EP 8
最強の護衛は、100円の殺虫剤と馬車馬(?)
ズンッ……!!
ポポロ村を出発して数時間後。
快適な速度で街道を進んでいたゴルド商会の金ピカ馬車が、突如として何かに激突したように大きく揺れた。
「な、なんや!?」
「敵襲だァーーッ!! 構えろォ!!」
外から護衛の傭兵たちの怒声と、金属がぶつかる嫌な音、そして馬車を牽引している地竜の悲鳴のような嘶きが響き渡った。
「ひゃ、ひゃああああ……あわわ……魔物か!? 傭兵ども! ワイを守れ!!」
金に物を言わせて威張っていた商会長のオロチは、一瞬で顔面を蒼白にし、馬車の隅でガタガタと震え上がった。
「……サリー、僕の後ろに」
「は、はい! た、太郎さん……!」
怯えるサリーを背中に庇いながら、太郎は低く呟いた。
彼はサンガから貰った腰の『魔法ポーチ』へ静かに手を伸ばすと、覚悟を決めて馬車の扉を勢いよく蹴り開けた。
外の街道は、完全なパニック状態に陥っていた。
キキキ……キィンッ、キィンッ!!
金属を擦り合わせるような、耳障りで不快な音が響く。
もうもうと舞い上がる土煙の向こうから姿を現したのは、体長3メートルを超える巨大な蟷螂だった。
全身が黒光りする不気味な外骨格に覆われ、両腕には鋼鉄の鎧すら容易く両断するであろう、巨大で禍々しい大鎌を備えている。
「うわあああ! 『死蟷螂』だと!?」
「冗談じゃねぇ! あんなのB級モンスターじゃねぇか! 討伐隊の仕事だぞ!」
「わ、割に合わねぇ! に、逃げろおおお!!」
先ほどまで太郎を「足手まとい」「俺たちの盾になれ」とせせら笑っていた屈強な傭兵たちは、死の恐怖に顔を歪め、武器を放り出して我先にと蜘蛛の子を散らすように森の中へ逃げていってしまった。
「ま、待たんか! ワシを置いて逃げるなぁ! 前金、返せええぇぇ!!」
オロチが馬車の入り口から身を乗り出して絶叫するが、傭兵たちは振り返りもしない。
ネクロマンティスは、逃げ惑う傭兵たちには目もくれず、残された美味そうな獲物――すなわち、オロチの乗る金ピカ馬車へと、ギチギチと不気味な音を立てながらゆっくりと距離を詰めてくる。
「ひ、ひいい……」
オロチは腰を抜かしそうになりながらも、決して逃げようとはしなかった。
彼はガチガチと震える手で、護身用に腰に下げていた豪奢な装飾剣を引き抜いた。
「わ、ワシは商人やでぇ! この馬車の中の品物は……ワイの命の次に大事な商売道具は、死んでも渡さへんからなぁ!!」
ただの成金の嫌な親父かと思いきや、彼には商人としての絶対に譲れない意地と矜持があった。
オロチは涙目になり、腰を引かせながらも、巨大なカマキリの前に立ち塞がる。
キシャァァァッ!!
ネクロマンティスが、そんな人間の抵抗を嘲笑うかのように、自慢の大鎌を一閃させた。
スパッ! ……ガガガガアアンッ!!
「あひっ!?」
オロチが震える両手で構えていた分厚い剣が、まるで豆腐のようにあっさりと真っ二つに切断され、切っ先が虚しく地面に突き刺さった。
「ヒィィィィッ!! お、終わった……ワイの商人人生……!」
圧倒的な力の差の前にオロチが死を覚悟し、ギュッと目を閉じた、その瞬間。
「蟲か……。何でも真っ二つにする蟲ねぇ……」
オロチの背後から、ひどく冷静な、呆れたような若い男の声が聞こえた。
「なら! おあつらえ向きの兵器がある! スキル発動!」
太郎だった。
彼は魔法ポーチから、一本の細長い『スプレー缶』を取り出していた。
「た、太郎さん!? 剣も持たずに前に出るなんて危ないです!」
サリーが馬車の中から震える声で叫ぶ。
太郎が取り出したのは、100円ショップの害虫駆除コーナーで売られている【ジェット噴射式・無香料殺虫剤(特大サイズ)】だ。
ピレスロイド系の神経毒成分を配合した、現代日本の対・虫用最終兵器である。
(あんな俊敏なヤツに、ちまちまスプレーを直接吹きかける隙はない。なら……!)
太郎は、殺虫剤の缶を、ネクロマンティスの顔面めがけて思い切り投げつけた。
「ほら! ご馳走だぞ!!」
キシャァッ!?
ネクロマンティスは、自分に向かって飛んでくる謎の金属の筒を「攻撃」と認識した。
反射的に自慢の大鎌を無造作に振り抜き、空中のスプレー缶を真っ二つに両断する。
スパッ!
その瞬間だった。
殺虫剤の缶に高圧で充填されていた液化ガスと薬剤が、切断されたことによって一気に爆発的な勢いで空中に噴出したのだ。
ブシュウウウウウウウウッ!!!
「キキッ!? ググッ、ギチギチギチッ!?」
超高濃度の殺虫成分の霧を、至近距離で顔面からまともに浴びたネクロマンティス。
昆虫は皮膚にある気門で呼吸をする。
現代化学の生み出した神経毒は、巨大なB級モンスターの神経回路を瞬く間にショートさせ、麻痺を引き起こした。
「キ、ギィィィ……ッ」
カチン、カチン……と、恐ろしい大鎌が力なく地面に落ちる。
ネクロマンティスは全身を痙攣させ、口からブクブクと大量の白い泡を吹きながら、その場にドタリと仰向けに倒れ伏した。
「な、なにぃ!?」
腰を抜かしていたオロチの目玉が、こぼれ落ちんばかりに見開かれた。
「こ、小僧! おみゃーさんは何を!? あのB級モンスターに一体何をしたんや!?」
「いや……デカくても蟲なんで。とりあえず殺虫剤のスプレーを撒いたんですけど」
「さっちゅう……なんやて? まさか小僧、あの投げた金属の筒は『対・蟲専用の超強力な魔道具』やとでも言うんか!?」
太郎が至極当然のように答えた、その時だった。
「グルルルルル……」
ずっと馬車に繋がれ、恐怖に耐えていた地竜、ジオ・リザードが、低く喉を鳴らした。
泡を吹いて動けないネクロマンティスを冷たい瞳で見下ろすと、その大きな口をカッと開いた。
ゴオオオオオオオオオオオオオッ!!!
「うおっ!?」
太郎が思わず腕で顔を覆う。
ジオ・リザードの口から、凄まじい業火の火炎放射が放たれた。
しかも、ネクロマンティスの周囲には、殺虫剤に噴射剤として含まれていた引火性の高い『LPG(液化石油)ガス』が充満している。
ドゴォォォォォンッ!!
「うわっ!? 熱っ!!」
ガスに引火した炎は爆発的に燃え上がり、太郎やオロチの顔を灼熱の熱波が撫でた。
業火はネクロマンティスを一瞬にして巨大な火柱で包み込む。
断末魔の叫びすらなく、恐るべきB級モンスターは完全に黒焦げの炭と化して崩れ落ちた。
「お、おおお!? なんちゅう威力や……!!」
オロチは顎を外さんばかりに驚愕し、口をパクパクとさせている。
太郎は、炭になったモンスターと、鼻息を「フンス!」と荒くしてドヤ顔を決めているジオ・リザードを交互に見比べ、小さくため息をついた。
「良かったですね、会長。品物も無事みたいで」
太郎は、へたり込んでいるオロチを見下ろして、ニヤリと意地悪く笑った。
「けど、これから護衛を頼むには、高い金払って逃げ出す傭兵なんて雇うより……このジオ・リザードだけで十分良いんじゃないですかね?」
オロチは真っ黒焦げのネクロマンティスと、自慢の地竜、そして何より――あの絶望的な状況で、未知の金属筒ひとつでB級モンスターを無力化した「100均の魔法使い」を震える目で見上げた。
(なんちゅう男や……。ひ弱な兄ちゃんなんかやない、こいつはとんでもない化け物や……!)
オロチの商人としての計算高い脳が、フル回転を始める。
(あの見たこともない魔道具……あんなもん量産できたら、世界中の魔物退治の常識がひっくり返るで! ワイの商会で独占できたら……!)
「た、太郎……いや、太郎はん!! これからアルクスに着くまで、ワイの命と品物、どうかよろしゅう頼んます!!」
オロチは泥だらけの地面に額を擦りつけ、先ほどまでの態度から一変、完全な土下座を決めた。
その頭の中では、(見つけたで! 金の卵を産む鶏を!)と、強欲な笑い声が響き渡っていたのだった。
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