EP 5
【開幕】黄色い地獄と、散りゆく猛者たち
抜けるような青空が広がる、アルクス城下町。
普段は剣闘士や魔獣たちの血沸き肉躍る死闘が繰り広げられる『魔獣コロシアム』は、今日、かつてないほどの異様な熱気と興奮に包まれていた。
観客席を埋め尽くす十万人の大観衆。
その視線の先、コロシアムの中央には、ドワーフの職人たちが急造した長大な木製のテーブルが幾重にも並べられ、その上に何百人という屈強な参加者たちがズラリと整列していた。
「あー、テステス。マイクのテスト中。本日は『第1回 太郎国レモン早食い選手権』にお集まりいただき、誠にありがとうございます」
コロシアムの特設実況席から、国王・佐藤太郎の気の抜けたアナウンスが魔法拡声器を通じて響き渡る。
普段着のTシャツに首タオルのまま、微糖の缶コーヒーを片手に持つ王の姿に、観客たちはもはや何の違和感も抱いていない。
「えー、開会に先立ちまして、太郎国親善大使(自称)のリーザさんによる、スペシャルオープニングアクトです。どうぞ」
太郎が適当に紹介すると、コロシアムの中央にポツンと置かれた『みかん箱』の上に、ピンクの芋ジャージ姿のリーザがピョンと飛び乗った。
「コロシアムの皆さーん! 盛り上がってますのー!? 今日は優勝賞金100億円(金貨100万枚)を目指して、私の魂の歌を聴いてくださいませ! 新曲、『すっぱいLove&Money』!!」
リーザがマイク(先端に100均のスポンジがついた棒)を握りしめ、強欲に満ちた瞳で歌い始めた。
♪酸っぱい果実に 涙が出ても〜!
♪金貨の輝き(ゴールド)で 笑顔になれる〜!
♪私の口座に 投げ銭をプリーズ!
♪すっぱい愛より 甘いお金が 欲しいのよぉぉぉっ!!
「リーザちゃぁぁぁん!! 俺の全財産を吸い取ってくれぇぇ!」
「今日もジャージが最高に似合ってるぞォォ!!」
コロシアムの一角に陣取る、数名のおじさんファン(※主に鳩にエサをあげている公園の常連たち)が、熱狂的な歓声を上げて銅貨や五円玉をステージに向かって投げ入れる。
リーザは自身のユニークスキル【貧乏神】の産物である『お賽銭箱型掃除機』のスイッチを入れ、飛んできた小銭を「ズゴゴゴゴッ!」とダイソンも真っ青の吸引力で根こそぎ回収していく。
しかし、大半の一般観客と参加者たちは、「……なんだあの強欲な人魚は」「親善大使ってあんなに金に汚かったか?」と、極めて微妙で冷ややかな空気に包まれていた。
「……はい、ありがとうございましたー。相変わらず図太いね、あの子」
太郎が適当に拍手を送り、実況席から立ち上がった。
「それでは、お待たせしました。これより『予選第1ラウンド』を開始します! 選手の皆さんのテーブルに、本日の主役をご用意いたしましょう」
太郎が右手を虚空にかざし、コロシアム全体に響き渡る声で宣言した。
「いでよ、100円ショップ! 『外国産・防ばい剤不使用フレッシュレモン』×五万個!!」
『ポンポンポンポンポンポンッッ!!!』
凄まじい連続音と共に、コロシアムの上空に巨大な亜空間のゲートが開き、そこから目にも鮮やかな『純黄色の果実の雨』が滝のように降り注いだ。
選手たちの目の前にある長テーブルの上に、瞬く間に黄色いレモンの山が築き上げられていく。
コロシアム中に、柑橘類特有の強烈で爽やかな香りが充満した。
「おおっ! これが噂の『レモン』か!」
「ただの黄色い果物じゃねぇか。いい匂いがするぜ」
「こんな可愛い木の実を食うだけで、金貨100万枚!? 太郎王は気前が良すぎるぜ!」
予選第1ラウンドに参加しているのは、主に腕力や体力に自信のある冒険者、傭兵、そして屈強なオークやドワーフの荒くれ者たちである。
彼らは目の前の黄色い山を見て、下卑た笑いを浮かべながら余裕の表情を見せていた。
「ガハハハ! 俺様はオーク族の戦士、ゴランだ! ワイバーンの生肉すら骨ごと噛み砕く俺様の胃袋に、こんな小さな果物など、文字通りデザートにすぎんわ!」
「フン、甘いなオーク。俺たちドワーフの鉱夫は、純度90%の火酒を水代わりに飲んでるんだ。どんなゲテモノだろうが、気合いと闘気で胃袋にねじ込んでやるぜ!」
参加者たちが己の強靭な肉体と武勇伝を語り合い、互いを牽制する。
「えー、注意事項ですが、皮ごと全部食べてください。残したら失格です。それでは……制限時間は五分! 予選第1ラウンド、よーい……スタートッ!!」
太郎の合図と共に、銅鑼の音がコロシアムに鳴り響いた。
「うおおおおおおっ!! 喰らい尽くしてやるぜェェッ!!」
オークの戦士ゴランが、両手に三つずつのレモンを掴み、野獣のような咆哮と共に、それらを一気に巨大な口の中へと放り込んだ。
そして、強靭な顎の力で、皮ごと一気に『グチャァッ!』と噛み砕く。
大量の果汁がゴランの口腔内に溢れ出した。
その、直後である。
「――――――――――――ッッッ!?」
ゴランの全身の動きが、まるで時を止められたかのようにピタリと静止した。
彼が自慢としていた闘気が、身体の内側から自動的に発動し、未知の刺激から肉体を守ろうとする。しかし、相手は物理攻撃ではない。『クエン酸』と『ビタミンC』がもたらす、極めて原始的な化学信号である。
舌の味蕾から脳神経へ、光の速さで伝達される絶対的な【酸味】。
闘気による物理防御力など、味覚の伝達信号の前にはティッシュペーパーほどの意味も持たなかった。
「あ……。あば……っ」
コロシアムの巨大なモニターに、オークの戦士の顔面が大写しになる。
猛獣のように凶悪だったゴランの顔が、みるみるうちに中心に向かってクシャクシャに収縮していき、まるで『巨大な緑色の梅干し』のようなシワシワの顔面へと変貌を遂げた。
「アバババババババババッッ!!!? す、酸っぱァァァァァァァァッッ!! 舌が、脳髄が溶けるゥゥゥッ!!」
ゴランは手から残りのレモンをポロリと落とし、両手で頭を抱えながら、その巨体を床に激しく打ち付けてのたうち回り始めた。
口からは、カニのようにブクブクと白い泡を吹いている。
「な、なんだと!? ゴランが一口で倒れたぞ!?」
ドワーフの鉱夫が驚愕の声を上げた。
「ええい、オークの腑抜けめ! ドワーフの意地を見せてやる! 闘気最大集中!!」
ドワーフの男は、全身を鋼のように硬化させる闘気を纏い、覚悟を決めてレモンを一つ口に放り込んだ。
ガリッ。
噛んだ瞬間、彼の立派なヒゲが、まるで電流を流されたかのように「ピーン!」と逆立った。
「……むぐぅぅぅぅっ!!」
ドワーフは目を血走らせ、必死に酸味に耐えようと全身の筋肉を硬直させた。しかし、果汁が喉の奥を通過しようとした瞬間、身体が生存本能から『嚥下(飲み込むこと)』を強烈に拒絶した。
「ごふぅっ!? む、無理だ……こんなもの、食べ物じゃねぇ……! 劇薬だ……バタッ」
ドワーフの男は、そのまま糸の切れた操り人形のように、後方へと一直線にぶっ倒れて気絶した。
『ブオォォォッ!』『アヒィィィッ!』『ママァァァァッ!!』
そこから先は、まさに地獄絵図であった。
自信満々でレモンにかぶりついた筋骨隆々の猛者たちが、次から次へと顔を梅干しのように歪ませ、涙と鼻水を撒き散らしながら床を転げ回る。
ある者は酸っぱさのあまり幻覚を見て虚空に剣を振り回し、ある者は「許してくださいぃぃ!」と謎の懺悔を始め、ある者はあまりのショックで幼児退行して指をくわえて泣き出している。
わずか開始一分。
何百人もいた予選第1ラウンドの参加者たちの九割が、床に倒れて白目を剥き、コロシアムは阿鼻叫喚の『黄色い地獄』と化していた。
「あー……医療班、出番です。サリーのお弟子さんたち、急いで回収と介抱をお願いします」
実況席の太郎が、全く驚く様子もなく、ルーティンワークのように指示を出す。
救護用の担架を持った僧侶兵団が慌てて駆けつけてくるが、彼らの回復魔法は「怪我」や「病気」を治すものであり、「強烈な酸味が口に残っている状態」を無効化することはできない。
結果として、「酸っぱいいいい!」と悶絶し続けるマッチョたちを、ただ物理的に担架に乗せて運び出すという、極めてシュールな光景が展開されていた。
観客席は、あまりの光景に静まり返っていた。
剣で岩を斬り裂き、魔法で炎を操る強者たちが、たった一つの「手のひらサイズの果物」によって、文字通り全滅させられたのだ。
ファンタジー世界における『レベル』や『ステータス』『闘気』といった強さの概念。
それが、100均の『レモンの酸味』という、物理法則を超えた味覚の暴力の前には、完全に無力であるという絶対的な真理が、今ここに証明されたのである。
「ふむ。やっぱり、筋肉バカにはキツかったか」
太郎は缶コーヒーを啜りながら、ニヤリと笑った。
「さて、一般参加者の阿鼻叫喚はこれくらいにして……。いよいよ次からが本番だな。太郎国が誇る『シード枠(規格外の化け物たち)』の登場だ」
予選第2ラウンド。
いよいよ、神々や上位獣人といった、真の強者たちがこの『黄色い地獄』へと足を踏み入れる。
果たして彼らは、この絶対的な酸味を前に、己の尊厳(キャラ崩壊)を守り抜くことができるのか――。
読んでいただきありがとうございます。
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