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リアルサウンド  作者: cline
11/15

七月   井倉 正良

自分という存在は、他の人間によって成り立っているのか。それとも、自分であるという時点で成り立っているのか。外と内。

 なんてことだ。僕としたことが。学校を出て十分も歩いてから気が付くなんて。俺は雨の中帰り道を引き返した。宿題の出ている教科書を教室に忘れてきたのだ。晴れていればまだこの道も大して不快には感じないかも知れないが今日は雨。梅雨はまだ明けない。早く晴れて欲しいものだ。

 こんな雨の日の放課後は静かだ。運動部は休みか室内で基礎練でもしている。

 教室に着いてドアを開けると、教室の隅に誰かがまだ残っていた。

「あ、井倉君。」

「真辺?」

 彼女は真辺と言って、クラスでも比較的大人しくて目立たない小柄な女の子だ。だが成績は上位。

「どうしたの?」

「忘れ物して。」

僕は自分の机の中から教科書を取り出すとさっさと鞄に入れた。

「じゃあな。真辺も早く帰れよ。雨ひどくなるぞ。」

「うん。バイバイ。」

そう、僕達はそっけなく別れた。じめじめした教室に、彼女は一人で何をしていたのか。その時は何の疑問も持たずに。


 次の日、期末の成績が返された。僕は見事に二位。いつもの事ながら肩を落とす。ほぼ対角線上に座っている前原を見ると、大して喜んでもいない。最近美大の講習も受けているくせに、なんであいつは成績落とさないんだ?まぁ前原が落ちて繰り上げ一番になっても嬉しくはないが・・・でも数字は確かな物だから。何かを表すのには一番わかりやすい。だから僕は一位が欲しいのに・・・。

 さっきまで晴れていた空は曇り始めた。


 そして放課後、今日も雨の中帰り道を戻っていた。また忘れ物をしたのだ。今度はノート。大して今日必要というわけではないが、毎日机を空っぽにして帰る僕としては残して帰るのが気持ちが悪かった。溜め息を着きながら丁度教室の真下を歩いていると、急に目の前に雪が降ってきた。しかし、すぐに雪ではないことに気が付く。白い紙吹雪?見上げると、うちの教室の窓だけ開いていた。ということはうちのクラスから?僕は雨でふやけた紙吹雪を数枚拾い上げる。よく見ると、数字が書かれていた。九二とか、八十八とか、九十六とか・・・。もう一枚見ると、『現国』とあった。・・・成績表だ。一体誰の?

 教室に入って、開いた窓の付近を見てみた。入ってきた雨が机を濡らしている。そこに一枚、さっきの破片が残っていた。見てみると出席番号四二番とあった。四二?確か前原が四一だった気がするから、その次・・・

フッと、昨日の放課後を思い出した。昨日ここで会った彼女の出席番号は四二。

「・・・真辺?」


「お風呂、入りなさい。」

 家に帰ると母親が台所で仕事をしながら、背を向けたまま言った。俺は「はい」とだけ返しそのまま風呂場へ直行した。

 すでに沸かしてある風呂に浸かりながら、あの成績表が気になった。なぜ破いて捨ててしまったんだろう。あれを真辺自身が破いたんだとしたら、それが不思議で仕方なかった。彼女はなかったことにしてしまいたいほど成績が悪いわけではない。逆に自慢していいほどのはずだ。なのになぜ?視界を、湯気が覆って目の前がぼんやりとする。ポトっと天井から水滴が落ちて僕の肩に落ちる。それはいやに冷たかった。

 風呂から上がって洗濯機の上にあった服に着替えると、水を飲みにそのまま台所に行った。テーブルにはすでに夕飯が用意され、食べられるのを待っていた。その食卓を見ながら

「父さん待たないんですか?」

と、聞くと母親はまた背を向けたまま答える。

「今日は遅いらしいから。」

そう言って茶碗にご飯を注いで出した。僕は席に着く。母親も自分のご飯を装って席に着いた。向かい合わせの食卓。僕には少し苦痛だった。いつも無言で食事を進めるこの時間が。だからなるべく母親を見ないように、ご飯を食べた。


 そして次の日も雨は続いた。

 僕は何となしに真辺を目で追っていた。こうして見てみると、彼女は本当に目立たない。授業は真面目に聞いてるし、休み時間に騒ぐというわけではない。かと言っていつも一人ではなく前原や他の女の子と会話もする。だが、常に誰かと一緒にいるわけでもない。昼休みは一人で何処かへ消えてしまうし、休み時間に一人でいることもままある。浮くこともなく沈むこともなく、だがこの空間で彼女は独りだった。俺にはそう見えた。気づいたのは僕もそうだからだろうか。なんて、自嘲してみたが。

 放課後、僕はまた教室に戻った。今日は忘れ物があるわけではなく、彼女がいるだろうと確信を持って。

 案の定、真辺は一人教室に残っていた。

「どうしたの?」

一昨日と同じ事を聞く。だが返す言葉は違う。

「そっちこそ。」

僕は言いながら彼女の所へ歩み寄った。そしてポケットから昨日の紙吹雪を取り出して彼女に差し出した。彼女は少し驚いた顔。

「・・・」

「昨日、空から降ってきた。真辺が降らしたの?」

すると、真辺は小さく頷いた。

「なんで?」

「・・・必要ないから。」

「どうして?」

すると、真辺はフッと笑った。

「井倉君さっきから質問ばっかり。」

「だって不思議だからさ。」

「・・・いらないから捨てた。それだけ。」

そう答えると、真辺は鞄を持って行こうとした。俺はその腕を掴んだ。

「俺と似てる気がしたんだ。」

とっさに口にした言葉だった。そう、気になっていたのはそれが大きかった。何が、と明確にはわからないが何かが。

「真辺も一番になりたいの?」

「え?」

「僕がそうだから。」

「・・・違うよ。」

真辺はスッと目をそらす。僕は彼女を戒めていた手を離したが、彼女は行こうとしなかった。そして窓辺に立つと降りしきる雨を眺めた。

「そんなの、何の意味もないの。私には。」

言うと、首を数回横に振り

「私だけじゃない。誰にとっても意味はない。」

と言った。一位を獲ろうとしている俺にとっては衝撃的な一言だった。だから聞かずにはいられなかった。

「・・・どういうことだ?」

怪訝な顔をしていたのだろう。真辺は僕を見るなり慌ててフォローした。

「いえ、別に井倉君が無意味だってわけじゃないの。ただ・・・」

「ただ?」

「成績で人を繋げるわけじゃないから。」

・・・・・・

その時浮かんだ顔。誰の顔かは言いたくない。だがそいつはしばらく居続けた。

「成績が悪くても繋がりを持てる人は持てる。頭の良さなんて関係ない。」

「・・・それって繋がりたいってこと?」

「・・・私ね、友達がいないんだ。名字じゃなく名前を呼べる友達。」

クラスメイトはただのクラスメイト。彼女には゛特別゛がないんだ。僕は今日の真辺を思い出していた。すると、ある事に気が付く。真辺とクラスメイトの会話。あれはいつもクラスメイトから真辺に話しかけている。今日、真辺から声をかけた場面は一度もなかった。

「・・・甘えてるんじゃないのか?」

言うと、真辺は眉間にしわを寄せて僕を見た。そしてバツの悪そうな目。真辺は気づいていたのかも知れない。だけど僕は敢えて続けた。

「待ってるだけで繋がれないなんて、随分と身勝手な話だ。君は努力してないんじゃないか。」

まぁ努力してもどうにもできないことはあるけど。

「気付よ。みんなは君を・・・」

・・・あれ。何だろう。自分の中で何かを見つけた気がする。一瞬、欲しい答えが見えたような・・・

 すると真辺はいきなり走り出してしまった。僕はハッと我に帰ってその後を追った。言い過ぎたかな。

 真辺の背中を見ながら、僕はさっきの答えを探る。言おうとした言葉。それは「みんなはお前を認めている。」そう。クラスの連中は真辺をそこにいないかの様に無視をしているわけではない。いることをちゃんと知っている。だからこそ声をかけているんだ。わざとらしい同情とかそんなんじゃなく。ただもう当たり前に。A組という箱に入った時点で、僕たちはひとつの物体になっていた。きっとそれを言葉で表したら、友達。真辺はそのすぐ近くにある答えを見逃していただけに過ぎない。そして僕も。

 真辺を追いかけて、僕は階段を駆け上がった。踊り場にある小さな窓からは雨の風景。まだ止まない。だけど、さっきよりも小降りになってきているのは気のせいだろうか。そのまま真辺は最上階の階段を駆け上がっていく。その先は屋上。・・・まさかっ!

「真辺っ!」

 バンっと真辺は屋上の扉を開けて勢いよく飛び出した。遅れて僕も外へ出た。そこで開ける視界。だが雨に遮られて遠くまでは見通せない。まるで僕らの心の様だ。

「・・・真辺?」

僕が怖ず怖ずと声をかけると、真辺は笑って振り返った。少し悲しげに、笑って。

「大丈夫、死んだりしないよ。」

ずぶ濡れになりながら僕たちは歩み寄った。

「死ぬほどのことじゃない。だけど、上手く生きられない人は大勢いる。みんなができることをどうしても出来ない人もいるの。私が出来ないのは手を伸すこと。」

真辺はゆっくり手を伸ばす。彼女の頬を雨が伝っていた。

「伸ばすこと、ないよ。」

「え?」

僕は彼女の手の平に、自分の手を伸ばしてそっと置いた。

「もう手は伸ばされてる。」

後は、自分が気が付いて答えるだけなんだ。

 雨はゆっくりと勢いを弱め、少しずつ止んでいく。

「みんな君を知ってるよ。」

 空が急に明るくなった。僕と真辺は反射的に手で目を覆いながらもそれを眺めた。青からから白の世界へ出たような感じ。切れた雲からもれ出す日差しは、何となく夏の匂いがした。

「明けたのかな・・・」

「え?」

「梅雨。」

そう笑う彼女は、この空のように晴れやかになっていた。

 屋上でビショビショの二人。格好悪くて、情けなくて、何だか愛おしい。フッと僕が笑いを漏らすと、つられたのか真辺も吹き出す。そしてスイッチが入ったように僕らは互いを、自分を笑った。唯々、笑った。


 濡れ鼠のまま家に帰ると、母さんは目を丸くしていた。初めて見る母さんの表情にこっちも目を丸くした。そしてそのまま風呂場へ直行。やっぱり沸いてある風呂。

 雨の日の風呂。用意された洗いたての服。温かいご飯と。母さんはいつだって僕に優しかったんだ。

「僕は母さんのカレー好きですよ。」

 父さんと母さんとの三人での夕食。カレーを食べながら僕が急にそんなことを言ったものだから、二人ともびっくりしている。そして少しすると、母さんが泣き出した。これには俺も驚いた。

 後で聞いた話だが、母さんも僕に対してどう接していいかわからなかったそうだ。母さんは小さい頃に母親をなくして母親の愛情を直接受けたわけではないらしい。そして自分には子供が出来ず、その上もらった養子は男の子。女の子なら同性という点でまだやりやすかったのかもしれない。しかも僕は扱いの難しいタイプ。だから戸惑っていたらしい。こんなに長い間、僕たちは同じ事を考えて同じ事で躓いていたんだ。血が繋がっていないけどやっぱり親子だなって、何となく嬉しかった。

 

 きっとこれから社会に出ても、上手く伝えられない事がたくさんあると思う。だけど向き合えば分かるんだろう。相手を見れば分かるんだろう。大事なのはその人を好きだということ。そうすれば自ずと相手もこっちに体を向けてわかろうと努力をしてくれる。だって相手も同じ人間だから。


 次の日から雨は止み、しばらくして梅雨明け宣言が出された。梅雨前線は遙か彼方に行ってしまった。僕らの雨を持って。


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