EP 3
【泣くヒロインと塩化ナトリウム】チートと束縛、そして塩水
「……俺の、妻。俺の、エミリア……」
広場の中心。太郎の『強制わいせつ罪』および『労働基準法(領主の義務)』を盾にした正論の機関銃、そしてサリーが展開した特級の攻撃魔法陣の威圧を前に、さすがの『氷血公爵』ヴァルターも物理的な強行突破は分が悪いと判断したらしい。
彼は無表情のまま、エミリアに執着に満ちた視線を向けながらジリジリと後退し……なぜか、広場の端にある美しい大理石の街灯の陰にスッと身を隠した。
「……おい、あいつ帰ってないぞ。街灯の陰からこっちをジーッと見てるんだけど」
「ほ、本当ですわ……! 公爵様が、完全に不審者のオーラを出して見張っています……!」
街灯から半分だけ顔を出し、瞬き一つせずにこちらを凝視しているヴァルターの姿は、冷徹な公爵などではなく、完全に『ヤバいストーカー』のそれであった。
「放っておけ。実害が出たらT-SWAT(警察)を呼んで逮捕する。……それより、お前」
太郎は首のタオルを巻き直し、背中に隠れている令嬢――エミリアを振り返った。
「怪我はないか? 初対面の変質者にキスされて、パニックになってるかもしれないが」
「あ、ありがとうございます……っ。私、本当にどうしていいか分からなくて……っ。あの、あなた方は一体……?」
エミリアが涙目で太郎とサリーを見上げる。
豪華なドレスを着てはいるが、その言動の端々から、どこか『現代日本』の香りが漂っていた。
「俺は佐藤太郎。こっちのサリーと一緒に、太郎国ってところから視察と交易の交渉に来たんだ。……お前、もしかして『日本人』か?」
太郎がカマをかけると、エミリアはビクッと肩を震わせ、目を丸くした。
「ど、どうしてそれを……!? は、はい! 私、前世は日本のブラック企業で働く社畜OLでした……。連日残業で終電で帰る途中、『もう仕事辞めて、何もせずに生きていきたい……』って泣いてたら、隣の席に座ってたド派手なギャルみたいな人(※カグヤ)に、『じゃあ私の治める世界で、テンプレヒロインやっちゃう?』って言われて……気がついたらこの街に!」
エミリアの口から、驚くべき転生の経緯が語られた。
「カグヤのやつ、下界で勝手に魂をスカウトしてんのか……。職権濫用もいいとこだな」
太郎が呆れ果てて額を押さえる。
「転生した時に、そのギャル(カグヤ)から『ユニークスキル』っていうのをもらったんですけど……。私、それがどういう能力なのかもよく分かっていなくて」
エミリアが不安そうに両手を握りしめる。
「ふむ。まぁ、チートスキル持ちの転生者ってことか。でもお前、スキルがあるなら、なんであんな広場でオロオロしてたんだ? 自分の身くらい自分で守れそうだが」
太郎が至極真っ当な疑問をぶつけると、エミリアは少しだけ目を伏せ、どこか言い訳がましく答えた。
「それが……この街にいると、私が何かしようとしなくても、全部『周り』が解決してくれるんです。……私が転んだら、どこからともなく公爵様が現れて抱き起こしてくれますし……私が仕事を探そうとしたら、公爵様が『お前は俺の側で笑っていればいい』と言って、部屋に鍵をかけて出させてくれなくて……」
「……は?」
太郎の顔が、能面のように真顔になった。
「しかも、後で話しますけど、『コン太』っていうモフモフの聖獣も私にベッタリで……。私が料理をしようとすると火炎でキッチンを吹き飛ばして『危ないから何もしないで(キュ〜)』って言ってきたり……。私、前世で働きすぎたから、こういう『何もしなくていい溺愛』も、たまにはいいのかなって……」
エミリアが、どこか思考を放棄したような、甘ったるい『依存』の表情を浮かべた。
それが、女性向けテンプレ作品特有の『無力なヒロインと、全てを解決してくれる過保護なヒーロー』という構図である。
しかし、元コンビニアルバイターにして、労働の尊さを何よりも愛する太郎にとって、その言葉は到底看過できるものではなかった。
「……おい、エミリア」
太郎の声が、地を這うように低くなった。
「ひぃっ! は、はいっ!」
「お前、前世で社畜だったんだろうが。ブラック企業の辛さを知ってる大人が、なんでそんな『甘い毒』に浸かろうとしてるんだ」
太郎はエミリアの肩をガシッと掴み、目を真っ直ぐに見据えた。
「何もしなくていい? 部屋に鍵をかけられる?……それ、ただの『束縛(監禁)』じゃねーか!!」
「えっ……!?」
エミリアがハッと息を呑む。
「いいか! 『愛』と『依存』は違う! 相手が何でもやってくれるからって、自分の頭で考えるのをやめて、鳥籠の中の鳥になる気か!? お前はユニークスキルっていう『自立するための武器』を持ってるんだろうが! だったら自分の足で立て! 泣いてるばかりで男やペットに全てを委ねるな!!」
太郎の熱い説教(労働と自立の啓発)が、ムーンキャピタルの大理石の広場に響き渡る。
「そ、束縛……監禁……自分の足で立つ……っ」
エミリアの脳裏に、前世で「君にはここでしか居場所がないんだよ」と洗脳してくるパワハラ上司の顔と、先ほどの『部屋に鍵をかける公爵』の姿が完全に重なった。
(あ、危なかった……! 私、環境がキラキラしてるだけで、やってることは前世のブラック企業(飼い殺し)と同じところに自ら飛び込もうとしてた……!)
エミリアの瞳から、お花畑フィルターがスッと消え去り、現代日本の社会人としての確かな理性が戻ってきた。
「た、太郎さん……! 目が覚めました! 私、公爵様から逃げます! 自分のスキルで、ちゃんと自立して生きていきます!」
「おう、その意気だ。なんか困ったらうちの国(太郎国)で雇ってやるから安心しろ」
太郎がニヤリと笑ってサムズアップを決める。
「……俺の、エミリア……。逃がさない……」
街灯の陰から、公爵がギリリッと歯ぎしりをする音が聞こえたが、太郎たちは完全に無視した。
「さて、エミリアの洗脳も解けたことだし。サリー、本題に入ろう。その『聖女の涙』を売ってる取引相手のところに行くぞ。この街の経済観念がいかに狂ってるか、直接確かめてやる」
「はい、太郎様! 実は、その取引業者はすぐそこの広場の角にテントを出しているのです」
サリーに案内され、太郎とエミリアが向かった先。
そこには、煌びやかな看板に『特産品・奇跡の霊薬【聖女の涙】直売所』と書かれた、怪しげなテントがあった。
「いらっしゃいませぇ! そこのお客人、素晴らしい『聖女の涙』はいかがですかぁ? 先ほど、そこの広場で婚約破棄されたばかりの侯爵令嬢様から採取した、超・新鮮な涙ですよぉ!」
揉み手をして現れたのは、成金趣味のスーツを着た商人であった。
「……は? 採取した?」
太郎が顔をしかめる。
「はいぃ! このムーンキャピタルでは、毎日数時間おきに、高貴な令嬢様が理不尽な理由で婚約破棄されて泣き崩れますからね! 私ども『涙回収業者』が、その令嬢様の足元にサッとガラス瓶を差し出して、こぼれ落ちる涙を一滴残らず回収するシステムになっております!」
商人が得意げに、スポイトと小瓶を見せびらかす。
「なんちゅうエグい商売だ……。人の不幸に漬け込んでる上に、衛生管理が最悪じゃねぇか」
太郎がドン引きして呟く。
「さぁさぁ! この奇跡の霊薬、どんな傷も癒やし、肌は若返り、寿命すら延びると言われております! 本日は特別価格、小瓶一つで『金貨10枚(10万円)』でご提供!」
「太郎様、これです! これをポポロ村の無農薬野菜と交換する契約を……!」
サリーがバインダーを抱えて進み出ようとするが、太郎はそれを手で制止した。
「おい、商人」
太郎は商人に向かって、極めて冷酷な目で一歩踏み出した。
「な、なんでしょうか、お客さ……ひっ!?」
商人が、太郎の背後に見えた『クレーマー対応モードのオーラ』に思わず後ずさる。
太郎は、商人のテントの陳列棚にあった『聖女の涙』の小瓶を一つ手に取ると、キャップを開け、指に一滴つけてペロッと舐めた。
「うん。やっぱりな」
太郎は小瓶をドンッ!とカウンターに叩きつけた。
「おい。お前、これが『奇跡の霊薬』だって言ったな? 寿命が延びるだの、傷が癒えるだの、適当な効能を謳ってるが……薬事法(成分表示義務)の許可は取ってんのか?」
「や、薬事法……?」
「ただの『塩化ナトリウム水(食塩水)』だろうが!!」
太郎の怒声が炸裂した。
「だ、誰が聖女か知らないが、ただの若い女が泣いて流した水分だぞ! 主成分は水と塩化ナトリウム(塩)、それに少しのタンパク質だ! そんな雑菌だらけの生理食塩水に金貨10枚? ポルシェでも買える値段のワインより高いだろ! 詐欺罪でしょっぴくぞコラ!!」
「ひぃぃぃっ!?」
商人がカウンターの下に縮み上がる。
「そ、そうですわ! 太郎さんの言う通りです!」
横で見ていたエミリアも、完全に元社畜の理性を爆発させて加勢に入った。
「こんなエビデンス(科学的根拠)のない商品に金貨10枚の価値があるわけありません! 美容液ならヒアルロン酸やコラーゲンの含有量を示す成分分析表(MSDS)を出してください! そもそも、他人の体液を無許可で採取して販売するなんて、コンプライアンス(倫理)的に完全アウトですわ!!」
「な、なんだこの客たち……! 専門用語(現代語)ばかりで何を言ってるのか分からねぇぇっ!」
商人はすっかりパニックになり、頭を抱えて逃げ出してしまった。
「……ふぅ。これでスッキリしたな、サリー」
太郎が首のタオルで汗を拭く。
「た、太郎様……。私、ポポロ村の貴重なお野菜を、あんな塩水と交換しようとしていたのですね……。危うく国家的な大損害を出すところでした……」
サリーが青ざめながら、太郎に深々と頭を下げる。
「気にするな。ファンタジー世界のお花畑な雰囲気に流されると、こういう詐欺商品に引っかかりやすくなるんだ。大事なのは常に『原価率』と『成分表示』を疑うことだぞ」
太郎が謎の商人(王)としての教訓を語る。
「さすが太郎さん! かっこいいですわ! 私、完全に目が覚めました! 依存なんてやめて、自分の力で生きていきます!」
エミリアが尊敬の眼差しで太郎を見つめる。
その様子を。
大理石の街灯の陰から、公爵ヴァルターがギリギリと爪を噛みながら睨みつけていた。
「……俺のエミリアが……あのジャージの男に、洗脳されている……。許さない……俺から、彼女を奪う奴は……」
さらに、もう一つ。
エミリアの足元に、いつの間にか『白いモフモフの物体』が擦り寄ってきていた。
「きゅぅ〜ん♡ エミリア、怖かったの〜? ボクが守ってあげるのきゅ〜♡」
「あ、コン太! 探してたのよ!」
エミリアがそのモフモフ――狐の聖獣を抱き上げようとした、その時。
太郎の眼光が、再び鋭く光った。
「おい、エミリア。ちょっと待て」
太郎が、そのモフモフをジッと見つめる。
「そいつ……エミリアの胸元(谷間)に顔を埋めながら、下半身で『腰をカクカク』させてないか?」
「……え?」
エミリアが視線を落とす。
「きゅ、きゅうぅぅ〜ん♡(スーハースーハー♡ クンカクンカ♡)」
聖獣コン太は、エミリアの豊満な胸元に顔をうずめながら、明らかに『発情したオッサン』のような下品な腰つきで、カクカクとリズムを刻んでいた。
「なっ……!?」
エミリアの顔が、一瞬で真っ赤(羞恥と怒り)に染まる。
ムーンキャピタルの狂気は、まだまだ底知れない。
次回、聖獣の皮を被った変態とのバトルが幕を開ける。




