第2話 未知職業《画装士》
翌日の放課後、俺は白石紬と一緒に探索者協会の支部へ向かっていた。
本当なら、職業が発現したことを学校へ報告して終わりでもいい。職業を持っているからといって、必ず探索者にならなければいけないわけではないからだ。
《料理人》がレストランに就職することもあれば、《剣士》なのに普通の会社員として働いている人だっている。職業は向いていることを教えてくれるだけで、人生まで決めるものじゃない。少なくとも、建前ではそういうことになっている。
「絶対ニヤけてる」
隣を歩いていた紬が言った。
「ニヤけてない」
「じゃあその口元なに?」
「普通」
「昨日からずっとそれ言ってるよ」
うるさい。否定しながらも、自分で頬を触ってしまった。
昨日、美術室で《画装士》が発現してから、頭の中がずっと落ち着かない。家へ帰ってからも何度か《武装抽出》を試した。
《聖ゲオルギウスと竜》。
そう念じれば、昨日と同じ長槍が現れる。解除しようと思えば粒子のように消えて、また呼び出せる。複製画が家になくても問題なかった。
一度登録した作品は、俺の中のどこかに記録されているらしい。分かったのはそれくらいだった。武器の正式名称も、性能も、どうして《画装士》なんて職業が俺に発現したのかも分からない。
それでも、自分の手から槍が現れるたびに笑いそうになる。十八年間何もなかった反動だと思えば、少しくらい浮かれても許されるはずだ。
「で、本当に探索者になる気?」
紬が聞いた。
「まだそこまでは決めてない」
「昨日、夜十一時に『また槍出た』って写真送ってきた人が?」
「確認作業」
「十一時半に『消してからもう一回出せた』」
「検証」
「十二時過ぎに『片手でも出せる』」
「重要だろ」
「楽しんでるじゃん」
返す言葉がなかった。紬は勝ち誇った顔をしている。
「でも、まあ」
少し歩いてから、紬が前を向いたまま続けた。
「嬉しいならよかった」
その言い方が思ったより普通だったせいで、逆に反応に困った。
「……何だよ急に」
「別に。ずっと気にしてたの知ってたし」
「気にしてない」
「昨日、自分で『十八年待ったんだぞ』って言ってたけど」
「忘れろ」
「無理」
即答された。こいつに職業発現の瞬間を見られたのは、かなり失敗だったかもしれない。
けれど、一人だったらあそこまで素直に喜べなかった気もする。それは言わないでおいた。
探索者協会の支部は、駅前から十分ほど歩いた場所にある。十階建てほどの大きな建物で、正面には《日本探索者協会・東部第三支部》と書かれていた。
中へ入ると、想像していたより普通だった。
銀行と市役所を足して二で割ったような受付。その奥を、武器ケースを背負った人間や作業着姿の職員が行き交っている。ただ、壁に表示されている内容だけは普通じゃない。
《第三地下区画・侵入制限解除》
《本日の素材買取価格》
《D級指定依頼 グレイファング十五体討伐》
ニュースで見るような文字が、当たり前のように並んでいた。
「初めて来た?」
「一般エリアは」
「緊張してる?」
「してない」
「受付のお姉さん三回見てた」
「案内板見てたんだよ」
「そっちじゃないけど」
「帰るぞ」
「ごめんごめん」
笑いながら腕を引っ張られた。
受付で職業発現の登録をしたいと伝えると、番号札を渡され、十分ほど待ったあとに個室へ案内された。
紬も当然のようについてくる。
「お連れの方はご家族ですか?」
担当の女性職員に聞かれた。
「違います」
「友達です」
俺と紬の声が重なった。
職員が一瞬だけ俺たちを見比べる。
「では、ご本人が同席を希望される場合のみ可能です」
「帰っていいぞ」
「希望します」
「俺の意思は?」
「緊張するでしょ?」
「しない」
「さっき受付の人――」
「座れ」
紬が楽しそうに隣へ座った。
担当職員も少し笑っている。恥ずかしい。
「では黒瀬彩人さん。昨日、初めて職業が発現したということで間違いありませんか?」
「はい」
「発現時刻は分かりますか?」
「正確には……放課後なので、四時半くらいだと思います」
端末へ入力されていく。
生年月日、住所、学校名。そこまでは普通だった。
「では職業情報の確認を行います。こちらへ手を置いてください」
机の端から、黒い板のような端末が出された。手のひらほどの大きさで、表面には薄く青い光が流れている。
「これでレベルも分かるんですか?」
「はい。ただし職業名と現在レベルは協会の登録情報として保管されますが、原則として外部には公開されません。スキルについては、ご本人の同意なしに読み取ることも登録することもありません」
少し安心した。
《画装士》がどんな職業なのか自分でも分かっていない以上、全部知られるのは正直気持ちが悪い。
「探索者になった場合でも?」
「同じです。一般に公開されるのは探索者ランクや所属など、一部の情報だけになります。クラン加入時などに能力の開示を求められる場合はありますが、それは協会ではなく契約上の話ですね」
「探索者ランクって、あそこに出てたD級とかですか?」
「そうです」
職員が頷く。
「探索者ランクはE、D、C、B、A、Sの六段階です。初めて探索者登録をする方は原則としてE級から始まり、実績や探索経験、依頼の達成状況、安全面での判断などを協会が審査して昇格していきます」
「レベルとは別なんですか?」
「別です。レベルが高いからといって、自動的に探索者ランクも上がるわけではありません。魔物を倒す力だけでなく、安全に探索を続けられるかどうかも重要ですから」
なるほど。
壁にあった《D級指定依頼》という表示も、単純にレベルで区切られているわけではないらしい。
「探索者登録を希望される場合は、職業登録のほかに初心者講習なども受けていただきます。詳しい制度については、その際に改めて説明しますね」
「分かりました」
今の時点で全部覚える必要はなさそうだった。
それより、《画装士》の場合は登録した作品そのものが戦力情報になる。もし本当に探索者になるなら、何でも他人に喋るのは避けた方がよさそうだ。
「じゃあ、お願いします」
端末へ手を置いた。一瞬だけ冷たい感触がして、青い光が指先から手首へ走る。
数秒後、職員が端末を見たまま止まった。
「……あれ?」
嫌な言葉だった。
「何かまずいですか?」
「いえ。少々お待ちください」
職員は端末を操作し、もう一度表示を確認する。
それでも納得できなかったのか、今度は別の項目を開いて検索をかけ始めた。
紬が横から覗こうとして、俺に肩を押し戻される。
「見えない」
「見なくていい」
「私、レベル知ってるのに」
「そういう問題じゃない」
しばらくして、職員の眉間に皺が寄った。
「黒瀬さん。少し珍しいケースです」
「何なんです?」
職員は少し迷ってから、端末をこちらへ向けた。
表示されていたのは、
《氏名:黒瀬彩人》
《レベル:1》
そして、
《職業:画装士》
そこまではいい。
その下に赤い文字が出ていた。
《該当職業データなし》
「……ない?」
「少なくとも、国内の協会データベースには登録例がありません。念のため別表記や類似職業も照合しましたが、該当するものは見つかりませんでした」
紬が俺より先に身を乗り出した。
「新職業ってことですか?」
「断定はできません。海外で確認されている職業が国内データベースへ反映されていない場合もありますし、非常に稀ですが、既存職業の特殊派生というケースもあります」
職員はそう説明しながらも、明らかに興味を持っていた。
昨日の紬と同じ、珍しいものを見つけたときの目。
「ちなみに、どのような能力か分かりますか?」
来た。
紬がこちらを見る。俺は少し考えた。
隠す意味もない部分だけなら、話していいだろう。
「絵から武器を出せます」
職員が止まった。
「……絵?」
「はい」
「武器を?」
「はい」
「実物の絵画から、武器を取り出すという意味ですか?」
「正確には、一回登録した絵に描かれている武器を呼び出せる、だと思います」
説明しながら、自分でもかなり変なことを言っていると思った。
職員は端末に何かを打ち込みながら、何度か頷いた。
「登録済みの作品は?」
「一枚です」
「差し支えなければ作品名を伺っても?」
少し迷った。けれど最初の一枚くらいなら構わない。
「《聖ゲオルギウスと竜》」
横で紬が小さく笑った。
「昨日『長い』って言ってたのに、もう普通に言えてる」
「黙れ」
職員が吹き出しそうになっている。
真面目な話をしているのに。
「武装をこちらで再現していただくことは可能ですか?」
俺は職員を見る。
「ここで?」
「いえ、安全確認が必要ですので実技試験室へ移動します。探索者登録を考えている方には、能力確認を兼ねた基礎的な実技確認も行っています。今回は未知職業ですので、可能なら能力だけでも確認させていただきたいです」
「まだ探索者になるって決めてないんですけど」
「もちろん、今日決める必要はありません。結果を見てから考えていただいて大丈夫ですよ」
どうする。紬を見る。
「私は見たい」
「聞いてない」
「絶対見たい」
目が輝いている。少しくらい迷え。
とはいえ、俺も同じだった。昨日は武器を出しただけで、実際に何ができるのかまではほとんど試していない。
「……お願いします」
そう答えると、職員が立ち上がった。
地下二階の実技試験室は、学校の体育館より少し小さいくらいの広さだった。壁も床も灰色で、奥には人型の試験標的が何体か並んでいる。
「すご」
初めて見る設備に思わず声が出た。
「初心者みたい」
「初心者だよ」
「そっか」
紬が妙に嬉しそうに笑った。お前は何目線なんだ。
先ほどの職員に加えて、今度は体格のいい男性職員も一人やってきた。首から下げた職員証には《実技査定員》と書かれている。
「黒瀬彩人君ね。未知職業だって?」
「らしいです」
「面白いな」
それだけ言って笑った。
こっちは人生が変わったばかりなのに、完全に珍獣扱いされている。
「今日は攻撃力を競う試験じゃない。能力が正常に発動するか確認するだけだ。無理に振り回さなくていい」
「分かりました」
「じゃあ、やってみよう」
俺は試験室の中央へ出た。
何も持っていない右手を前へ出す。
昨日は絵に触れていた。家では何度か成功している。それでも、人に見られながら使うのは初めてだった。
少しだけ緊張する。紬と職員たちの視線が集まる。
「……《武装抽出》」
昨日覚えたばかりのスキル名を口にする。
別に声に出さなくても使える。ただ、なんとなく言いたかった。
意識の中に登録作品が浮かぶ。
《聖ゲオルギウスと竜》。
その中に描かれた槍へ意識を向けると、手のひらに冷たい感触が生まれた。直後、何もなかった空間から長い柄が滑り出す。
穂先。柄。石突。
最後まで現れたところで、俺は長槍を握り締めた。金属の重さが腕へ伝わる。
成功した。それだけなのに、また口元が緩んだ。
査定員が目を見開いていた。職員も無言だった。
紬だけが、
「やっぱ格好いいな、それ」
と素直に言った。
「だろ?」
反射的に返す。
「うわ、調子乗った」
「お前が褒めたんだろ!」
笑い声が試験室に響いた。
査定員が咳払いをする。
「……なるほど。確かに武器召喚系には見えるが、普通のものとは少し違いそうだな」
「違うんですか?」
「ああ。一般的な武器召喚系は、職業そのものに扱う武器が紐づいていることが多い。《槍術士》なら槍、《魔弓士》なら弓、という具合にな」
査定員は俺の持つ槍へ視線を向ける。
「だが君の場合は、作品を登録して、そこに描かれた武器を呼び出している。少なくとも今見た限りでは、職業そのものにこの槍が固定されているわけではなさそうだ」
昨日から薄々思っていた。
もし別の武器が描かれた作品を登録したら、どうなるんだろう。
剣なら。銃なら。斧なら。それも全部、出せるのか。
考えただけで胸が騒ぐ。
そのとき、査定員が標的を指した。
「せっかくだ。一度だけ突いてみるか?」
「いいんですか?」
「軽くな。能力計測用だから壊しても問題ない」
待ってました、と言いそうになった。
紬がすぐに気づく。
「今めちゃくちゃ嬉しそう」
「うるさい」
長槍を構える。
もちろん、槍なんて習ったことはない。それでも両手で握り、穂先を前へ向けてみると、不思議と構えること自体にはほとんど違和感がなかった。
どう動けば上手く突けるのかまで分かるわけじゃない。ただ、初めて触った道具という感じがしない。
十メートルほど先の標的を見る。
一度息を吐き、見よう見まねで一歩踏み込む。腰を回しながら両腕を伸ばすと、穂先が標的の胸へ当たった。
硬い衝撃が腕へ返ってきた直後、人型標的が鈍い音を立てて後方へ倒れる。
「……え」
自分が一番驚いた。
査定員は標的のそばまで歩いていき、胸部に残った小さなへこみを確認したあと、脇の計測端末へ目を向けた。
しばらく数字を眺めていたが、やがて眉を寄せてこちらを見る。
「黒瀬君。本当にレベル一なんだよな?」
「本当にって……さっきここで測ったばかりじゃないですか」
「それはそうなんだが、この威力はレベル一の新人にしては少し妙だな」
その言葉を聞いて、横にいた紬も倒れた標的へ目を向けた。さっきまで面白がっていた表情が少しだけ変わる。
「彩人。念のため、自分でもステータス確認してみて」
「何で?」
「何か変わってるかもしれないでしょ。職業が発現したばっかりなんだし」
言われるまま、自分の状態を意識する。
見慣れない表示が視界に開いた。
《黒瀬彩人》
《職業:画装士》
《Lv:1》
そこは変わらない。
その下に、昨日まで見た覚えのない項目が増えていた。
《登録作品》
《聖ゲオルギウスと竜》
さらに、その下に薄い文字が浮かぶ。
《作品理解度:1%》
「……一パーセント?」
何だ、それ。
家で何度も槍を出したときには表示されていなかった。今初めて武器として使ったことで、何か条件を満たしたのだろうか。
そう考えた瞬間、さらに新しい表示が加わった。
《条件達成により、作品情報の一部を開示》
《武装特性:未解放》
《固有効果:未解放》
思わず息を止めた。
槍を出せる。それで全部だと思っていたけれど、どうやら違うらしい。俺はまだ、この絵からほとんど何も引き出せていない。
右手の槍を見下ろす。
さっきまでより、ほんの少しだけ重く感じた。
知らないからじゃない。この職業には、まだ俺が知らないものがある。
そのことが、どうしようもなく面白かった。




