EP 5
【最強の殺虫剤】トイレの攻防と、虫かごの怪人
「……ここが、『タローソン』とやらいう施設か」
アルクス城下町のメインストリートを抜け、アビス怪人は青と白の縞模様が特徴的なプレハブ店舗の前に立っていた。
世界を滅ぼすために異次元から降臨した彼にとって、このチープな外観の建物は、およそ「世界の命運を握る者の居城」には見えなかった。
しかし、あの憎きタロー交番の女たち(嫁たち)は、確かに「世界征服のクレームはここの店長に言え」と宣ったのだ。
怪人が禍々しい漆黒のブーツで一歩を踏み出すと、店舗の入り口が魔法仕掛けのように左右に開いた。
『ウィィィン……。ポロロン、ポロロン♪』
「なっ!? 貴様、俺様の魔力に反応して勝手に道を……! なんて恐ろしい結界装置(自動ドア)だ!」
謎の入店チャイムにビクッと肩を揺らしながらも、アビス怪人は威風堂々と店内へと足を踏み入れた。
レジカウンターにいたのは、ピンク色の芋ジャージを着て、退屈そうに前髪を弄っているリーザであった。
彼女は怪人の姿を見ると、一瞬だけ眉をひそめたが、すぐに興味なさそうに視線を外した。
「いらっしゃいませー。あ、当店では全身フルアーマーのお客様の入店はお断りしておりませんけれど、商品のパッケージを棘で破らないでくださいませね。弁償していただきますわよ」
「ふざけるな小娘! 俺様は買い物客ではない!」
アビス怪人はカウンターに両手をつき、背中の触手をウネウネと蠢かせながら威圧した。
「俺様はアビス怪人! 世界を滅ぼす者だ! ここに『太郎』とかいう店長は居るか!? いるなら直ちに出せ! 俺様の世界征服の要求を通させてもらうぞ!」
しかし、リーザは一切怯まなかった。
それどころか、怪人の背中から生えている黒い触手を見て、「うわっ、なんか虫みたいで気持ち悪いですわね」と完全にゴミを見る目を向けた。
「え? 店長ですか? 店長なら今、バックヤードのトイレに籠っていますわよ」
「ト、トイレ……? 便所か! 世界の危機だというのに、便所に逃げ込むとは卑怯な奴め! 案内しろ!」
「はぁ? 自分で勝手に行ってくださいませ。そこの『STAFF ONLY』って書かれたドアの奥ですわ。……あ、でも今開けたら、物理的に世界が終わるかもしれませんわよ?」
リーザの忠告(悪臭と大惨事の警告)を、「俺様の恐ろしさに逃げ隠れしているに違いない」と都合よく解釈したアビス怪人は、高笑いを上げながらバックヤードの廊下へとズカズカと歩いていった。
***
一方、その頃。
STAFF ONLYの扉の奥、タローソン自慢の最新式水洗トイレの中では、佐藤太郎が己の生命を燃やし尽くすような死闘を繰り広げていた。
「ハァッ……ハァッ……! まだだ……。腸の奥底に潜む、ニンニクの残党どもが……まだ僕の胃壁をチクチクと攻撃してきやがる……!」
ウォッシュレットの癒しを受けながらも、太郎の顔面は蒼白だった。
『ニンニクマシマシ豚骨』の致死量のアリシンは、太郎の腸内環境を完全に砂漠化させていた。今、彼にとってこの個室は、外界のあらゆる情報から遮断された『聖域』であり、何人たりとも侵すことの許されない絶対領域であった。
そこに。
『ドンドンッ!!』
ドアを乱暴に叩く、重い音が響いた。
「(……ビクッ!?)」
太郎の括約筋が、驚きで一瞬緩みそうになり、彼は慌ててペーパーホルダーを握りしめて耐えた。
「入ってますよ!?」
太郎は必死に声を絞り出した。この限界状態でのノックは、殺人未遂に等しい。
しかし、外の不審者はノックをやめなかった。
『グハハハ! 隠れても無駄だ、太郎とかいう店長よ! 俺様は次元の底からやってきたアビス怪人だ! 世界は全て、俺様のもの……』
「(……アビス怪人? なんだよそれ。またタロー交番の厄介なクレーマーか、それとも頭のおかしいコスプレイヤーか!?)」
太郎は激怒した。
世界征服だか次元の底だか知らないが、こっちは今、まさに『便器の底』に向けて世界(自分の尊厳)を懸けた戦いをしているのだ。
『さぁ、その無様な扉を開けて、俺様の前に平伏――』
ガチャッ!
アビス怪人が強引にトイレのドアノブを回し、扉を乱暴に開け放った。
「うるさァァァァァいッ!!!」
便座に座り、ズボンを足首まで下ろし、脂汗と冷や汗で顔をテカテカに光らせた太郎が、般若のような形相で怒鳴り声を上げた。
「今! 大地に祈ってんだから!! 邪魔すんじゃねぇぇぇっ!!」
太郎の右手には、トイレの棚に常備してあった100均の『ゴキブリ用殺虫剤スプレー(無香料・秒殺タイプ)』がしっかりと握られていた。
彼は便座から一歩も動くことなく、開いたドアの隙間から顔を覗かせた怪人の顔面(甲冑の隙間)に向けて、殺虫剤のノズルを正確にロックオンした。
「世界を滅ぼす前に、僕のトイレタイムを滅ぼそうとする奴は、全員消毒だァァァッ!!」
『プシューーーーーーーーーーーーーーッ!!!』
至近距離から放たれた、現代日本が誇る最強の化学兵器(ピレスロイド系殺虫成分)。
それが、昆虫のような触手と外骨格を持つアビス怪人の生態に、特効薬として作用した。
「ぐ、ぐおおおおおおおおっ!?」
顔面に殺虫剤をモロに浴びたアビス怪人は、甲冑を激しく震わせ、信じられないほどの悲鳴を上げた。
「な、なんだこの魔法は!? 俺様の、深淵の魔力が……霧散していく……! 目が、目がァァァ! 息ができないィィ!」
100均の殺虫剤は、異世界の魔獣や虫系の怪人に対して、時に伝説の聖剣以上の威力を発揮する。
バチバチと暗黒の雷を放っていたアビス怪人の身体が、急激にしぼみ始めた。
「ば、バカな……! 次元を超えてきたこの俺様が、こんな、謎の霧ごときで……! 世界征服がぁぁぁ……」
アビス怪人はその場に崩れ落ち、ピクピクと痙攣しながら、みるみるうちにその巨体を縮ませていった。
数秒後。廊下の床に転がっていたのは、世界を滅ぼす大怪人ではなく、どう見ても『手のひらサイズの、ちょっと黒光りするカブトムシのような不気味な虫』であった。
「……あ〜、ヤバいヤバい! 叫んだせいで腹圧が! 大地が、大地が僕を呼んでいるぅぅぅ!」
太郎は小さくなった怪人など全く気にする余裕もなく、凄まじい勢いでトイレのドアを『バタンッ!!』と閉め、再び便座の上での籠城戦へと戻っていった。
***
数分後。
「もう、店長ったら騒々しいですわね。せっかくお昼寝しようと思っていましたのに」
バックヤードの騒ぎを聞きつけて、リーザが不満げに廊下へやってきた。
彼女の視線の先、トイレのドアの前に、何かがピクピクと痙攣しながら転がっている。
「……あら? なんですの、この黒い虫。さっきの全身フルアーマーの不審者が落としていきましたの?」
リーザはしゃがみ込み、手のひらサイズにまで縮小したアビス怪人をツンツンと指でつついた。
『き、きさま……! 小娘……! 俺様を、誰だと……』
虫のサイズになっても、アビス怪人は微弱な声で威嚇しようとしていた。
「うわっ、喋りましたわ! 気持ち悪い!」
リーザは一度手を引っ込めたが、その瞳に、突如として『$』のマークがギラリと点灯した。
「……お待ちになって。喋る、謎の黒い虫……。これ、もしかして、珍しい魔獣として高く売れるのではありませんこと!?」
アイドルとしての活動資金に常に飢えているリーザの頭脳(算盤)が、フル回転を始める。
彼女はすぐさまタローソンの売り場へ走り、100均の『プラスチック製・昆虫採集用虫かご(緑色)』と『ゴミ拾い用のトング』を持ってきた。
「ふふふ……! 捕獲ですわ!」
リーザはトングでアビス怪人をガシッと挟み上げると、容赦なくプラスチックの虫かごの中へと放り込み、パチンと蓋を閉めた。
『出せ! ここから出せェェ! 俺様はアビス怪人だぞ! こんなプラスチックの牢獄で……!!』
「うるさいですわね。少し大人しくしていなさい。……そうですわ! これを見世物にすれば、タローソンの前で入場料(Love & Money)をガッポリ稼げるかもしれませんの!」
リーザは虫かごを高く掲げ、底辺アイドル特有の、極めて邪悪でドス黒い笑みを浮かべた。
世界を滅ぼすためにやってきた深淵の怪人が、100均の虫かごに囚われ、10円の見世物にされるという、ファンタジー史上最も屈辱的な転落劇。
ニンニクの匂いと殺虫剤の香りが漂うタローソンのバックヤードで、新たなビジネス(生態系破壊)が、今まさに産声を上げようとしていた。
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