EP 9
大蛇の契約と、100円の計算機
ネクロマンティスとの死闘(という名の殺虫剤散布)を乗り越え、僕たちを乗せた金ピカの馬車は、ついに目的地へと到着した。
目の前にそびえ立つのは、見上げるほど高く分厚い石造りの防壁。巨大な城壁に囲まれた中央都市『アルクス』である。
「はぁ~、着いた着いた! 太郎さん、見えますか? あれがアルクスですよ!」
御者台からひょっこりと顔を出したサリーが、嬉しそうにぶんぶんと手を振っている。
このアナステシア世界は、地球とは常識が大きく異なる。
魔獣の脅威が常に隣り合わせであるため、子供は六歳になれば自分の身を守るためにボーガンを射つことができ、義務教育の六年間で基礎的な学問とサバイバル術を徹底的に叩き込まれる。
さらに、そこで優秀な成績を収めた一部の者だけが、三年間の高等教育を受けられるのだ。
ポポロ村の村長(過保護な筋肉ダルマ)の娘であるサリーは、実はその後者のエリートである。
高度な回復魔法の知識だけでなく、馬車を引く地竜の操縦まで難なくこなしてしまう彼女が、腰を抜かした御者に代わって手綱を握ってくれたおかげで、後半の道中は驚くほど快適だった。
「いやぁ、すまんなぁサリーちゃん。アルクスまでの道中、ホンマに世話になったで。あんさんの手綱さばき、ウチのベテラン御者より上手いわ」
城門前の広場で馬車から降りたゴルド商会のオロチ会長が、ギラギラと光る純金の差し歯を見せて笑った。
「そして太郎はん。あんさんにはホンマに命を救われたわ。おおきにな」
「いえ、僕たちも歩き疲れていたところで馬車に同乗させてもらった身ですから」
「そうですよ、オロチさん。お互い様です」
僕とサリーが頭を下げると、オロチは首を横に振った。
彼は懐から、ずしりと重みのある革袋を取り出すと、僕の胸にドンッと押し付けてきた。袋が擦れ、チャリン……と美しい金属音が鳴る。
「……オロチさん、これは?」
「少ないけどな、護衛の報酬や」
中をそっと覗き込んだ僕は、思わず息を呑んだ。
鈍く光る金貨が、ぎっしりと詰まっている。ざっと数えても数十枚……サリーに聞いた相場から日本円の感覚に換算すれば、間違いなく五十万円は下らない大金だ。
「えぇっ!? そ、そんな!? こんな大金、悪いですよ! 僕はただ、スプレーを投げただけで……」
僕が慌てて突き返そうとすると、オロチの縦に細い蛇の瞳が、スッと鋭く細められた。
「何を言うとるんや。ワイは商人やで? タダの貸し借りはせん主義や。それにワイの命と、この馬車の積荷の価値は、金貨数十枚なんてもんやない。あの絶望的な状況を無傷で切り抜けたあんさんの腕に対する、正当な対価や」
「太郎さん。オロチさんもああ言ってますし、受け取っておきましょう?」
サリーにも背中を押され、僕は渋々その重い革袋を受け取った。
「すみません、オロチさん。……あ! じゃあ、せめてものお礼と言っては何ですが、僕からもこれを」
もらいっぱなしは、元・コンビニ店員……いや、日本人の性分としてどうにも落ち着かない。
僕は魔法ポーチに手を入れるふりをしながら空中のウィンドウをこっそり開き、『文具・事務用品』のカテゴリーからあるものを100Pで購入してオロチに手渡した。
「な、なんや? これは。黒い薄っぺらい板に、数字の書かれたボタンがぎょうさん付いとるが……」
オロチは手のひらサイズのプラスチックの板を、不思議そうに裏返したり叩いたりしている。
「『電卓』って言うんです。太陽の光で動く、計算専用の魔道具みたいなものでして……こうやって数字のボタンを押すと」
カチャカチャッ、ターン。
僕が適当に複雑な掛け算を入力して「=」のボタンを叩くと、上部の液晶ディスプレイに瞬時に正確な答えが表示された。
「ひゃっ!?」
オロチは目を剥いて驚き、その電卓を引ったくるように手に取った。
彼は震える太い指で、自分の頭の中にある複雑な商会の売り上げ計算や割引率を、次々とボタンで弾き出していく。
タタターンッ! タッ、タターン!
「す、凄いでぇ……!! こ、こないな一瞬で……!! ワ、ワイの愛用しとる最高級の算盤の、何十倍も速く、しかも一切の狂いなく正確に答えが出よる!!」
オロチの顔が、歓喜と興奮でゆでダコのように赤く染まっている。
現代の100円ショップの電卓(ソーラーパネル付き・8桁表示)は、異世界の巨大商会のトップの度肝を、たった一瞬で抜いてしまったらしい。
「良かった。気に入ってもらえて」
「気に入るも何も、これは商会の歴史と計算の常識を変える国宝級のアーティファクトやで!? 太郎はん、あんたホンマに何者なんや……」
そこで、オロチの歓喜の顔が、ふっと真剣な、底知れない大人の男の顔へと変わった。
彼は周囲に人がいないことを確認し、声を潜める。
「……太郎はん。ワイから一つだけ、忠告しとくで。あんさんのその『スキル』の事は、アルクスの街では絶対に他人に見せびらかさん方がええ」
「えっ?」
「あんさんの持つスキルは、イレギュラーすぎるんや。どんな物でも無から一瞬で生み出せる……そんなんがルナミス帝国の裏社会や、欲深い悪徳貴族の耳に入ってみぃ。確実に兵を差し向けられ、囲い込まれて、一生地下室で飼い殺しにされるで?」
「そ、そんな……!?」
サリーが青ざめて口元を覆った。
(……確かにそうだ)
僕の背筋に、冷たい汗がツーッと流れた。
『100円ショップ』のスキル。これまでは便利で楽しい、ちょっとしたチート能力だと思っていたが、オロチの言う通りだ。
もし僕が権力者に捕まれば、首輪を繋がれ、一生彼らのために便利な道具や美味しい食べ物を出し続ける『意思を持った全自動販売機』にされてしまう。
「そこでや……ここに行ってみぃ。ワイからの紹介状や」
オロチは懐から上質な羊皮紙を取り出し、サラサラと羽根ペンで何かを書き殴ると、ロウで封をして僕に手渡した。
「これは?」
「冒険者ギルドのギルドマスター、『ヴォルフ』という男宛ての紹介状や。口と態度は最悪に悪いが、絶対に筋は通す漢でな。あんさんらがこの危険な街で生きていくための、強力な後ろ盾になってくれるはずや」
「ヴォルフさん……。オロチさん、何から何まで、本当にありがとうございます」
僕が心から深く頭を下げると、オロチは再びギラギラとした純金歯を見せて、下品に笑った。
「ええんやで。あんさんらがその力でアルクスで大物になれば、一番にコネを持っとるウチのゴルド商会も大儲け出来るさかいな! グフフフ!」
(あ、やっぱりそっちが本音か……)
だが、綺麗事を並べられるよりも、ずっと信頼できる。
損得勘定で動く商人だからこそ、僕たちを売るよりも「生かして利用し、恩を売っておいた方が儲かる」と冷静に判断してくれたのだ。その強欲さが今はありがたい。
「それじゃあ、オロチさん。また縁があったら、商売しましょう。その時は電卓の替えの電池……いや、新しい商材でも持っていきますよ」
「おう! 期待して待っとるで、太郎はん!」
オロチの金ピカ馬車が商人街へと消えていくのを見送り、僕とサリーは顔を見合わせた。
「行きましょうか、太郎さん」
「ああ、行こう」
僕たちは、アルクスの活気ある大通りへと足を踏み出した。
行き交う多様な種族の人々、立ち並ぶレンガ造りの店、漂ってくる香辛料の匂い。
未知の巨大都市。そして、紹介されたギルドマスターのヴォルフ。
僕たちの新しい生活と冒険が、ここから本格的に始まろうとしていた。
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