EP 2
【致死量のニンニク】竜王の笑みと、腹への爆弾
翌日。
アルクス城下町の平和な昼下がり。タローソンのレジカウンターには、いつになく上の空で虚空を見つめる店長・佐藤太郎の姿があった。
「……店長。先ほどからお客様(冒険者)がレジにポーションを置いているのに、全く反応していませんわよ。それに……」
隣で商品の品出しをしていたリーザが、鼻をつまみながら顔をしかめた。
「昨日の夜からずっとですけれど、店長から『オークの体臭を三日煮込んだような強烈な匂い』が漂っていますの! アイドルである私の清らかな鼻腔が破壊されそうですわ!」
「うるさいな。これはオークの匂いじゃない。……男の魂に刻まれた、闘争の匂いだよ」
太郎は生返事をしながら、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
彼の脳内は、昨日の昼に食べた『豚神屋』の新作――【ニンニクマシマシ豚骨・竜王スペシャル】のことで完全に支配されていたのだ。
日本にいた頃、太郎は一度だけ『二郎系』と呼ばれる暴力的なラーメンを食べたことがあった。その時は「もう二度と食べない」と後悔したはずなのに、数日経つと謎の禁断症状に襲われ、気づけばまた店の行列に並んでしまっていたという、あの恐るべき中毒性。
それが今、異世界で、しかも100均のニンニクチューブというチープな魔力によって、太郎の脳内で完全にフラッシュバックしていたのである。
「(……ダメだ。頭の中で、あの黄色いニンニクの山と、脂ギッシュな豚骨スープが渦を巻いている……! 食べたい。今すぐあのニンニクの暴力で、脳髄を痺れさせたい……!)」
太郎の目は完全に『ニンニクを欲する獣』のそれへと変わっていた。
「リーザ! あと1時間、店番を頼む! 僕はちょっと、王としての重要な公務に行ってくる!!」
「はぁ!? ちょっと店長、こんな忙しい時間帯に私にワンオペを押し付ける気ですの――って、もういませんわ!」
太郎はリーザの抗議を完全に無視し、弾かれたようにタローソンを飛び出した。
目指すは一つ、竜王のラーメン屋『豚神屋』である。
***
「ガラッ!」と勢いよく引き戸を開け、太郎は息を切らして店に飛び込んだ。
「おっ、大将! 今日も来たぜ!」
厨房で中華鍋を振るっていたデュークは、太郎の姿を見るなり、ニヤリと嬉しそうな笑みを浮かべた。
「ガーッハッハッハ! 来ると思っておったぞ、太郎よ! 貴様の顔に『ニンニクを寄越せ』と書いてあるわい! 人間の身体には少し刺激が強すぎるかとも思ったが、すっかり我の傑作の虜になったようだな!」
「ああ! 四の五の言わずに、昨日と同じやつを作ってくれ! いや、今日はもっとだ! ニンニクを限界まで、マシマシのマシで頼む!!」
太郎はVIP席にどっかりと座り込むと、虚空に手をかざした。
「いでよ、100均スキル! 『おろし生にんにく(増量タイプ)』×7本!!」
ポンッ、ポンッ、ポンッ! と、亜空間から安っぽい黄色いパッケージのニンニクチューブが大量に召喚され、カウンターの上にピラミッドのように積み上げられた。
「おおっ! 自ら追加の調味料(弾薬)を持参するとは、良い心意気だ! ならば我も、スープの脂を限界まで濃くして応えようぞ!!」
数分後。
『ドンッ!!!』
昨日にも増して凶悪なビジュアルの丼が、太郎の目の前に叩きつけられた。
スープの表面は分厚い透明な脂の層で覆われ、その中央には、太郎が召喚したニンニクチューブ七本分が全て絞り出された『純黄色のエベレスト』がそびえ立っている。
もはやラーメンというより、ニンニクのペーストに麺が浸かっているような狂気の代物であった。
「……ゴクリ。これだよ、これ。この匂いを嗅がないと、一日が始まらないんだ……!」
太郎は震える手で割り箸を割り、ニンニクの山を崩してスープに溶かし込んだ。
そして、麺をすする。
「ズルズルズルゥゥゥッ!!」
「――――ッ!!! 最高ォォォォッ!!」
口に入れた瞬間、鼓膜の奥で爆発音が鳴ったかのような衝撃が走った。
七本分の『おろしにんにく』から放たれるアリシン(辛味成分)の暴力的なパワーが、太郎の舌の痛覚を刺激し、鼻の粘膜を突き破り、直接脳の快楽中枢を殴りつける。
辛い。臭い。しかし、極上の豚骨スープの旨味がそれを下支えし、噛めば噛むほど圧倒的な旨味の津波となって押し寄せてくる。
「ハァッ……ハァッ……! 止まらない……箸が止まらないぞ!」
太郎はもはや、自分が異世界の王であることなど完全に忘れていた。
ただひたすらに、目の前のニンニクと脂の塊に向かい合う、一人の孤独なフードファイターであった。
極太麺を啜り、分厚い豚バラチャーシューを噛みちぎり、ドロドロになったニンニクのスープを喉に流し込む。全身の毛穴から汗が噴き出し、視界が白く霞むほどの多幸感に包まれていた。
「ぷはぁぁぁぁぁっ!!」
わずか十分足らず。
太郎はすり鉢のような丼を空にし、テーブルに突っ伏して荒い息を吐いた。
額からは滝のような汗が流れ、顔は極度の興奮と満腹感で真っ赤に上気している。
「……食った。やり切ったぞ……! デューク、お前のラーメンは、やっぱり世界一だ……」
太郎が朦朧とする意識の中で親指を立てると、厨房で腕を組んでいたデュークが、ふと、真顔になって口を開いた。
「……太郎よ。作っておいてなんだが、一つ聞きたいことがある」
「ん? なんだい、デューク。レシピの相談なら、次は背脂の量を……」
「いや、そうではない。……貴様、昨日と今日を合わせて、その『黄色い筒』の中身を、一体何個分食べておるのだ?」
デュークの低く響く声に、太郎は少し考えてから答えた。
「え? 何個って……昨日はお前が丼に3本分入れてただろ? で、今日は僕が自分で7本追加したから……合わせて10個以上かな。それがどうかした?」
「……10個、以上か」
その瞬間。
デュークの強面の顔に、ニヤァ……と、何か恐ろしい事実を悟ったような、不敵で暗い笑みが浮かんだ。
「くくっ……、そうか。そうであったか」
「な、なんだよ。急に気味の悪い笑い方をして。ニンニクの食べすぎでドン引きしたのか?」
「……いや。我ら竜族の胃袋は、火山のマグマを飲み込んでも消化できる。ゆえに、あの強烈な匂いを放つ薬草の刺激も、心地よいスパイスとして処理できるのだ」
デュークは太郎を哀れむような目で見下ろし、静かに宣告した。
「だが、人間の胃袋はどうだ? 我の記憶が確かならば、下界の人間が強すぎる薬草を大量に摂取すれば、腹の中の『善なる菌』までをも死滅させ、内臓に甚大なダメージを負うと聞いたことがある。……ましてや、貴様の出したあの筒は、保存料と刺激が凝縮された『極大魔法』のようなモノであろう?」
「…………え?」
太郎の顔から、スッと血の気が引いた。
(……ニンニクチューブ、10本分……?)
太郎の脳裏に、かつて日本で読んだ健康雑誌の記事がフラッシュバックした。
『生のニンニクに含まれるアリシンは、極めて強力な殺菌作用を持っています。適量であれば健康に良いですが、過剰に摂取すると胃壁を荒らし、腸内の善玉菌を全滅させ、激しい腹痛や下痢を引き起こす危険性があります。生ニンニクの摂取目安は、一日一片まで――』
「……じゅ、10本って……一片のレベルじゃなくて、丸ごと何十個分ってことか……?」
太郎が震える声で呟くと、デュークは深く頷いた。
「くくく。……人間の限界を超えたな、太郎よ。我が作ったとはいえ、まさかここまで喰らうとは思わんかったわ。貴様の腹の中には今、最強の『時限爆弾』が仕掛けられたということだ」
「な、なんちゅうもんを作ってくれたんだお前は!!」
太郎が悲鳴を上げる。
「ガーッハッハ! 己の欲望を制御できぬ者が悪いのよ! まぁ、腹が痛くなったら、タローソンの白い便座にでも座って、己の罪を悔い改めることだな!」
豪快に笑い飛ばす竜王を背に、太郎は青ざめた顔でフラフラと店を出た。
今はまだ、多幸感と満腹感の方が勝っている。しかし、胃の奥底――腸の入り口あたりで、チリチリとした嫌な熱が帯び始めているのを、太郎は確かに感じていた。
「……ま、気のせいだろ。僕は王様だし、100均スキルで健康な体も維持してるし……」
太郎が自分に言い聞かせるように呟き、タローソンへの道を歩き出した、その時。
『ギュルルルルルルルルルルゥゥゥゥッ!!』
太郎の腹の奥底から、大地が鳴動するような、地鳴りに似た重低音が響き渡った。
「…………ッ!!?」
太郎はピタリと足を止め、腹を両手で抱え込んだ。
時限爆弾のタイマーは、彼の予想を遥かに上回るスピードで『ゼロ』に向かっていた。
致死量のニンニクがもたらす、腸内環境の完全崩壊。
異世界に降り立った最強の王が、かつてない『絶望(腹痛)』の淵へと立たされた瞬間であった。
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