EP 3
【大地からの呼び声】極限状態とタローソンの便所
『ギュルルルルルルルルルルゥゥゥゥッ!!』
アルクス城下町の大通りを歩く佐藤太郎の腹部から、再び、いや先ほどよりも遥かに強烈な、地鳴りのような音が響き渡った。
「…………ッ!!」
太郎は足を止め、両手で腹を抱え込んだまま、石畳の上でピタリとフリーズした。
額からは尋常ではない量の脂汗が噴き出し、視界がチカチカと明滅する。
(……やばい。これ、マジでやばい奴だ)
太郎は己の肉体の中で起きている『惨劇』を、絶望的なまでに正確に理解していた。
チューブ十本分という、致死量を遥かに超える大量のおろしニンニク。それに含まれる強烈な殺菌成分『アリシン』が、極上の豚骨スープの脂という名の波に乗り、太郎の胃壁を蹂躙し、腸内の平和な善玉菌たちを『完全なる死の灰』へと変えながら猛威を振るっているのだ。
腹の中で暴れ回るニンニクの軍勢は、今まさに腸の最終防衛ラインを突破し、出口に向けて全軍突撃を開始しようとしていた。
「ふぅぅ……っ、はぁぁ……っ」
太郎は呼吸を極限まで浅くし、括約筋に全身の魔力と精神力を集中させた。
ここで少しでも気を抜けば、異世界の王として、そしてタロー交番の署長としての尊厳が、アルクス城下町のど真ん中で社会的に死滅(大惨事)する。
「歩け……! 歩くんだ、佐藤太郎! 目指すはタローソンの、あの白くて温かいサンクチュアリ(便座)だ……!」
太郎は、生まれたての小鹿のように膝をガクガクと震わせ、両股を不自然に広げた『究極のガニ股歩き』で、タローソンへ向けて一歩、また一歩と前進を開始した。
その姿は、魔王の呪いを受けた勇者よりも悲惨であった。すれ違う市民たちが「……王様、どうしたんだ? 奇妙な踊りか?」「新しい交通安全の啓発パントマイムかもしれないぞ」とヒソヒソ噂しているが、今の太郎にそれを訂正する余裕など一ミリもない。
ただひたすらに、耐える。
一歩進むごとに腹の中で『ドリュルルッ!』と鳴るマグマの胎動を感じながら、彼はついに、タローソンの見慣れた看板を視界に捉えた。
ウィィィン……。
自動ドアが、彼にとっては天国への門のようにゆっくりと開く。
「ちょっと店長! 遅いですわよ! こんな忙しい時間帯に私一人にワンオペを……って、えっ!?」
レジで不満顔だったリーザは、入ってきた太郎の顔を見るなり、驚愕に目を見開いた。
「て、店長!? なんですのその顔色! 真っ青を通り越して、土気色になってますわよ!? しかも、なんでそんなカニみたいな歩き方をして……! まさか、毒の刃を持つ暗殺者にでも襲われましたの!?」
リーザが慌ててカウンターから身を乗り出す。
しかし太郎は、彼女の言葉にまともに答えることすらできなかった。口を開いて言葉を発しようと腹筋に力を入れれば、その僅かな圧力で『ゲート』が崩壊してしまうからだ。
太郎は壁に手をつき、脂汗で顔をテカテカに光らせながら、虚ろな瞳で天を仰いだ。
「……う、ううっ……。お腹の、調子が……」
「お腹!? まさか、遅効性の猛毒を盛られたのですわね! すぐに解毒のポーションを――!」
「ちがう……」
太郎はブルブルと首を振り、己の腹を抱きしめたまま、魂の底から絞り出すような、ひどく掠れた声で呟いた。
「――だ、大地が……僕を呼んでいる……!!」
「だ、大地……?」
リーザが息を呑む。
「大地の精霊からの神託……!? このアルクスの地に、何か恐るべき異変が迫っているというのですか!?」
「……あぁ、そうだ。僕の、僕の中の地殻変動が……限界点を突破したんだよぉぉぉっ!!」
太郎は最後の力を振り絞り、ガニ股のまま、凄まじいスピードでバックヤードへと続く廊下を駆け出した。
「ああっ! 店長! どこへ行くのですか! 大地の神託を私にも詳しく――!!」
「来るな! 今、僕の後ろに回ったら、物理的な致死ダメージ(大惨事)を受けるぞ!!」
太郎の警告に、リーザはヒィッと足を止めた。
バックヤードの廊下。普段なら数秒で通り抜けられるその短い距離が、今の太郎には何万キロにも及ぶ長く険しいダンジョンに感じられた。
床に置かれた段ボール。立てかけられたモップ。それらすべての障害物を、太郎はミリ単位の精密な腰のコントロールで躱していく。ここでバランスを崩せば、すべてが終わるのだ。
『ギュルルルルルルルルゥゥゥゥッ!!』
「(……も、もたない! 決壊する! ニンニクの魔神が、僕の理性を引き裂こうとしている!)」
そして、ついに。
太郎の視線の先に、オアシスが見えた。
【STAFF ONLY】と書かれた扉の奥にある、タローソン自慢の最新式トイレである。
100均の『組み立て式洋式便座』をベースに、ドワーフの技術と魔導具を組み合わせて太郎が自作した、異世界に一つしかない超高機能・ウォッシュレット付き水洗トイレ。
それはまさに、現代人が誇る文明の結晶であった。
「……た、辿り着いた……!!」
太郎は震える手でドアノブを掴み、個室に転がり込んだ。
『ガチャリ』と鍵を閉めた瞬間、彼の心の中にあった最後の一縷の緊張の糸が、プツンと音を立てて切れた。
「――解放ッ!!!」
太郎はズボンを限界のスピードで引き下げ、純白の温かい便座に腰を下ろした。
直後。
『ババババババババババババババッッッッ!!!!!』
タローソンのバックヤードに、凄まじい轟音が響き渡った。
それはまさに、腹の中に溜め込まれた『ニンニクマシマシ豚骨』のマグマが、大地の底(下水道)へと一気に噴出する、阿鼻叫喚の地獄絵図であった。
「ぐおおおおおおおおっ……!!」
太郎は壁のペーパーホルダーを両手で強く握りしめ、天を仰いで絶叫した。
痛い。熱い。そして、圧倒的なまでの開放感。
大量のニンニクが腸壁を削り取るような激痛と、己の体内から全ての中毒物質が排出されていくカタルシスが、太郎の脳を激しく揺さぶる。
個室の中には、瞬く間に『致死量のニンニク臭』が充満し始めた。
「ハァッ……ハァッ……! すごい……! デュークの野郎、とんでもない兵器を僕の胃袋に流し込みやがって……!」
太郎は息も絶え絶えになりながら、ウォッシュレットのボタンを押した。
温かいお湯が、ダメージを負った『ゲート』を優しく洗浄してくれる。その現代文明の癒しに、太郎は涙を流さんばかりに感動した。
「(……あぁ、日本のトイレって、やっぱり世界一最高だ……。この便座があれば、僕はどんな絶望的な腹痛にも耐えられる……)」
太郎は静かに目を閉じ、大便器という名の玉座で、己の体内のデトックス(という名の地獄の籠城戦)に専念し始めた。
彼の精神は今、完全に『トイレの中の賢者』へと移行しつつあった。世界がどうなろうと知ったことではない。今、彼にとっての宇宙はこの狭い個室にのみ存在しているのだ。
***
しかし。
太郎がタローソンの便所で「大地への祈り」を捧げ、己の内の『深淵』と戦っていた、まさにその頃。
タローソンから遠く離れた、アルクス城下町の入り口。
空に突如として真っ黒な『次元の亀裂』が走り、そこから禍々しい邪悪なオーラを纏った、一人の怪人が姿を現した。
「グハハハハハ……!! 我こそは、次元の底より這い出でし『アビス怪人』! この美しき世界は、今日この日をもって俺様のものとなるのだァァァ!!」
漆黒の甲冑に身を包み、背中から不気味な触手を生やしたその怪人は、世界を滅ぼすほどの強大な魔力を撒き散らしながら、アルクスの街へと足を踏み入れた。
太郎の『内なる腹痛』の限界突破と呼応するかのように現れた、本物の『深淵の怪人』。
タローソンの便所で戦う王の不在に、アルクスの街はかつてない(?)危機に陥ろうとしていた。
しかし、彼を迎え撃つのは、交番勤務ですっかり日常のルーティンに染まり切った、あの規格外の嫁たちである。
ファンタジーの王道たる『怪人襲来』と、極めて泥臭い『ニンニク腹痛』の運命が、タローソンという名の舞台で最悪の交差を果たそうとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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