12. 屋敷
3ヶ月程経った頃。
いつものように食事を済ませ、腰に巻き付いたままのニコライを無視して新しく読み始めた本のページをめくっているといきなり声を掛けられた。
「そろそろ移動しようか。」
「え?」
「ってことで出発!」
相変わらず強引な彼はいつの間にかまとめられていた荷物を片手に軽々と抱き上げ、そのまま何処かに向かっていく。
辿り着いたのは懐かしい景色でまさかと視線を彷徨わせた。
やはりそうだ。
給仕をしていた頃に何度か訪れていた港町。
屋敷から馬車で半日掛かる距離だが、普通なら手に入らないような食材や調味料が豊富に取り揃えられている唯一の場所だった。
「ハンナ!?」
聞こえてきた声に振り返ると紺色の短髪に紫の瞳の青年が目を見開いたままこちらに駆け寄ってくる。
何かを確かめるように上から下まで何度も見られるため居心地が悪い。
「ゾル…?」
「わりぃ!暗殺者と一緒に屋敷から居なくなったって噂で聞いてたから…。」
「死んだと思ってた?」
「…っ。」
「気にしなくて良いよ。私もそう思ってたし。でも、成り行きで一応まだ生きてる。」
「一応は余計だろ。」
長身を折り、ハンナの頭に顎を乗せながらそう言ったニコライは閉じられていた瞼を開らくと、ゾルと呼ばれた彼に視線を向ける。
声に出してはいないものの、これは俺のものだと主張しているのがありありと分かるもので彼女に掛けるはずだった言葉を飲み込んだ。
「重いんだけど。」
「俺の愛は重いからしょうがないよ。」
「…恥ずかしげもなくよくそんな事が言えるよね。」
「本当の事だし別に恥ずかしくない。それより、気になるものないの。」
「そうだった。ゾル、また今度ゆっくり話そう。」
「お、おう。」
ハンナのその言葉に戸惑ったように頷きながらもそれ以上追求してくることはなかった。
そんな彼を横目に久しぶりの外出に意気揚々としながら調理器具を物色していく。
比較的安価な上に使い勝手の良いそれらは屋敷勤めをしていた際には重宝していた。
どれにしようか迷っていると暇そうにしていたニコライがにんまりと笑みを浮かべる。
「ここにあるの全部もらうよ。適当に包んでくれる?」
「か、かしこまりました!」
「ちょ、そんなにたくさん要らないよ。」
「新生活には必要でしょ。あって困るものでもないし、それより本命はこの先なんだ。」
恋人同士のように手を絡めると目的地へと歩き出した。
向かった先は輸入物の高級品ばかりを扱うお店街で、侍女という身分では入ることの許されない場所。
身分と服装を確認する大柄な門番が仁王立ちしている。
「ここ、私は入れな…。」
制止するハンナを他所に威圧的な視線などものともせずに横を通り過ぎようとする彼だったが、彼女の身なりを見た男が肩を掴んだ。
それと同時に薬指に嵌められていた指輪が煙を帯びると黒い何かが飛び出してきた。
巨大な牙の目立つ大きな犬は首が三つあり、これが彼の言っていた地獄の番犬なのだと理解する。
涎を溢しながら唸っており、少しでも動こうものなら噛みつかれるだろう。
「触れた腕、食い千切ってやれ。」
彼の言葉に飛び掛かろうとした地獄の番犬だったが、ハンナのダメという言葉に噛み付く直前で動きを止めた。
「どうしてダメなの。触れた腕だけにするのは最大限の優しさだよ。」
「少し触られたくらい…。」
「触られたくらいだ?ハンナの身体は全部俺のものだろ。」
「私の身体は私のものだけど、このままじゃ本当にやりかねないし。仕方ないか…。」
軽くため息を溢してから邪魔な髪を右肩に掛けると首筋が露わになる。
彼を宥めるにはこれしかないとこの3カ月間で理解したのだ。
その意図を汲み取ったのか。
仕方ないという表情をしながらも、まんざらでもないようで口を近づけると鋭い牙を出しがぶりと噛み付く。
あまり目立つことはしたくなかったのだが、ここで流血騒ぎになる方が危険だ。
見ていた周りのざわめきがクリアに聞こえるが、暗殺者である彼に逆らえる者などいない。
満たされる感覚に少し機嫌が戻ったようで、消えろとでもいうような表情を男に向けると地獄の番犬を指輪にしまったようだ。
「…まだ飲むの。」
「ハンナから促してくれるときっていつも以上に甘くて好みなんだ。貧血になるけど、ちゃんと抱えるからいいよね。」
「貧血って…もう離して。」
無理矢理剥がそうとしてみるが、無駄な抵抗なようで身体の力が抜ける感覚にニコライの腕に体を預ける。
暫くそのまま支えていたが、やっと満足したのか。
視界が反転すると軽々と抱き上げられたようで、一番奥にある一際大きな建物へと入っていった。
「ニコライ様、お待ちしておりました。既に準備はすべて整いましたが…。」
「ハンナの体調が戻ってからにする。構わないよね。」
「勿論でございます。ニコライ様のお部屋は当時のままですがそちらを使われますか?それとも別で客室を御用意いたしましょうか。」
「俺の部屋でいいよ。」
「人間の血液を飲まれるようになられたのですね。」
「ハンナのだけ。それ以外は無理。」
「特定の人間とはいえ、それだけでも大変な進歩です。シルヴェストル様と同じ始祖の血脈だけが纏うそれが見て取れますね。」
優しい笑みを浮かべる初老の男性はそんな話をしながら3階にある豪華な扉を開く。
手入れの行き届いた室内はキングサイズベッドが中央に置かれただけのシンプルな作りだが、精巧な作りの装飾が施されている。
振動を与えないようにゆっくりベッドに下ろせば怠さが幾分軽減されたようで体を起こした。
「ここは…?」
「ニコライ様専用の御屋敷ですよ。わたくしは御屋敷の管理を任されているドルザと申します。」
「ドルザは俺が吸血鬼化させた元人間。」
「わたくしめが望んだことですから。悠久の刻を生きるニコライ様の御側で仕えられて光栄です。」
「ほら、俺はシルヴェストルと違って暗殺対象以外の人間には人畜無害だからさ。」
「人畜無害なら何で私の血を…。」
「人間だって食事するだろ。その対象が動物か人間の違い。それに俺は人間みたいに命を奪ったりしてない。」
誇らしげにそう言うとベッドにダイブし起き上がっていたハンナの腕を掴んだ。
枕に頭を預けさせ眠れと呟くと容赦なく彼女の意識を奪っていく。
すやすやと眠る姿を見ながら愛おしそうにその唇にキスを落とした。
「…ドルザ。」
「はい。」
「ハンナは俺が唯一愛した人間なんだ。だから誰にも奪われたくない。」
「承知しております。」
「それに、彼女には何不自由させるつもりはない。好きなことをさせてあげて。家事もしたいみたいだから。俺もハンナの手料理が食べられるのは嬉しいからね。」
「かしこまりました。」
「あと、シルヴェストルが狙ってるからリオンに守ってもらおうと思ってる。俺がいる時はいいけど、しつこいからな。」
「リオン様にですか…?ニコライ様と好みが似てますからあまり良い方法とは思えませんが…。」
「わかってる。けど、シルヴェストルから守れるのなんて俺とリオンくらいだろ。」
「そうですが、もし人間に好意を持たれたらどうされるのですか…?」
「…え、確かにそうだよな。人懐っこいからハンナも甘やかしそう。うわ、想像しただけで腹立つ。やっぱりリオンは無しだ。他の方法を考えるよ。」
首筋に掛かる髪を払うとしっかりと痕になっている首筋が見え、自分が所有しているのだと満足気に笑みを浮かべるのだった。




