八月 前原 朝子
胸を貫いたのは高い金属音。そして私の本音。
頭には麦わら帽子。首にはタオル。手にはメガホン。同じ完全応援装備に身を固めた全校生徒が見つめているのは甲子園のグラウンド。全員総立ちで、戦場で戦う野球部に声援を送っていた。
そう。館君率いるうちの野球部は、なんと今年も予選を突破して甲子園に出場したのだ。なんてラッキー。いや、それも実力。初戦は快勝してクリアしたんだしね。今日は二回戦。相手は野球の名門校。プロから注目されてるバッターを四番に据えた強豪だ。
私は足下のペットボトルを取って一口水分を補給した。気温だけじゃない。ここは゛熱い゛のだ。
試合は今一対〇のビハインド。五回表で敵の攻撃。ツーアウト二塁。ピッチャーマウンドでは仲林君が真っ直ぐに館君の構えるミットを見据えていた。サインでもしているのか何度か頷き、二塁ランナーを見て、そして。
バシィィィ!
快音が響く。ボールは館君のミットに入り、審判は「チェンジ!」と言った。
「「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」」
スタンドは歓声に包まれ、次の攻撃の応援に移る用意をしていた。吹奏楽部は楽器を用意。応援団は手を後ろで組んで応援の呼びかけをもの凄い声量で叫ぶ。
ここは熱い。外も、内も。全部が熱い。何だか胸が無性にうずうずする。
隣には望や真紀ちゃんがいるが、話す暇もない。ただ一緒に応援し、興奮し、一喜一憂している。
次は仲林君達の攻撃。ここで一点返せば追いつく場面。バッターはもの凄い形相で相手ピッチャーを睨んだ。このバッターが出れば四番の館君まで回る。私たちは手を合わせて見守る。
カンッ!
あぁ、打ち上げた。内野フライ。ワンアウト。次々!
次のバッターは足の速い選手。確か仲林君と同じクラスの人。
コンッ!
バントぉぉ?
ボールは上手いこと三塁方向に転がる。ホールディングするキャッチャーがもたついた。行け!走れ!
バッターはその俊足で一塁線を駆けた。そして土煙を立てながら滑り込んでセーフ。
スタンドからは大歓声。私も声を上げた。一塁ランナーは両手を上げてガッツポーズ。よくやった!
「館まで回るな。」
真紀ちゃんが言った。真紀ちゃんは拳を握ってジッと次のバッターを見た。次のバッターはすでにバッターボックスに立ち、咳払いをしてからバットで円を描く。そしてグッと構えると前を見据えた。そしてピッチャーが振りかぶった。
その時!一塁ランナーがダッシュ。キャッチャーが二塁に送球するが間に合わず盗塁成功!また私たちは声を上げた。だが結局バッターは内野フライで討ち取られ、ツーアウト二塁。そして出てきた四番の館君。いつもより三割り増しに格好良く見える。堂々とした姿。ゆっくりとバットを構える。いつもの穏やかでひょうきんな彼の顔は、そこにはなかった。鋭い目。
一球目はボール。そして第二球・・・
カキィィィィンッ!
あ。これ・・・
金属音が甲子園に響く。ボールはフェンスにぶつかりライトが慌てて拾い返球。館君は悠々一塁を踏んでいた。そして!二塁ランナーはその頃三塁を回っていた。新幹線並みの速さで。レフトからの中継も返ってくる。そして彼は再び頭からホームへ滑り込んだ。ほぼ同時にボールも返ってくる。
・・・・どっち?
土煙の中で審判を見るランナーとキャッチャー。刹那、シンっとしてから審判の両腕が空を切った。
「セーーーーフ!」
すると怒号のような歓声が、私たちのスタンドから上がった。一塁の館君もガッツポーズをしている。すごい笑顔だ。これで同点。甲子園出場二回目の鼠が、必死で強豪のライオンに噛みついていく。
「格好いーーー!やったね、館君!」
望の肩をバンバンメガホンで叩く。
「う、うん。」
暑さのせいか、望は生返事をした。だがそんなことをいちいち気にする状況ではなかった。
結局その次のバッターが倒れ、その回は一点に留まった。だが同点。応援する生徒達の熱もどんどん上がる。
だが七回。仲林君はノーアウトから打者を二人出し、三人目で長打を浴びた。ガクッと肩を落とす仲林君。膝に手を着いて、額の汗を拭う。そしてシャキッと背筋を伸ばした。だがその顔は少し強張っているように思えた。と、その視線の先の館君がサインだろうか、手を振っている。そして相手スタンドの方を指した。相手スタンドではチアガールが高く足を上げて踊っている。館君はパンっと手を合わせて、左手でピース。その次に両腕で輪を描いて、さらには左手の指で輪を作ってそれを覗く動作を見せた。するとこっちにまで聞こえる声で。
「馬鹿ぁ!」
と、仲林君が館君を罵倒した。館君が笑っているのがわかる。何のサインだったんだろ。
「・・・あの馬鹿。」
隣で望が頭を抱えて呟いた。
「え、どういう意味?」
「やってみたらわかるわよ。」
と、言われた通りにやってみる。手を叩いて、パン、ツー、丸・・・見え!私はもう一回相手スタンドを見た。あ、チアガールだ。スパッツを履いているのでパンツは見えないが、そりゃイメージの中ではパンツ。私は呆れた。
だけど、グラウンドを見ると何だか守備陣は穏やかな表情になっていた。仲林君も、さっきの表情がなくなっていた。
「・・・リラックスさせるためにあんな?」
「他にも方法があるだろうに・・・」
望は呆れて溜め息を着く。だが、何だか嬉しそう。そっか。二点取られて勝ち越された仲林君が気負いしているのを、あんな冗談でリラックスさせたんだ。何かいいなぁ。
それが効いてか、仲林君は次の二人をピシャリと抑えた。それにまた私たちは声を上げる。
このスタンドでは全員がひとつだった。ガリ勉もチャラ男もオタク系も体育会も地味もギャルも。全員が叫び、歓喜し、苦しみ、興奮し、応援している。今時の高校生は、なんて言われてるけどこんな姿見たらその世間の声の薄っぺらさを感じる。大人は見てない、私たちのこんな顔。今時の高校生も捨てたもんじゃないんだから。
怒号のような歓声。ひとつになる応援。体を奮わすのは、心を奮わすのは、彼らが作り出す高い金属音と低くグラブを鳴らす球音。一年前の夏もここで私は彼らに思い知らされた。私の本音。やりたいこと。好きなこと。どうなりたいか、どうしたいか。
私は彼らみたいになりたい。人を奮わすことの出来る人間に。そして出来れば、努力で軌道を変えた仲林君のように。あなたのように、私はなりたいよ。
暑い、熱い、夏。
俺は去年ここで泣いた。
俺は去年ここで負けた。
泣かせたのも負けたのも、自分が弱かったからだ。
そしてまた俺はここで勝負に立っている。
八月 仲林 哲司
ベンチに戻りながら、俺は館の背中をグラブで叩いた。
「何だよ、あれ!」
「いやぁ、いいよな。チアガール。うちも女の子いるんだからやりゃよかったんだ。」
「馬鹿。」
ベンチに座って、肩を冷やす。六番バッターが素振りをしてバッターボックスに歩き出す。俺はそれを見つめた。
ピッチャーは点をやらない。バッターは点を獲る。どっちが欠けても勝負には勝てない。どちらかが相手に勝らなければ勝負は終わらない。タイムアップのない野球は、最後まで何が起こるかわからないんだ。
人生が九イニングあるとしたら、俺って今何回の裏表どっちにいるんだろう。
いつの間にか六番は倒れ、七番がバッターボックスに立っていた。俺は慌ててバットを取って素振りに行く。この円に入ると、嫌でも緊張してくる。だけど、七番は倒れ、俺もセンターフライを打ち、この六回裏を終えてしまった。
アウトを取られる瞬間の、なんて悔しいこと。あの白い球の行方が、このグラウンドに立っている男子全員の行方。俺達はあいつに運命を左右されている。
七回、八回とも、俺は三者三振でゼロに抑えた。これ以上点をやるもんか!だけどそれは相手も同じ。俺達も無失点で抑えられた。
そして九回。俺はピッチャーマウンドに立つ。グラウンドの一番高い所。俺の、場所。その先には館がいて。そこは館の場所。
ファーストの場所。
セカンドの場所。
ショートの場所。
サードの場所。
レフトの場所。
センターの場所。
ライトの場所。
それぞれの、場所。
その場所を勝ち取ったのは、彼らの、俺自身の力。「あの時」まで、俺は自分にそんな力があるなんて知らなかった。俺は館を見た。すると、ぼんやりと子供の頃の館が浮かぶ。俺を日向に連れ出した館。三年間、ずっと向かい合い続けた館。
なぁ、館。俺まだお前とキャッチボールしてぇよ。
バシィィィィ!
俺の投げたボールは館のミットを鳴らした。ストライクど真ん中。館からボールが返ってくる。俺はキュッとボールを握った。
に、しても甲子園は暑い。喉元で汗が流れるのがわかる。俺達どれくらいの汗かいてんだろ。去年もやっぱり暑かったな。
ドスっ。
投げた球は土を打ち館のミットに入った。バッターは振っていない。ボールだ。館は球に付いた土を払って、俺に返す。
前に井倉に言われたな。「甲子園でツーアウトから逆転サヨナラくらったバッテリーなんか」。俺は思い出し笑いをする。あいつのせいで俺ボウズになったんだ。
バシィィィン!
内角に入ったボールが、館のミットに収まる。これでツーストライク。館が山なりに返球する。
俺は帽子を取って額の汗を腕で拭った。伸びてきた髪。あぁ、もうすぐあれから一年なんだ。そして俺達はもうすぐ後ろに次の扉を背負ってるんだ。
カンッ!
俺はすぐに球の軌道を追った。球はセンター前に転がった。打者はファーストで止まる。
センターからボールが返ってくる。だが、球だけじゃなくて。
「ドンマイ!」
すると他の守備も声を上げる。叫びに近いその力強い声。俺はそれを背に、戦っている。俺は館を見た。館はグッと頷いた。
なんて、心強い。なんて、気持ちのいい。
次のバッターが構える。俺は、ファーストランナーをチラリと見て、振りかぶる。その瞬間!俺の背後で土を蹴る音がした。走った?ボールはミットへ辿り着くとすぐさま館の強肩によってセカンドへ送られる。俺はその道を邪魔しないよう素早くしゃがんでセカンドを見た。ランナーは必死でベースに飛び込む。そして・・・
「・・・・アウトォォォ!」
拳を握って審判は高く腕を上げた。セカンドと館がガッツポーズをする。スタンドからは大歓声。沸き上がる場内とは逆に、ホッと安心する俺。って気を抜くな。そうだ、安心してる場合じゃねぇ。ここで点取られたらかなりやべぇんだ。
俺はセカンドから球をもらって、また館と向い合った。
俺達の夏を終わらせないためには、ここで踏ん張らなきゃ。夏をまだ味わいたいなら、ここで根性見せなきゃ。
俺は渾身の力で投げた。
ガンッ!
ボールは一塁線側に転がる。俺は速攻で取り、丁寧に一塁に投げた。一塁はアウト。これでツーアウト。あと、ひとつ。
次のバッターが入ってくる。相手は最強の四番。一塁は空いている。ここで敬遠してもいいだろう。なんせ相手は初戦で二ホーマー打った奴。しかも予選からここまで、ひとつも三振がないという怪物。勝つことを考えれば、ここで逃げるのも策。いや、正しい。そうするべきなんだ。
・・・だけど、なんだろう。
ワクワクしてないか?
この大事な場面で。
この大事な局面で。
ワクワクしてる。俺。
やべ・・・楽しい。
俺は館を見た。館はピースして見せた。足の間からのサインじゃなく、ただのピース。
・・・え。
俺は監督も見た。すると監督もピースしていた。
・・・マジ?
そして俺は背後のみんなを見た。やっぱり全員でピースしてやがる。
・・・・・・・こいつら。
馬鹿?
って、俺も馬鹿。
俺はひとつ深呼吸をしてから、真っ直ぐに館のミットを見た。
バンっ!
一球目は大きく外れてボール。
バッターは手に息を吹きかける。一球目が外れ玉でも、バッターは俺が勝負しようとしていることをわかってる。あいつも俺と勝負するの楽しいのかな。俺みたいにワクワクしてんのかな。ならなおさら負けられない。好敵手と認められているからには。
バンッ!
二球目ストライク。バッターは思い切りスイングしてきた。
館からの返球。俺は受け取ってから、右手の汗を拭いた。暑さのせいだけじゃない。緊張から来る汗。俺は息で手を乾かすと、球を握った。そして高く膝を上げて。
バシィ!
三球目は外角ギリギリボール。
絶対フォアボールなんか出すもんか。俺は館から返って来たボールをさっきよりも強く握った。相手校の吹奏楽の音が甲子園に響く。俺は膝を高く上げ大きく振りかぶって。
バシィィィィン!
四球目は内角高めのストライク。
ボール玉にバッターがものすごいスイングをしてきた。
あと、ひとつ。
ガンッ!
「ファール!」
カキィィィン!
「ファール!」
カツンッ!
「ファール!」
あと、ひとつ。
カキィンッ!
「ファール!」
バシィ!
「ボール!」
カキィン!
「ファール!」
・・・・・
・・・もう、何球投げたのかわからない。たぶんバッターも何回振ったかわかんないだろう。
あとひとつ。
あとひとつに、俺も、バッターも真剣だ。
・・・正直、苦しい。
暑くて、しんどくて。
必死とか、緊張とか通り越して。
だけど何故かだんだん汗が引いていく。
そして何だか鋭い感覚が血の中を走っていく。
・・・あれ?
静かだ。
スタンドの応援も、吹奏楽の音も、何もない。
バッターがいない。
館もいない。
静かだ。
小学校の頃の保健室を思い出す。
ブラックアウトの次に見る一枚だけタイルの剥がれた天井。
もしかして俺、倒れた?あの頃みたいに。
俺またポカやった?去年みたいに。
だって周りが暗い。
立っているのは俺だけ。
じゃあ次に世界が開けたとき目に映るのは、医務室の天井だろうか?甲子園の空かな?
「仲林も来いよ。」
あれ?誰だ?
誰かの声が聞こえた。
あぁ、そうだ。
この声。
俺を太陽の下に連れ出した声。
あいつの声だ。
俺の視線の先に、見慣れたミットが浮かび上がる。昔、俺が欲しかった物がそこにあった。そして今もまだ、そのミットの中に俺の欲しい物がある。お前も実は詰め込んでるんだろ?俺と同じ、優勝っていう未来を。
なぁ?館。
一気に視界が開ける。急に防音の壁が崩れたように、周りの音が耳を奮わす。俺には長い時間に感じられたけど、数秒しか経っていないらしい。俺は強く握っていたボールを見つめた。この白球の行方が俺達の運命を左右するってさっきは思ったけど・・・違うな。去年前原さんに「最後に決めるのは自分しかいない」って自分で言ってた。白球が俺達を左右するんじゃない。俺達が白球の軌道を決めるんだ。
俺は館のミットのど真ん中を見た。館は中央に構えて動かさない。フルカウント。俺達は真っ向勝負に賭ける。
思い切って投げたい。
ただ見ていただけの世界。
今は、ちゃんとその中にいる。
そしてまだ、
ここから抜け出したくないんだ!
膝を高く上げ、大きく振りかぶって、深く踏み込んで、腕を目一杯伸ばして、渾身の力を込めて。
俺は館のミットへ向かって、心を飛ばした。
速く速く。
速く速く。
バッターも今までにない気迫でバットを振ってきた。
そして・・・・・
バスゥゥゥゥゥゥゥン!
・・・・・・・・
・・・・・・・・
・・・・・・・・
球場が一瞬シンっとした。
まるで俺が初めて館のミットに投げた時のようだった。そして主審が高く拳を空に向かって伸ばした。
「・・・・・ストライク!バッターアウト!」
次の瞬間、一気に球場を奮わす歓声が鳴った。球場の観客も、俺達の応援団も、相手校の応援も、俺達のベンチも、そして相手ベンチも。総立ちになって声を上げていた。
今、俺はその真ん中にいる。
今、俺はそれを感じている。
今、俺は・・・
バッターが悔しそうにベンチに戻っていくのに気づいて、俺もベンチに走った。そうだ。まだ勝負は着いていないんだ。九回裏。俺達の攻撃。
七番バッターがバッターボックスへ入る。勢いはこっちにあった。俺も自分のバットを取って用意をする。すると館がやって来た。
「仲林。」
「ん?」
「まだキャッチボール続けようぜ。」
・・・・・
「・・・あぁ!」
すると。
カキィィン!
七番の放ったボールはレフト線を走った。そして七番バッターは一塁を蹴って二塁へ。
次は俺だ!
俺はバッターボックスへ入り、ジッとピッチャーを睨んで構える。ここはやっぱりバントか?監督を見る。すると、振れ!というサイン。・・・同感。同じピッチャーだからわかる。二点リードしているとは言え背後にはランナーを背負って、しかもこの雰囲気。甘いボールが必ず・・・・来た!
カキンッ!
ちょっと詰まったか?それでもセンター前に落ちて、俺はファーストを踏んだ。二塁ランナーは三塁に。
ノーアウト一塁三塁。次はラストバッター。
カンッ!
打ち上げたっ。ライトがしっかり取ってワンアウト。そして三塁ランナーが走った。ライトからは中継なしの返球が返ってくる。どっちが速いか!ランナーはヘッドダイビングをしてホームに突っ込む。ほぼ同時にキャッチャーにボールが返る。ぶつかり合って審判を見上げる二人。一点返した五回裏をもう一度再生しているみたいだ。だが。
「アウトぉぉぉ!」
結果は五回とは違った。アウトを取られて来れでツーアウトだ。次は一番。館まで回れば・・・
一球目、ボール。打者は慎重に球を見極める。そして二球目。
カァン!
っっっ!内野ゴロ!くそっ!それでも俺は必死で二塁を目指して走った。陸上選手よりも速く。そして二塁について一塁を見ると、なんとランナーが立っている。どうやらピッチャーがホールディングをしくじったらしい。その上一番は野球部一の俊足だ。また球場が沸いた。こんなギリギリの試合。誰だって興奮する。
ツーアウト一塁二塁。二番バッターがボックスに入る。俺は走る用意をしていた。そして、金属音が鳴ったと同時に俺は駆けた。もう周りは見えない。歓声が沸いた。それが何の歓声なのかはわからない。だけどとにかく三塁へ向かった。そして三塁直前に後ろを見ると、ライトがバックホームしてきた。他のランナーは止まっている。だけど、俺は止まらなかった。
速く速く。
陸上選手よりも、新幹線よりも、飛行機よりも、風よりも、もっともっと速く。
目の前にホームベースが現れる。俺は無我夢中で飛び込んだ。さっきのアウトのことなんか、少しも頭を過ぎることなく。俺は飛んだ。
・・・・・
今日三回目のクロスプレーの判定は?
「セーーーーーフ!」
何度も何度も、審判の腕が空を切る。
・・・やった・・・
一点、返した!
「っしゃあああ!」
ガッツポーズをしながら、俺はベンチへ向かった。その途中、ネクストバッターボックスを見た。そこにはニコリとも笑わない館の姿。その横顔は、きっと次を見てる。上を見てる。
相手はタイムを取り、内野手が集まっていた。伝令が何か伝える。そしてみんながピッチャーの肩を叩いて励ましていた。そしてタイムが終わった後のピッチャーの顔つきは、迷いがなかった。スキッとした眼。
「ストライク!」
一球目はど真ん中ストレート。そして二球目。
カンッ!
ボールは内野に転がった。
今度はピッチャーは冷静に捕球して、一塁へ投げる。そして白球はランナーが辿り着く前に一塁のグラブへ入った。
・・・・あ。
・・・・あぁ。
俺は空を見上げた。
「アウト!ゲームセット!」
青い空が、滲んで見えた。
相手ベンチは抱き合いながら喜んでいた。俺達のベンチは一人一人で同じ悔しさを味わっていた。残塁打者とバッターボックスの打者は立ちつくしていた。そして・・・
館はその場に膝を着き、額を地面に擦り付けて泣いていた。
何度も何度も地面を叩きながら、大声で泣いていた。
整列の声がかかって、俺は立てないほど力が抜けた館を抱き起こした。大きな体を奮わせ、館は一歩ずつゆっくりと列に向かう。俺と一緒に。あの日から夢見てた球場にサヨナラを言うために。俺達は肩を並べて、歩いた。




