恐る恐る持ち上げた。
少し長い。
でも、不思議と手に馴染んだ。
「いいのか?」
「お前のために用意したんだ」
父さんは嬉しそうだった。
「大事に使えよ」
「分かってるって」
俺は杖を眺めた。
自分だけの杖。
これで俺も、本当に魔法使いになれる。
そう思うだけで、頬が緩んだ。
「そんなに嬉しいか?」
「べ、別に」
「顔に出てるぞ」
「出てねえよ」
「ずっとニヤニヤしてるぞ」
「してない」
「してる」
「してない!」
父さんが笑った。
俺は少し恥ずかしくなって、杖を抱えて顔を逸らした。
この日。
十歳になった俺は、自分の杖を手に入れた。
一族が、将来への期待を込めて用意してくれた――
少し上等な杖だった。
◇
「では、順番にやってみろ」
数日後。
俺は魔法の訓練場にいた。
俺と同じくらいの年齢の子供たちが、横一列に並んでいる。
少し離れた場所には、木で作られた的。
今日から、本格的な魔法の訓練が始まる。
「まずは火だ」
教官が杖を構えた。
「魔力を杖へ流し、炎へ変換する」
杖先に、小さな炎が生まれる。
「そして、狙った場所へ放つ」
教官が杖を振る。
炎が飛んだ。
ボッ!
木の的に命中する。
「おお……」
子供たちから声が上がった。
俺も見ていた。
でも。
驚いたというより――
ワクワクしていた。
やっとだ。
やっと俺も魔法が使える。
小さい頃から、何度も聞かされてきた。
お前には、とてつもない魔力がある。
きっと優秀な魔法使いになる。
大魔導士にだってなれる。
もしかしたら。
大賢者にすら。
もちろん。
俺自身も信じていた。
むしろ。
十歳の俺は。
割と本気で。
大賢者くらいにはなれると思っていた。
「では、一人ずつやってみろ」
訓練が始まった。
最初の少年が前へ出る。
「炎よ!」
ポッ。
杖先に小さな炎が生まれた。
それが、ゆっくり飛んでいく。
ボッ。
的の手前に落ちた。
「あー!」
「最初ならそんなものだ」
教官が笑う。
「次」
今度は女の子。
杖先に炎を作り、放つ。
ボッ!
今度は的まで届いた。
「やった!」
「よし。次」
一人。
また一人。
成功する者。
失敗する者。
炎すら出せない者もいた。
そして。
「次、ノア」
「はい」
来た。
俺は前へ出た。
周囲が少しざわつく。
「ノアだ」
「あの子?」
「魔力がすごいっていう?」
聞こえてくる。
俺は。
何も聞こえていない顔で杖を構えた。
――見てろ。
柄を握る。
身体の中にある魔力を意識する。
それを。
杖へ。
そして。
先端へ。
「……っ!」
ブワッ!!
炎が生まれた。
「なっ!?」
教官が目を見開く。
周囲の子供たちも。
声を失った。
「すげえ……」
誰かが呟いた。
他の子供たちとは。
大きさが違う。
杖先の球体を包み込むように。
大きな炎が燃え上がっている。
「これが……」
俺の魔法。
胸が高鳴った。
やっぱり。
みんなが言っていたことは本当だった。
俺には才能がある。
「ノア!」
教官の声。
「そのまま的を狙え!」
「はい!」
俺は。
杖を的へ向けた。
狙いを定める。
そして。
「いけ!」
「…………」
炎が燃えている。
杖先で。
「…………」
的を見る。
何も起きていない。
「……あれ?」
もう一度。
「いけ!」
「…………」
燃えている。
すごく元気に。
「ノア?」
「ちょっと待ってください」
「どうした?」
「今、飛ばします」
「そうか」
俺は。
杖を構え直した。
「いけ!」
「…………」
飛ばない。
「……いけ!」
飛ばない。
「いけって!」
飛ばない。
「…………」
教官が首を傾げた。
俺も首を傾げた。
「なんで?」
知らない。
俺が聞きたい。
「杖を振ってみろ」
「はい」
ブンッ!
炎も動いた。
「おっ!」
いける。
そう思った。
右へ振る。
炎も右へ。
左へ。
炎も左へ。
上。
上へ。
下。
下へ。
「…………」
「…………」
教官と目が合った。
「先生」
「なんだ」
「めちゃくちゃ付いてくるんですけど」
「ああ」
「飛ばないんですけど」
「……見れば分かる」
炎は。
杖先にぴったりくっついていた。
「もっと魔力を押し出してみろ」
「分かりました」
魔力を込める。
ゴオオオッ!!
炎が一気に巨大化した。
「おおっ!」
周囲から声が上がる。
俺も。
一瞬期待した。
「いけぇ!」
ゴオオオオッ!!
「…………」
「…………」
デカくなった。
それだけだった。
教官が。
巨大な炎を見上げる。
「ノア」
「はい」
「大きくしろとは言ってない」
「俺も大きくするつもりじゃなかったです」
「……一度消せ」
「はい」
炎を消す。
教官が近づいてきた。
「杖を貸してみろ」
渡す。
教官が俺の杖を構える。
「ファイア」
ポッ。
さっきの俺とは比べものにならない。
小さな炎。
そして。
ボッ!
普通に飛んだ。
的へ命中。
「…………」
俺は。
杖を見る。
教官を見る。
もう一度。
杖を見る。
「飛びましたね」
「ああ」
「俺の杖なのに」
「ああ」
「…………」
杖の故障じゃない。
教官も同じことを考えたらしい。
今度は。
自分の杖を差し出してきた。
「使ってみろ」
「……はい」
受け取る。
魔力を流す。
ブワッ!!
巨大な炎。
「いけ!」
「…………」
飛ばない。
俺は教官を見る。
教官も俺を見る。
「先生」
「なんだ」
「杖じゃないですね」
「ああ」
「…………」
俺じゃん。
◇
「火だけかもしれない」
その日の訓練後。
教官はそう言った。
「属性には得意不得意がある。火との相性が悪い可能性もある」
「なるほど」
それなら。
まだ希望はある。
翌日。
水を試した。
「ウォーター!」
ドバァァァァ!!
「うおっ!?」
大量の水が。
杖先から溢れ出した。
「ノア! 多い!」
「すみません!」
「抑えろ!」
「はい!」
量を減らす。
杖先に。
水の塊が浮かぶ。
「よし。飛ばせ!」
「いけ!」
「…………」
飛ばない。
「…………」
「…………」
「先生」
「次だ」
早かった。
風。
「ウインド!」
ゴオオオオッ!!
「ノア! 強い強い!」
「でも飛びません!」
「それは分かってる!」
周囲の紙が。
バサバサと舞い上がる。
「止めろ! 書類が飛ぶ!」
「俺の魔法は飛ばないのに!?」
「書類は飛んでる!」
「理不尽だろ!」
「いいから止めろ!」
魔法を止める。
舞い上がった紙が。
ひらひら落ちてくる。
教官が。
頭を抱えた。
「…………」
「…………」
「次、土やるか?」
「やります」
土。
杖先に。
岩の塊ができた。
「いけ!」
動かない。
「…………」
「…………」
「先生」
「なんだ」
「これもう、そういう体質じゃないですか?」
「まだ十歳だろ。諦めるな」
「先生が一番諦めた顔してますけど」
「してない」
してた。
◇
それから。
色々試した。
杖を変えた。
飛ばない。
教官を変えた。
飛ばない。
術式を変えた。
飛ばない。
魔力を減らした。
飛ばない。
魔力を増やした。
魔法だけデカくなった。
「違うんだよなぁ……」
一年。
二年。
三年。
魔力は増えた。
使える魔法も増えた。
制御も上手くなった。
でも。
飛ばない。
一センチも。
飛ばない。
最初は。
みんな必死だった。
「これほどの魔力量なんだ。必ず方法がある!」
一年後。
「まだ成長途中だからな」
二年後。
「まあ……焦る必要はない」
三年後。
「…………今日もやるか?」
「その間は何ですか」
「何がだ」
「今、俺の顔見てから喋るまで間があっただろ」
「気のせいだ」
「絶対嘘だ」
そして。
周囲の言葉も。
少しずつ変わっていった。
「すごい魔力量だ」
から。
「魔力量はすごいんだけどな」
へ。
さらに。
「魔力量だけならな」
へ。
「…………」
“だけ”。
たった二文字。
なのに。
やたらと腹が立った。
◇
十五歳。
訓練場の端。
俺は。
一人で杖を握っていた。
十歳の時。
一族から贈られた杖。
傷は増えた。
それでも。
ずっと大切に使っている。
「ファイア」
ゴオッ!
杖先に。
炎が生まれる。
昔とは比較にならない。
大きさも。
出力も。
制御も。
全部。
成長した。
少し離れたところでは。
同年代の魔法使いたちが訓練している。
「いけ!」
ヒュッ!
火球が飛ぶ。
ボッ!
的に命中。
「よし!」
「次、俺!」
「…………」
俺は。
自分の炎を見る。
どう考えても。
俺の方がデカい。
威力だって。
多分。
俺の方が強い。
「……いけ」
「…………」
飛ばない。
「…………」
知ってた。
もう。
何年も前から。
それでも。
たまに試してしまう。
もしかしたら。
今日なら。
急に。
飛ぶんじゃないかと。
「…………」
炎を消す。
「今日も通常運転か」
ある意味。
安定している。
一度くらい。
不具合を起こして。
飛んでほしい。
「ノア」
後ろから。
教官に呼ばれた。
「……なんですか」
「少し話がある」
「話?」
「ああ」
教官は。
少し言いづらそうにしている。
その顔を見て。
嫌な予感がした。
「お前の今後についてだ」
「…………」
ほら。
絶対いい話じゃない。
俺は。
眼鏡を押し上げた。
「ちなみに」
「なんだ?」
「大魔導士への推薦とか?」
「…………」
教官が黙った。
「冗談ですよ」
「…………そうか」
「そこは少しくらい否定してくださいよ」
「ノア」
「はい」
「治癒魔法に興味はないか?」
「…………」
俺は。
教官を見る。
「治癒?」
「ああ」
「俺が?」
「そうだ」
「…………」
攻撃魔法の訓練場。
手には杖。
魔力量だけなら。
誰にも負けない。
そんな俺に。
教官は。
もう一度言った。
「治癒魔法だ」
「…………」
なるほど。
大魔導士になる。
大賢者にすらなれるかもしれない。
そう期待されていた俺が。
十五歳になって。
ついに言われた言葉が――
治癒魔法をやってみないか。
「…………」
俺は。
ゆっくりと。
天を仰いだ。
そして。
叫んだ。
「左遷かーーーーっ!!」




