EP 5
【太郎国の嫁たち、テンプレを粉砕す】情緒不安定な公爵と最強の妻たち
「……俺のエミリア。俺の許可なく、他の男の背に隠れるなど……絶対に許さない」
ムーンキャピタルの大理石の広場に、極寒の吹雪が吹き荒れた。
帝国北部の支配者にして、最強の魔剣士と謳われる『氷血公爵』ヴァルター・フォン・アーデルハイト。彼の右手には、絶対零度の冷気を纏った巨大な魔氷の剣が握られていた。
周囲の気温が一気に氷点下へと下がり、美男美女のモブ住人たちが「ひぃっ! 公爵様がお怒りだわ!」「あのジャージの男、殺されるぞ!」と悲鳴を上げて蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
「エミリア。お前は俺の庇護下で、ただ微笑んでいればいい。自立などというくだらない思考を植え付けたその害虫は、俺が今ここで氷像に変えて砕いてやる」
ヴァルターの青い瞳には、一切の理性が残っていなかった。
あるのはただ、自分の思い通りにならないおもちゃ(ヒロイン)に対する異常な執着と、自分以外の男(太郎)が彼女に干渉したことへの、極めて短絡的で子供じみた『嫉妬』だけである。
「た、太郎さん! 逃げてください! あの人、本気であなたを殺そうとしてますわ!」
太郎の背中に隠れたエミリアが、ガタガタと震えながら叫ぶ。
前世のブラック企業でパワハラ上司に詰められた時以上の、圧倒的な暴力のプレッシャー。
しかし、当の太郎は微糖の缶コーヒーを広場のベンチにコトリと置き、呆れ果てたように深くため息をついた。
「……ほんと、お前って女の人が他の男と話しただけでキレるんだな。情緒不安定にも程があるだろ。上に立つ人間なら、アンガーマネジメントくらい学んでから出直してこい」
太郎が首のタオルを巻き直した、その瞬間であった。
「旦那様に、なんという口の利き方をするのですか。その薄汚い氷の剣、今すぐ下ろしなさい」
太郎の横にスッと進み出たのは、バインダーを抱えていた第一夫人・サリーであった。
普段は温厚な彼女の瞳が、今は絶対零度――いや、ヴァルターの冷気など児戯に思えるほどの、底知れぬ魔力の圧力を放っていた。
「……女。俺の視界を遮るな。お前もろとも――」
「あら? 旦那様、こんなお花畑の街で、随分と威勢のいい田舎貴族に絡まれてますのね」
「全く、少し目を離した隙にこれなんだから。太郎、アンタは下がってなさい。私が消し炭にしてあげるわ」
『ドゴォォォォォォンッ!!』
突如として、広場の大理石の地面が爆発的に砕け散り、二つの凄まじいオーラが舞い降りた。
ムーンキャピタルのブランドショップで買い物を楽しんでいたはずの第二夫人・剣聖ライザと、第三夫人・不死鳥フレアである。
彼女たちの両手には、大量の高級ブランドの紙袋がぶら下がっていたが、その身から放たれる『神殺しクラス』の闘気と魔力は、広場の空気を一瞬にして制圧した。
「な、なんだお前たちは……!?」
ヴァルターの無表情な顔に、初めて明確な『驚愕』の色が浮かんだ。
彼が展開していた絶対零度の領域が、ライザの黄金の闘気とフレアの灼熱の炎によって、まるで薄氷のようにパリンパリンと音を立てて砕け散っていく。
「私たちは、佐藤太郎の妻ですわ。……貴方のような、女を自分の所有物か何かと勘違いしている三流の男に、私たちの愛する旦那様を侮辱する権利はありませんのよ」
ライザがブランドの紙袋をそっと地面に置くと、スッと右手を前に出した。
武器すら抜かない。ただ素手である。
「……身の程知らずの愚物どもが。帝国最強たる俺の『氷血絶剣』の前に、ひれ伏して凍れ!!」
プライドを傷つけられたヴァルターが激昂し、広場全体を凍りつかせるほどの巨大な魔氷の斬撃をライザに向かって振り下ろした。
女性向けファンタジー世界の最強ヒーローが放つ、本来ならばいかなる敵をも一撃で沈める必殺の一撃。
しかし。
『パシッ』
「……は?」
ヴァルターの口から、間の抜けた声が漏れた。
ライザは、振り下ろされた巨大な氷の剣の刃を、黄金の闘気を纏った『右手の指二本(親指と人差し指)』で、いとも容易く白刃取りしていたのだ。
「て、帝国最強……? この程度の冷気、我が国の夏場のエアコン(冷房)よりも弱いですわよ?」
ライザがフッと鼻で笑い、指先に少しだけ力を込める。
『パキィィィィンッ!!!』
「あ、ぁ……っ!?」
ヴァルターの魔剣が、ライザの指先から根本に向かって粉々に砕け散り、ダイヤモンドダストとなって空中に霧散した。
己の最大魔法を素手で粉砕され、ヴァルターは完全に思考停止に陥った。
「隙だらけよ、この勘違いストーカー男! そのヒラヒラした暑苦しい軍服、燃やしてあげるわ!」
そこに、フレアが容赦なく追撃をかける。
彼女が指先をパチンと鳴らすと、ヴァルターの足元から『不死鳥の炎』が間欠泉のように噴き上がった。
「ぐぁぁぁぁぁぁっ!?」
一切の熱さへの耐性を持たない氷血公爵は、為す術もなく炎に包まれた。
しかしフレアは器用なもので、彼の肉体には一切の火傷を負わせず、彼が身に纏っていた『権力の象徴(漆黒の軍服)』だけを、見事にチリ一つ残さず焼き尽くしたのだ。
「あ、あぁ……俺の、俺の軍服が……っ」
公衆の面前で、見事なまでにスッポンポン(パンツ一丁)にされた帝国最強の公爵が、両腕で身体を隠しながら大理石の地面にへたり込む。
「ふむ。肉体的なダメージはないようですが、精神的なショックで心肺が停止してはいけませんね。――『神聖なる超回復』」
トドメとばかりに、サリーが慈愛の微笑みを浮かべながら、ヴァルターの頭上から極太の回復魔法の光の柱を浴びせかけた。
一切怪我をしていない健康体の男に、死者を蘇らせるレベルの過剰な回復魔法をぶち込んだ結果、ヴァルターの細胞は異常活性化を起こし、全身の筋肉がビクンビクンと痙攣し始めた。
「あばばばばばばばっ!? ま、魔力が、あふれ、るぅぅっ!」
白目を剥き、口から泡を吹いて痙攣するパンツ一丁の公爵。
わずか数十秒。
女性向けテンプレ世界における『絶対的な権力と武力を持つ、俺様系の氷の公爵』は、太郎国の武闘派の嫁たちによって、その尊厳とテンプレートを木っ端微塵に粉砕されたのである。
「…………」
エミリアは、太郎の背中に隠れたまま、その圧倒的な光景をポカンと口を開けて見つめていた。
彼女を恐怖で縛り付けていた絶対的な強者が、ジャージの男の妻たちに、赤子のようにあしらわれている。
「ほら、見ろエミリア」
太郎が、白目を剥いて倒れているヴァルターを親指で指差しながら、エミリアに語りかけた。
「あいつは自分の権力と武力を笠に着て、お前を『鳥籠の中の鳥』にして束縛しようとしていた。でもな、現実の世界(うちの国)じゃ、女の人ってのはあんな風にめちゃくちゃ強くて、たくましいんだ」
太郎の言葉に合わせるかのように、ライザ、サリー、フレアの三人が、「買い物の邪魔が入りましたわね」「この新作のドレス、太郎に似合うかしら」と、倒れる公爵を完全に無視して女子会トークを再開している。
「依存なんてしなくてもいい。男に守られなくてもいい。お前はお前自身の足で立って、自分の力で生きていける。……あんな中身のない男に、自分の人生の主導権を渡すな」
太郎の真っ直ぐな言葉が、エミリアの胸の奥深くにストンと落ちた。
「……はいっ!!」
エミリアの瞳から、完全に迷いが消え去った。
彼女は両手で自分の頬をパンッと叩き、気合いを入れる。
「私、前世ではブラック企業で自分の意見も言えずに潰れましたけど……今度こそ、自分の人生は自分で決めて、自分の力で生きていきます! あんな変質者ストーカーに、私の自由は渡しませんわ!」
エミリアの力強い宣言を聞き、太郎は満足げに頷いた。
「きゅ、きゅぅぅ……(お、俺の極楽ハーレムが……完全に終わった……)」
先ほどエミリアに投げ飛ばされ、大理石の隅で気絶から目を覚ましたセクハラ聖獣コン太が、全てを悟って絶望の涙を流していた。
「よし。これで一つ目の問題は片付いたな。……おい、そこの変質者公爵」
太郎は、痙攣が収まり、パンツ一丁でガタガタと震えているヴァルターを見下ろした。
「ひぃっ……! 貴様、俺をどうするつもりだ……っ! 皇帝陛下が黙っていないぞ……!」
プライドだけは一人前に残っているのか、ヴァルターが涙目で虚勢を張る。
「お前みたいなコミュ障で情緒不安定な奴に、皇帝がまともな権力を与えてる時点でこの国の政治は終わってるんだよ。お前には、本格的な『メンタルケア(精神科でのカウンセリング)』が必要だ」
太郎は、ニヤリと極めて邪悪な笑みを浮かべた。
「お前をうちの国の病院にブチ込んで、徹底的に『人間との適切なソーシャルディスタンス』と『アンガーマネジメント』を叩き直してやる。震えて眠れ、氷血公爵」
かくして、ムーンキャピタルのテンプレを体現していた最強のヒーローは、太郎国の嫁たちによって完全にへし折られ、精神科への強制連行が決定した。
しかし、このお花畑の街には、まだまだ自立を知らない『追放された令嬢たち』が大量に放置されている。
次回、太郎国のド底辺アイドル・リーザが、この街で前代未聞の『逞しすぎるビジネス』を展開する。
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