EP 5
【貧乏アイドルの洗車】リーザの時給と、高圧洗浄機の罠
「……ひどい有様だ。ルチアナのバカ女神のせいで、教習車が太陽芋のペーストと泥でコーティングされてるじゃないか」
タローモータースの車庫。
女神ルチアナによる『ニャングルマート特攻事件』から一夜明け、太郎はドロドロになった教習車を前に深くため息をついていた。
車体はへこんでいない(ドワーフ製装甲の無駄な頑丈さ)ものの、フロントガラスには潰れた芋がへばりつき、黄色と黒のボディは完全に茶色く染まっている。
「はぁ……。教習生を入れる前に洗車しないといけないけど、一人じゃ何時間かかるか……」
「――呼ばれましたか、店長! いえ、教官!!」
シュバッ! と音を立てて、車庫の入り口にピンク色の影が滑り込んできた。
ヨレヨレの芋ジャージに、履き潰したタローマン特売サンダル。タローソンの優秀(?)なアルバイトにして、極限のポイ活人魚姫・リーザである。
「リーザ? いや、呼んでないけど。お前、今日はタローソンはお休みだろ」
「休んでなどいられませんわ! 昨晩の夕食が『どんぐりの塩茹で』だったんですのよ!? どんな過酷な肉体労働でも構いません、私にその汚れた鉄の箱を磨かせてくださいませ! もちろん、正当な報酬(Love & Money)と引き換えに!」
飢えた獣のような目で教習車を見つめるリーザ。
太郎は少し考えてから、ニヤリと笑った。
「よし、じゃあ洗車バイトとして雇ってやろう。時給は……タローソンの売れ残り『高級食パンの耳』食べ放題、でどうだ?」
「やりますわァァァ!!」
リーザの目が一瞬で『パンの耳』の形に変わり、凄まじいガッツポーズを決めた。
「でも、ただの水と雑巾じゃ日が暮れるからね。僕のユニークスキルで、最高の『魔法道具』を出してあげよう」
太郎は虚空に手をかざし、亜空間からいくつかのアイテムを取り出した。
一つは、黄色いバケツと極厚のスポンジ。そして『100均の高級カーシャンプー(超撥水・シトラスの香り)』。
もう一つは、魔力で駆動するようにドワーフに改造させた『家庭用・高圧洗浄機』である。
「おおっ……! なんですの、この不思議な形の杖は!」
「こいつは高圧洗浄機。引き金を引くと、圧縮された水がとんでもない勢いで飛び出して、こびりついた汚れを一瞬で吹き飛ばすんだ」
太郎が手本として、高圧洗浄機の引き金を軽く引いた。
『ブシュゥゥゥゥッ!!』
凄まじい水圧が教習車のボディに直撃し、こびりついていた太陽芋のペーストと泥が、まるで消しゴムで消されたかのように一瞬で弾け飛んだ。
「ひゃああっ! なんという威力! 洗浄の魔法ですか!」
「水圧で汚れを飛ばしたら、次はカーシャンプーだ。スポンジで泡立てて優しく洗ってくれ。じゃあ、僕は事務所で事務作業があるから、終わったら呼んで」
「お任せくださいませ! パンの耳のために、チリ一つ残さず磨き上げてみせますわ!」
太郎が事務所へ戻ると、リーザは早速バケツにカーシャンプーをドバドバと注ぎ込み、水を勢いよく入れた。
モコモコモコッ! と、あっという間にきめ細かい純白の泡が大量に発生し、爽やかなシトラスの香りが車庫に広がる。
「わぁ……! いい匂い! しかもこの泡、すごくモチモチしていますわ!」
リーザはスポンジにたっぷりと泡を含ませ、教習車のボディを擦り始めた。
するとどうだろう。少し擦っただけで、残っていた汚れがスルスルと落ちていくではないか。
さらに、シャンプーに含まれる『超撥水コーティング成分』により、ドワーフ製の装甲がまるで鏡のようにピカピカと輝き始めた。
「ふふっ、あはははは! 楽しい! なんですのこれ、楽しすぎますわ!」
汚れが落ちる圧倒的な快感。そして、車が綺麗になればなるほど近づく『パンの耳』の存在。
リーザの脳内で、危険なドーパミンがドバドバと分泌され始めていた。
「この調子なら、一時間で終わらせてすぐにパンの耳にありつけますわ! ……いえ、待って。この『高圧洗浄機』の水圧を最大(MAX)にすれば、もっと早く、それこそ一瞬で全身の泡と汚れを吹き飛ばせるのではなくて!?」
リーザの守銭奴の思考が、最悪の閃きを生んだ。
彼女は高圧洗浄機本体のダイヤルを、安全水準である『中』から、絶対に素人が使ってはいけない『超・限界突破(MAX)』へと一気に回しきってしまった。
「さぁ、一瞬で綺麗にしてやりますわよ! 水魔法・極大!!」
リーザはノズルを両手で構え、意気揚々と引き金を全開で引いた。
『ズドォォォォォォォォォォンッ!!!』
それはもはや、洗浄機というレベルではなかった。
ノズルから放たれたのは、竜のブレスにも匹敵する超・高圧縮の水流レーザー。
教習車に当たった水流は、泡と汚れを吹き飛ばすどころか、車体を数センチほど横にズラすほどの物理的衝撃を発生させた。
「ひぃぃぃっ!?」
そして何より恐ろしいのは、その『反動』である。
体重の軽いリーザは、強烈すぎる水圧の反動を支えきれず、足が地面からフワリと浮き上がってしまった。
「あ、あれ!? 身体が! 宙に浮いて――」
そのまま、ノズルから噴射される水流を推進力にして、リーザの身体は車庫の中をカッ飛び始めた。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁっ!! 止まらない! 引き金から手が離れませんわァァァ!」
『ブバババババッ!!』
ピンク色のジャージが、狂ったように放水を撒き散らしながら空中を乱舞する。
用意していたバケツを蹴り飛ばし、大量のカーシャンプーの原液と泡を頭から被りながら、リーザは教習所の敷地を飛び越え、隣接するタローソンの店舗へと向かって一直線に飛んでいった。
「た、助けて店長ォォォ――ッ!!」
ベチャァァァァァァァァァンッ!!!!
事務所で書類仕事に追われていた太郎が、凄まじい衝突音に驚いて外へ飛び出す。
そこには、タローソンの巨大な窓ガラスに見事に激突し、ズルズルと滑り落ちていく『白い塊』の姿があった。
「……リーザ?」
太郎が恐る恐る近づくと、その白い塊がピクピクと動いた。
高圧洗浄機の暴走により、バケツ一杯分の『超撥水カーシャンプーの泡』を全身に浴びたリーザであった。
顔面はおろか、頭の先から足の先まで、モチモチの純白の泡で完全にコーティングされている。第1話や第10話の『白パイ』とは比較にならない、完全なる【全身真っ白状態】である。
「あわわわ……。シャンプーが、シトラスの香りのシャンプーが目と口に……」
リーザがカエルのような声でうめきながら、フラフラと立ち上がった。
「お前……。高圧洗浄機の水圧ダイヤル、MAXにしただろ」
「へぶっ……。だ、だって、早く終わらせれば、早くパンの耳が食べられると……」
「馬鹿野ろう! 機械の使い方も守れない奴に、パンの耳はやらん!」
太郎がため息をつきながら、バインダーでリーザの泡まみれの頭をペチッと叩いた。
「そ、そんなぁ……! 綺麗に洗車したのに、報酬ゼロなんてブラックすぎますわぁぁぁ!」
「車は綺麗になったけど、タローソンの窓ガラスが泥と水垢でドロドロになったからな。罰として、今度は雑巾一枚でこのガラスを全部磨いてもらう。終わるまでまかないはお預けだ!」
「鬼! 悪魔! 教官の血も涙もないブラック店長ぉぉぉ!」
夕暮れの教習所に、全身泡まみれのアイドルが窓ガラスをキュッキュと磨く、哀愁漂う音が響き渡る。
しかし、彼女がピカピカに磨き上げた教習車は、まるで新品のように夕日を反射して美しく輝いていた。
「……まぁ、洗車の腕だけは認めてやるよ」
太郎が缶コーヒーを飲みながら呟いた、その時だった。
「おお! なんじゃ太郎はん、あのピカピカの鉄の箱は! ワシの愛車も、あの娘に磨かせんかい!」
教習所の入り口から、アルマーニのスーツを着崩したガラの悪い男――邪神デュアダロスが、無駄に黒塗りでシャコタン(車高短)に改造された『ヤクザ仕様の魔導カート』に乗って、けたたましいクラクションと共に乱入してきたのである。
タローモータースの休まることのない教習は、まだまだ続くのであった。




