EP 4
【アビス怪人襲来】嫁たちの塩対応と、たらい回し
「グハハハハハ……!! 恐れよ、嘆け! 我こそは、次元の狭間『深淵』より這い出でし、究極の破壊者……その名も『アビス怪人』!! この美しきアルクスの地は、今日、この瞬間をもって俺様のものとなるのだァァァ!!」
アルクス城下町の正門。
空に走った真っ黒な次元の亀裂から、凄まじい瘴気と共に現れたその怪人は、高らかに世界征服の宣言を轟かせた。
全身を覆う漆黒の甲冑。背中からウネウネと蠢く無数の触手。そして、周囲の石畳をドロドロに溶かすほどの極めて禍々しい魔力。
それは、かつて世界を絶望に陥れた魔神王や邪神にも匹敵する、ファンタジー世界における『完全なる脅威(ラスボス級)』の出現であった。
普通であれば、この時点で街は阿鼻叫喚のパニックに陥り、冒険者たちは武器を捨てて逃げ惑うはずである。
アビス怪人も当然、自分の圧倒的な威圧感の前に、人間たちが絶望の涙を流してひれ伏す光景を期待していた。
しかし。
「……ん? なんだあいつ。コスプレか?」
「いや、なんか黒いモヤモヤが出てるぞ。またタロー交番の新しい『交通安全キャンペーン』のキャラクターじゃないか?」
「あー、あの路駐したら隕石落としてくる一日署長の親戚みたいなもんか。近づかないでおこうぜ」
周囲を歩いていた市民や冒険者たちは、アビス怪人をチラリと見ただけで、特に悲鳴を上げるでもなく、一時停止の白線をきっちりと守ってスタスタと通り過ぎてしまった。
タロー交番の強烈すぎる取り締まり(物理)によって、アルクス市民の『非日常への耐性』は、異常なまでに引き上げられていたのである。
「な、なんだと……!? なぜ誰も逃げない!? 俺様はアビス怪人だぞ! 世界を滅ぼすと言っているのだぞ! 貴様ら、耳が遠いのか!?」
怪人が困惑しながら触手を振り回していると、そこに、カツン、カツンという足音を響かせて、三人の美しい女性が歩み寄ってきた。
タロー交番の紺色の制服に身を包んだ、ライザ、フレア、そしてサリーであった。彼女たちはちょうど、交番の周辺パトロールを行っていたのだ。
「フハハハ! ようやく俺様の強大な魔力に気づいて、討伐の戦士が現れたか! さぁ、絶望の叫びを上げながら、俺様の前に平伏すがいい!!」
アビス怪人は両手を広げ、触手から暗黒の雷をバチバチと放って威嚇した。
しかし。
「……ライザ。また変なのが出ましたわね。あれはどの部署の管轄になりますの?」
フレアが、手に持っていたクリップボードを見ながら、ひどく事務的なトーンで呟いた。
「うーん……。魔獣の類なら本来は騎士団の管轄ですけれど、今、騎士団は来週行われる『秋の全国交通安全パレード』の警備準備で手一杯ですのよ。あんな謎のコスプレ不審者に構っている暇はないはずですわ」
ライザが呆れたようにため息をつく。
「あの……お客様。落とし物でしょうか? それとも、道に迷われましたか?」
サリーに至っては、完全に交番の窓口のテンションで、ニコニコと微笑みながら怪人に話しかけた。
「……は? いや、だから俺様は道に迷ったんじゃなくて、世界を滅ぼしに……」
「世界征服ですね。なるほど」
フレアがクリップボードにペンで『世界征服(希望)』とチェックを入れた。
「ですが、あいにく私共のタロー交番は『交通ルールの指導』と『軽犯罪の取り締まり』がメインの業務となっておりまして。そういう大きめの案件(世界滅亡クラス)は、うちの管轄外になりますの」
「か、管轄外……!?」
アビス怪人は甲冑の中で目を白黒させた。
「ふざけるな! 俺様はラスボスだぞ! 管轄とかそういう次元の話ではなくてな! お前たち、俺様のこの恐ろしい姿を見て何も感じないのか!?」
「あー、恐ろしいというか……ちょっと臭いですわね」
ライザが手で鼻を覆った。
「その触手から出ている黒いモヤモヤ、環境基準値を大幅に超える瘴気(排気ガス)ですわ。アルクス城下町は現在、タローモータースの基準により『エコでクリーンな街づくり』を推進しておりますの。そんな有毒ガスを撒き散らして歩くのは、完全に条例違反(マナー違反)ですわよ!」
「なっ……!? マナー違反!? 俺様の深淵の魔力が、マナー違反だとぉぉ!?」
アビス怪人はあまりの塩対応に、怒りを通り越して混乱し始めていた。
彼がかつて別の世界を滅ぼした時は、こんな対応ではなかった。勇者が剣を掲げて「世界は渡さない!」と熱く叫び、聖女が涙を流して祈りを捧げるという、極めてドラマチックな展開だったはずなのだ。
それがなぜ、この街では「環境基準値」だの「管轄外」だのと、市役所の窓口でたらい回しにされるような扱いを受けているのか。
「お、おのれ人間ども! ならば力ずくでわからせてやる! 俺様の暗黒魔法で、この街ごと消し飛ばして――」
アビス怪人が魔力を溜めようとした、その瞬間。
「あ、それなら旦那様に言ってくださいませ」
サリーがポンと手を叩いた。
「世界を滅ぼすとか、宇宙の法則がどうとかいうクレームは、全て『タローソンの店長(旦那様)』が対応するマニュアルになっておりますの。私たち末端の交番職員に言われても、決裁権がないので困りますわ」
「は? クレーム? 店長?」
「ええ」フレアがにこやかに頷き、交差点の先を指差した。
「あちらの角を右に曲がって、まっすぐ進みますと、青と白の縞模様の看板が出ている『タローソン』というお店がございますわ。そちらのレジに店長がおりますので、世界征服の受付はそちらでお願いしますの」
「……受付ってなんだ。俺様は怪人だぞ……」
「はいはい、分かりましたから。道に迷わないように、ちゃんと横断歩道を渡ってくださいませね。信号が赤の時は止まるんですよ」
ライザが怪人の背中を押し、半ば強引に進行方向へと追いやった。
「ちょ、押すな! 俺様は……! ええい、ならばその『店長』とやらを血祭りに上げて、俺様の恐ろしさを思い知らせてくれるわ!!」
アビス怪人はブツブツと文句を言いながらも、圧倒的なアウェー感と、嫁たちの完璧な『お役所仕事』に毒気を抜かれ、言われた通りにトボトボとタローソンへ向かって歩き出した。
もちろん、横断歩道ではしっかりと一時停止の白線で止まり、左右の安全を確認してから渡るという、完璧な交通マナーを遵守して。
「……ふぅ。変なクレーマーでしたわね。まぁ、旦那様ならいつも通り、適当にあしらってくれるでしょう」
「そうですわね。さぁ、パトロールを続けますわよ」
三人はアビス怪人の背中を見送り、何事もなかったかのようにパトロールを再開した。
***
一方、その頃。
タローソンのバックヤード、STAFF ONLYの扉の奥にある『最新式水洗トイレ』の個室。
「ぐおおおおおおっ……! ま、まだだ……! まだ第三波が来るぞ……!」
佐藤太郎は、便座の上で己の生命(腸内環境)を懸けた、真の死闘を繰り広げていた。
致死量のニンニクがもたらす破壊的な腹痛は、ウォッシュレットの癒しをもってしても容易に収まるものではなかったのだ。
「(……神よ。大地の精霊よ。もし僕がこの地獄を乗り越えられたら、これからは一日二片までしかニンニクを食べないと誓います……! だから、この嵐を早く過ぎ去らせてくれ……!)」
冷や汗を流し、ペーパーホルダーを握りしめながら、太郎は己の内の『深淵』と必死に戦っていた。
外の世界で、本物の『深淵』が、クレーム処理の要領でタローソンに向かっていることなど、露ほども知らずに。
タローソンという名の店舗を舞台に、
【世界を滅ぼす意気込みのラスボス】と、【便所に籠城する絶望の王】という、最悪のすれ違いが今、交差しようとしていた。




