EP 6
月明かりの旅立ち前夜
太郎がこのポポロ村に滞在して、早いもので一ヶ月が経とうとしていた。
太郎の1日は、すっかり村の風景に溶け込んでいた。
朝一番に起きて裏庭へ向かい、ガラスのおはじきで鳥頭のトライバードを騙して巨大な卵を拝借(※もはや毎朝の恒例行事である)する。
午前中はサンガ村長のしごきに耐えながら弓術の鍛錬で汗を流し、昼下がりには村の子供達を集めて、スキルで出した『100均の算数ドリルとひらがな練習帳』を使って勉強を教える。
そして夜になれば、サンガや村の長老ゴン爺たちと、キツいイモッカ(芋酒)を酌み交わすのだ。酒の肴は決まって、太郎がスキルで出す『レジ横で売っている100円の炙りあたりめ』や『チータラ』である。これが異世界の酒によく合うと、村の親父たちには大好評だった。
過酷なコンビニ夜勤時代には考えられなかった、人間らしい、穏やかで充実した日々。
(ポポロ村の毎日は楽しい……けど、本当にこれで良いのかな? このままじゃ、ただの卵泥棒の居候だろ。いや、卵泥棒じゃないか……一応、家で飼ってる鳥だし……)
皆が寝静まった深夜。
太郎は一人、家の縁側に腰掛け、夜空に浮かぶ巨大な満月を見上げていた。
(僕は何の為に、このアナステシア世界に来たんだろ……)
サリーは毎日「立派な魔法使いになって、もっとたくさんの人々の役に立つんだ」と目を輝かせて勉強している。
では、自分は?
チート魔法も剣術スキルもない。ただの100円ショップの品物が出せるだけの元コンビニ店員だ。村の人たちは優しくしてくれるが、自分にはサリーのような眩しい夢も、確固たる目標もない。
(このままだと……僕は、いつか彼女の隣にいる資格がなくなってしまうんじゃないか)
太郎の胸を、言い知れぬ焦燥感が締め付ける。
『迷ったら、月を見ろ』
ふと、地球で亡くなった婆ちゃんがよく言っていた言葉を思い出した。
月は迷わない。
どんな暗闇の中でも天高く昇り、優しく輝き、暗闇に怯えている者の道を静かに照らすから、と。
「どうした? 景気のしけた顔をして」
ドカンッ!
突然の野太い声と共に、サンガが縁側が軋むほどの勢いで太郎の隣に豪快に座り込んだ。その太い手には、半分ほど減ったイモッカの酒瓶が握られている。
「サンガさん……」
「眠れねぇのか? 若いのに眉間にシワ寄せやがって」
「僕……このままで良いのかなって。ずっとポポロ村に甘えて、居続けて良いのかって。僕は……僕には、眩しい夢がないんです。サリーみたいに、立派な目標が……」
アルコールが入っていたせいもあるかもしれない。太郎は、心の内に澱のように溜まっていた焦りと不安を、そのままサンガにぶつけた。
サンガはいつもの厳しい村長の顔ではなく、一人の真剣な『男』の目をして、夜空の月を見上げながらポツリポツリと語り始めた。
「ワシはな、若い頃はアルクスの街で『冒険者』をやっていてな。それなりに名も馳せたんだが……まぁ、楽しい事、胸が熱くなる事、目頭から涙が出る事が……本当に沢山あった」
「サンガさんが、冒険者……」
「あぁ。そこで母さん……リリアと出会って、サリーを身籠ってな。危険な稼業からは足を洗い、ワシらはこの静かなポポロ村に落ち着いて引退したんだが」
「リリアさん? そう言えば、サリーからお母さんの事は一度も聞いていませんでした」
「あぁ……サリーが十歳の頃にな、流行り病で亡くなってな」
「あっ……。そうだったんですか……すみません、余計な事を聞いちゃって」
太郎が慌てて頭を下げると、サンガは大きな手で太郎の肩をポンと叩いた。
「良いんだ。……サリーはな、それから『私に回復魔法が使えてたら、お母さんが死ぬ事は無かったのに!』って、泣きながら毎日毎日、村の小さな教会に通い始めたのさ。あいつが魔法の勉強に必死なのは、そういう理由がある」
太郎は言葉を失い、ただ無言で俯いた。
あの底抜けに明るく、ちょっとテンパり気味なサリーの笑顔の裏に、そんな悲しい過去と後悔があったなんて。
サンガはイモッカをグビグビとラッパ飲みする。
「ぷはぁっ! ふーっ……。まぁ、お前に言える事は一つだ。グジグジ立ち止まって悩んでるより、がむしゃらに走り抜いて迷った方が、案外すっきり答えが見つかるもんさ。お前が探してる眩しい夢……あの満月みたいな、優しい光がな」
「満月みたいな、優しい光……」
太郎は再び、夜空を見上げた。
深い暗闇の中で、煌々と、けれど決して目を刺すことなく優しく光る月。
道に迷った者を照らし、安心を与え、そっと寄り添う光。
――あれ?
太郎の脳裏に、ふとある光景がフラッシュバックした。
暗闇の中で煌々と光っていて、道に迷った人、お腹を空かせた人、困っている人に『必要なもの』をいつでも渡せる場所。
(煌々と光る看板。誰も歩いていない深夜の町をポツンと照らす、あの見慣れたガラス張りの店舗……)
それって……僕がずっと働いていた『深夜のコンビニ』そのものじゃないか?
瞬間、太郎の胸の奥で、小さな、けれど決して消えない確かな炎が灯った。
剣も振れない、魔法も使えない。ただのコンビニ店員だった自分にできること。
でも、100円の安い絆創膏でも、誰かの涙を拭うことはできる。温かいお茶や美味しいお菓子で、誰かの痛みを和らげ、笑顔にすることはできる。エコポイントを使えば、もっと大きなこともできるかもしれない。
だったら……!
「サンガさん……僕、走ってみます! ありがとうございます! がむしゃらに!」
太郎は、サンガからイモッカの瓶を受け取って勢いよく煽るように口に含み――。
『ブハッ!? げほっ、ごほっ、かっら!!』と度数37度の洗礼を受け、盛大にむせ返りながらも、力強く宣言した。
「――だったら、私も一緒に走る!!」
突然、背後の暗がりから凛とした声が響いた。
驚いて振り返ると、少し開いた家の扉の影から、目を真っ赤に腫らしたサリーが飛び出してきた。パジャマ姿のまま、小さな拳を強く握りしめている。
「お、お前、起きてたのか」
サンガが目を丸くする。完全に盗み聞きされていたらしい。
「太郎さん一人じゃ、危なっかしくて見てられないもの! 短い弓もまともに当たらないし、すぐ魔獣に追いかけられるし! 私の回復魔法……お母さんには間に合わなかったけど、太郎さんのことは、絶対に私が守るから!」
「いや……しかし、サリーを危険な目に合わせるわけには……!」
太郎は戸惑った。自分のわがままで彼女を巻き込むわけにはいかない。
「もう決めましたから! 決定事項です! ゴルド商会のキャラバンに同行して、アルクスの街に行きましょう!」
サリーは、ふん!っと鼻息を荒くして、太郎の前に立ちはだかった。その瞳には、一歩も引かない強い意志が宿っている。
「……ありがとう、サリー」
太郎は、覚悟を決めた。そして、サリーの小さな両手を、自分の手で強く握りしめた。
「ひゃうっ!?」
突然男らしく手を握られ、サリーの顔がポンッと林檎のように真っ赤に染まった。
しかし彼女は手を振り払うことなく、照れ隠しのように俯きながら、握り返すようにキュッと小さな力を込めてきた。
――そうだ、サリーと一緒なら。
彼女と肩を並べてがむしゃらに走れば、あの月のような生き方が出来るかも知れない。
この異世界で……誰かが困った時にいつでも駆け込めるような……そんな『月のような優しい場所』を作りたい。
――それが、後に【建国王】と呼ばれる男が初めて見つけた『確かな眩しい夢』だった。
サンガはポカンとして二人の顔(と、繋がれた手)を交互に見比べた後……やれやれと大げさに肩をすくめ、頭を掻いた。
「……やれやれ。迷ったら走れとは言ったが、まさかワシの愛娘ごと連れて走られるとはな。完全に一本取られたわい」
「さ、サンガさん! これは……その、そういうわけじゃ……!」
慌てて手を離そうとする太郎に、サンガはニヤリと笑ってイモッカの酒瓶を掲げた。
「頼んだぞ、太郎。サリーを泣かせたら、地の果てまで追いかけて、極大ラリアットでぶっ飛ばすからな!」
「は、はいっ! 命に代えても!」
太郎は力強く頷き、満月の下、サンガと盃(瓶)を交わして固く誓った。
こうして、100円ショップのスキルを持つ青年と、回復魔法使いの少女の、本当の冒険が幕を開けたのだった。
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