EP 20
満月とコーヒー牛乳
【太郎国・スーパー銭湯『極楽の湯』 休憩所(縁側)】
夜。
日中の喧騒が嘘のように、太郎国は静かな月明かりに包まれていた。
観光客たちは満足げ(あるいは恐怖に顔を引きつらせながら)帰路につき、極楽の湯の男湯と女湯からは、神々(ルチアナやフェンリルたち)の騒がしい気配も消え去っている。
そんな静寂の縁側で、二人の若者が夜風に吹かれていた。
「……あぁぁぁ。風が……風が直接肌に触れるって、こんなに素晴らしいことだったんスね……」
竜人のエリート戦士、イグニス。
彼は3日ぶりにあの『ピンクの妖精の着ぐるみ』から解放され、丹念に3回シャンプーをして、ようやく人間(竜人)としての尊厳を取り戻していた。
浴衣の胸元をはだけさせ、夜風を全身で浴びるその顔は、過酷な修行を終えた高僧のように澄み切っている。
「本当ですね……。体が軽いって、最高ですぅ……」
その隣で、極貧人魚アイドルのリーザが、両肩に太郎印の『100円の冷感湿布』を何枚も貼り付けた状態で、ふにゃりとだらしなく笑っていた。
重さ数十キロの鉄骨を運び続けた筋肉痛は深刻だが、風呂上がりのポカポカとした熱と、何より「自分の臓器を守り抜いた」という圧倒的な安心感が、彼女を極上のリラックス状態へと導いていた。
縁側の向こうの夜空には、くっきりと丸い、美しい満月が浮かんでいる。
「……おう、お疲れさん。お前ら、よく頑張ったな」
カラン、カラン。
下駄の音を鳴らして、太郎が縁側にやってきた。その手には、銭湯の定番アイテムである『瓶入りの特濃コーヒー牛乳』が二本握られている。
「大将(太郎)……!」
「太郎さん!」
「はい、労働の後のご褒美。俺からの奢りだよ」
太郎が二人にコーヒー牛乳の瓶を手渡す。
冷たく冷えたガラス瓶の感触。そして、フタの紙をポイッと剥がした瞬間に漂う、甘くてほろ苦いミルクの香り。
「……」
「……」
イグニスとリーザは、まるで聖杯でも扱うかのように、両手でしっかりとコーヒー牛乳の瓶を握りしめた。
そして、互いに顔を見合わせ、縁側に座ったまま、そっと瓶を突き合わせた。
カチンッ。
ガラスが優しく鳴る音が、静かな夜の縁側に響く。
「……ズズッ……ゴクッ、ゴクッ、ゴクッ……!」
「……コクッ、コクッ、コクッ……!」
二人は、一言も発さずに瓶を傾けた。
冷たくて甘い特濃のコーヒー牛乳が、乾ききった喉を鳴らし、疲労困憊の五臓六腑へと染み渡っていく。
労働の汗と涙、理不尽な着ぐるみのサウナ地獄、鉄骨の重み、そして臓器売買の恐怖。そのすべてが、この甘美な一口によって洗い流されていく。
「プハァァァァァァッ……!!」
イグニスが、瓶を口から離し、夜空に向かって深く、深く息を吐き出した。
「労働の後のコレは……たまんねぇな……ッ」
強面の竜人の目尻から、キラリと一筋の涙が光った。
明日は『豚神屋』の全マシマシチャーシュー麺が食える。その事実が、コーヒー牛乳の甘さをさらに引き立てていた。
「はい……。生きてて……よかったですぅ……」
リーザもまた、空になった瓶を胸に抱きしめ、満月を見上げながら至福の笑みを浮かべた。
彼女のポケットには、初任給の金貨と、帰りにタローマートで買った『特売の食パン(白い部分)』がしっかりと入っている。
「……二人とも、ホントに良い顔するね」
太郎は、少し離れた柱にもたれかかりながら、タバコ(キャルター)に火をつけた。
紫煙が夜風に溶けていく。
世界を滅ぼす神話の戦いもいいが。
こうして、バカバカしい労働で汗を流し、風呂上がりにコーヒー牛乳を飲んで「生きててよかった」と笑い合える。
それこそが、佐藤太郎が守りたかった「太郎国の日常」そのものだった。
「キュア〜♪」
縁側の下で、始祖竜が気持ちよさそうに丸くなって寝息を立てている。
狂った生態系と、悪徳商法と、サイコパスな仲間たち。
どこまでもカオスで理不尽なこの国だが、満月とコーヒー牛乳の味だけは、世界中のどこよりも優しくて、美味しい。
太郎国の平和で少し狂った夜が、ゆっくりと更けていくのだった。




