EP 2
【公爵の顎クイとインフラの謎】お花畑都市と消えた第一次産業
太郎国から魔導列車と馬車を乗り継ぐこと数時間。
太郎とサリーの二人は、月の女神カグヤが直轄で治めるという特区都市『ムーンキャピタル』の正門前に降り立っていた。
「……うわぁ。本当に目がチカチカするな」
馬車から降りた瞬間、太郎は思わず手で日差しを遮った。
目の前に広がる都市は、サリーの報告通り、あるいはそれ以上に異常な光景であった。
立ち並ぶ建築物はどれもこれもが白亜の宮殿のように豪奢であり、無駄にキラキラとした装飾が施されている。そして何より、足元に伸びる大通りが、どこまでも続く『純白の大理石』で完全に舗装されていたのだ。
「ひわっ!?」
太郎が一歩踏み出した瞬間、履いていたタローマンサンダルがツルンッと滑り、危うく後頭部から転倒しそうになった。
元コンビニアルバイター特有の異常な体幹(品出しで鍛えられたバランス感覚)でギリギリ持ち堪えたものの、太郎の顔には明確な怒りが浮かんでいた。
「……おいサリー。この大理石、ワックスまでかけてピカピカに磨き上げられてるぞ。摩擦係数ゼロか? 馬車の馬がどうやって歩くんだよこれ」
「そ、それが……この街の馬には、足の裏に特殊な滑り止め魔法が付与された靴を履かせているそうです」
「無駄なコストをかけるな! アスファルトか石畳でいいだろ!」
太郎はしゃがみ込み、大理石の地面をコンコンと叩きながら、周囲の道路構造を鋭い目つきで観察し始めた。
「それに、俺が一番懸念していた通りだ。道路の端に『側溝(排水溝)』が一つもない。雨水を集めるグレーチング(格子状の蓋)すら設置されてないぞ。これ、ゲリラ豪雨が来たら30分で街全体が床下浸水する構造だ。都市計画法に完全に違反してる」
「あ、あの……カグヤ様が『排水溝なんて見た目が汚くて美しくないわ!』と言って、全て埋め立ててしまったそうで……」
「馬鹿の極みだな!!」
太郎の怒声が、優雅なムーンキャピタルの入り口に響き渡る。
「排水機構を美観の理由で潰す? じゃあこの街の住人の『生活排水』や『汚物』はどうやって処理してるんだ! 地下下水道がないなら、定期的にバキュームカー(汲み取り車)が巡回して回収しなきゃ、数日で大理石の街が『クソまみれの街』になるぞ! 誰がそのバキュームカーを運転してるんだよ!!」
「た、太郎様、声が大きいです! 周りの人が見ています!」
サリーが真っ赤になって太郎の口を塞ごうとする。
太郎がハッとして周囲を見渡すと、大理石の街を歩く住人たちが、怪訝な目でこちらを見ていた。
その住人たちの姿を見て、太郎はさらに頭を抱えることになった。
「……おい。今は平日の午後2時だぞ。なんであいつら、全員『夜会のパーティドレス』とか『タキシード』みたいなヒラヒラした格好で歩いてるんだ?」
すれ違う男女は、確かにサリーの言う通り異常なほどの美男美女ばかりであった。しかし、彼らの服装は一切の機能性を無視した、フリルやリボン、過剰な装飾にまみれた礼服のようなものばかり。
中には、ガラスの靴のような歩きにくそうなヒールを履いて、ツルツルの大理石の上をプルプルと震えながら歩いている令嬢の姿もある。
「サリー。この街の『第一次産業(農業・林業・水産業)』と『第二次産業(工業・建設業)』はどうなってるんだ? 誰も作業着を着ていないし、畑も工場も見当たらないぞ」
太郎が額に青筋を浮かべながら問い詰める。
「ええと……皆さん、基本的に『恋愛』や『お茶会』、『婚約破棄の慰謝料』などで生計を立てているらしくて……。食料や日用品は、すべて他国(ポポロ村など)からの輸入に頼っていると聞いています」
「経済基盤が完全に崩壊してるじゃねぇか!!」
太郎はついに両手で頭を抱え、天を仰いだ。
「全員が第三次産業(サービス業・社交)しかしてない都市なんて、物流が止まった瞬間に兵糧攻めで全滅するぞ! 誰が小麦を育てるんだ! 誰が大理石を磨いてるんだ! 誰がインフラを維持するんだよ! お花畑にも程があるだろ!」
「た、太郎様、落ち着いて……っ。あっ、見てください、あそこ!」
サリーが太郎のジャージの袖を引っ張り、広場の中心を指差した。
そこでは、まさに女性向けテンプレ作品の『お約束』とも言える光景が展開されようとしていた。
一人の若い女性が、広場の噴水(なぜかシャンパンタワーの形をしている)の前で立ち尽くし、戸惑ったような表情を浮かべている。
彼女は、前世は日本の社畜OLであり、カグヤの気まぐれでこの世界に転生させられたばかりの男爵令嬢――エミリアであった。
(※なお、彼女は転生してこの街に降り立ってから、まだ三分しか経過していない)
「わ、私、帰りの電車に乗ってたはずなのに……なんでこんなヒラヒラしたドレスを着て、ピカピカの街にいるの……?」
エミリアがパニックになりかけていると。
「おい、そこを退け。公爵様のお通りだ」
モーセの十戒のように、広場にいた美男美女の群衆がサァッと道を空けた。
その奥から、カツコツと規則正しい足音を響かせて歩いてくる一人の男の姿があった。
銀色の髪。氷のように冷たく、一切の感情を排したかのような鋭い青い瞳。
身に纏う漆黒の軍服は隙がなく、歩くたびに圧倒的な魔力(と謎のキラキラしたエフェクト)を周囲に撒き散らしている。
帝国北部を治める最強の魔剣士にして、通称『氷血公爵』――ヴァルター・フォン・アーデルハイトであった。
「あ、危ないですわ、あの子! あの氷血公爵様は、戦場で一切の情けを持たず、『人の心がない』と恐れられている冷酷無比なお方……! 女性からの求婚も全て秒で断る、女嫌いで有名なのです!」
サリーが解説役のように早口で説明する。
「へぇ。お偉い公爵様ねぇ」
太郎は腕を組み、冷ややかな目でその成り行きを見守った。
ヴァルターはエミリアの前まで来ると、ピタリと足を止めた。
冷酷な公爵と、戸惑う男爵令嬢。
普通ならば、身の程知らずと切り捨てられるか、冷たい視線で通り過ぎる場面である。
しかし。
「…………」
ヴァルターは無言のまま、エミリアにジリッ、と一歩近づいた。
「え? あ、あの……?」
エミリアが後ずさろうとするが、ヴァルターはさらに一歩、また一歩と距離を詰め……ついに、エミリアとの物理的距離を『約5センチ』という、異常な近さまで縮めたのだ。
「ち、近っ!? な、なんですかあなた!?」
エミリアが悲鳴を上げそうになった、次の瞬間。
スッ……。
ヴァルターは黒革の手袋に包まれた右手で、エミリアの顎を優しく、しかし強引にクイッと持ち上げた。
いわゆる、『顎クイ』である。
「お前は……面白い女だ。今日から、俺の妻になれ」
一切の感情の起伏がない、しかしどこか甘く低く響く声でそう告げると。
ヴァルターは広場のど真ん中、数百人の群衆が見ている前で、出会って三分のエミリアの唇に、躊躇なく自らの唇を重ねた(ディープキス)のである。
「んんっ!? むぐっ……!?」
エミリアが目を白黒させてジタバタと暴れるが、公爵の屈強な腕に抱きすくめられ、逃げることができない。
「きゃあああっ! 公爵様が、女嫌いの公爵様がキスを!?」
「なんて情熱的なの……!」
周りのモブ令嬢たちが、なぜか頬を赤らめて黄色い歓声を上げる。
しかし、そのロマンチック(?)な空間を、空気を読まない怒号が完全に引き裂いた。
「てめぇら!! 公衆の面前で発情してんじゃねぇぇぇっ!!!」
太郎が、首のタオルを地面に叩きつけながら絶叫した。
「ヒッ!?」
エミリアがビクッと肩を震わせ、ヴァルターもわずかに眉をひそめて太郎の方へ冷たい視線を向ける。
太郎はずかずかと二人の間に割り込むと、ヴァルターに向かって人差し指をビシィッと突きつけた。
「おいそこの公爵! お前、初対面の女の顎を触って無理やりキスするって、普通に『強制わいせつ罪』および『公然わいせつ罪』の現行犯だぞ! なにが『面白い女だ』だ! 警察(T-SWAT)呼ぶぞコラ!」
「……貴様、誰の許可を得て俺に話しかけている。不敬だぞ」
ヴァルターが、周囲の温度が下がるほどの冷気を放ちながら太郎を睨みつける。
しかし、魔王すら恐れさせた太郎の『元アルバイターのクレーマー対応モード』の前には、その程度の冷気などそよ風に等しかった。
「不敬だと? 笑わせるな! お前、帝国北部を治める『公爵』なんだろ!? 今、平日の真っ昼間だぞ! なんでこんなお花畑の広場をフラフラ散歩して、女をナンパしてるんだよ!」
太郎の正論の機関銃が火を噴く。
「公爵ってのはな、領地の税収管理、治水工事の視察、領民の陳情処理、貴族院での法案審議と、目が回るほど忙しい『地方自治体のトップ』だろうが! 街中でキスしてる暇があるなら、今すぐ執務室に戻って未決裁の書類の山を片付けろ! 領民の血税から給料もらってんだろ、仕事しろ!!」
「――――ッ!!?」
ヴァルターの無表情な顔が、ピキリと引き攣った。
「仕事しろ」という、異世界ファンタジーにおける超法規的権力者(公爵)に対して絶対に言ってはならない禁句。それを、目の前のジャージ姿の男はド直球でぶつけてきたのだ。
「そ、そうですわ! この人、おかしいです! 出会って三分で顎クイとか、距離感バグってます! 私、セクハラで訴えます!」
我に返ったエミリアが、太郎の背中に隠れながらヴァルターを指差す。
(前世が社畜OLであるエミリアにとって、太郎の「仕事しろ」というツッコミはあまりにも心強かったのだ)
「……俺の、妻だ。俺が法だ」
ヴァルターが、なおもエミリアに手を伸ばそうと、無表情のままジリジリと距離を詰めてくる。
その姿は、冷徹な公爵というよりは、もはや『公爵の皮を被ったただの変質者』にしか見えなかった。
「話が通じねぇな、この変態公爵。サリー、こいつを物理的に止めるぞ」
「は、はいっ! 太郎様!」
サリーが杖を構え、臨戦態勢に入る。
ムーンキャピタルの狂った常識VS 太郎の現代インフラ&コンプライアンス。
ポポロ村の交易交渉の前に、太郎国国王による『女性向け街の浄化作戦』が、予期せぬ形で幕を開けたのである。




