第11話 三人の先輩
「……もう一回」
「駄目。さっきもそう言ってたでしょ」
紬にぴしゃりと言われ、俺は構えていた槍を下ろした。
石造りの迷宮へ行ってから数日。放課後の俺たちは、探索者協会の訓練施設に来ていた。
今日は狭い通路での槍の扱い方を練習している。
床には可動式の壁を二枚並べ、先日探索した迷宮の通路に近い空間を作った。壁にぶつけないよう握る位置を変えたり、踏み込む方向を調整したりしてみたものの、思ったより難しい。
槍の後端を壁から離そうとすると、今度は穂先が狙った位置からずれる。柄を短く持てば多少は改善するが、普段とは重心の感覚が違い、突きを戻すのにも手間取ってしまった。
「あと少しで感覚が掴めそうなんだけどな」
「それ、三十分くらい前にも聞いたよ」
「……そんなに前だったか?」
「うん。しかも、さっきより動きが雑になってる」
言われて自分の右腕を見ると、確かに少し重かった。槍を握り続けていたせいで、指にも疲れが残っている。
紬は壁際に置いていた荷物を持ち上げた。
「今日はここまで。次に来たとき、疲れてない状態で試した方がいいんじゃない?」
「……それもそうか」
槍を《武装抽出》で戻し、二人で障害物を片づける。
紬にも随分付き合ってもらった。自分の練習に夢中になるのはいいが、彼女の時間まで際限なく使うわけにはいかない。
「ありがとな、紬」
「どういたしまして。じゃあ、帰りに何か飲んでいこうよ。喉渇いちゃった」
「いいな。奢ろうか?」
「えっ、本当に?」
「今日、付き合ってもらったし」
「じゃあ遠慮なく、一番高いやつにしようかな」
「……やっぱ割り勘で」
「そこは頑張ってよ」
そんなことを言い合いながら訓練室を出たところで、隣の待機エリアから妙な声が聞こえてきた。
「だから、首輪じゃないって」
「どう見ても首輪だろ、それ」
「計測器。走行速度を記録するための」
「だったら何で、そいつはそんなに嫌がってんだよ?」
何の話だ?
声のする方へ目を向けた俺は、思わず足を止めた。
狼がいた。
大型犬よりも一回り大きく、全身を覆う黒い毛並みには青白い光が混じっている。金色の瞳と鋭く伸びた牙がいかにも恐ろしいのに、今は床に伏せたまま、目の前の男をじっと睨んでいた。
男は細身で、目元にかかる黒髪も気にせず、金属製の輪を手にしている。
「ほら。これをつけるだけだから」
男が輪を近づけると、狼は前脚で押し返した。
「……拒否された」
「ガハハ! 当たり前だろ! さっきから何回やってんだ!」
隣の大柄な男が腹を抱える。
短く刈り込んだ髪に厳つい顔つき、俺より頭一つ以上高い背丈。足元には大盾と片手斧が立てかけられていた。
「何してるんだ、あの人たち……」
「さあ。でも、あの狼は普通の魔物じゃなさそうだね」
紬の言う通りだった。
狼の輪郭はところどころ淡く光り、動くたびに黒い毛並みの間を青白い粒が流れている。
俺たちが立ち止まっていると、背後から女性が声をかけてきた。
「あ、ごめんね。通るのに邪魔だった?」
振り返ると、赤みのある焦げ茶色の髪をポニーテールにした女性が立っていた。
年齢は二十代半ばくらいだろうか。濃緑色の探索服は身体に馴染んでいて、腰には短めの剣を提げている。結んだ髪が肩の後ろで揺れ、襟元から覗く首筋には、細い傷痕が一本残っていた。
「いえ、あの狼が気になって……」
「ああ、あの子ね」
女性は俺の視線を追うと、すぐに状況を理解したらしい。
「律。まだやってたの?」
「あと一回だけ試したい」
「それ、私が出ていく前にも言ってたよね?」
「今度は角度を変えるから」
「角度の問題じゃないと思うけどなあ」
女性が近づくと、狼はすぐに立ち上がった。
大きな身体を彼女の足元へ寄せ、頭をぐいぐい押しつける。先ほどまで金属の輪を睨んでいたのが嘘のようだ。
「はいはい。分かったから」
女性は狼の頭を撫で、細身の男へ手を差し出した。
「律、それちょっと貸して」
渡された金属の輪を女性が持つと、狼は逃げるどころか、彼女の前にちょこんと座った。
「……あれ?」
律と呼ばれた男が、狼と女性を交互に見る。
女性は輪を持ったまま、軽く首を傾げた。
「もしかして、嫌だったのは計測器じゃなくて……」
狼が律から顔を背けた。
「ガハハハ! お前だ! 嫌われてたのはお前だったんだよ!」
「……なるほど」
律さんは真剣な顔で頷いた。
「装着する人間によって成功率が変わるのか」
「そこは普通に反省しろよ!」
どうやら、ずいぶん変わった人たちらしい。
◇
「騒がしくしてごめんね」
女性は計測器を律さんへ返し、俺たちに向き直った。
「私は篠宮玲奈。こっちの大きいのが大河原拓真で、機械ばっかりいじってるのが雨宮律。三人でパーティを組んでるんだ」
「よろしくな!」
「……どうも」
拓真さんが大きな手を上げ、律さんは工具を持ったまま軽く会釈した。
俺たちも名前を名乗る。
「黒瀬彩人です。こっちは白石紬」
「白石紬です。よろしくお願いします」
「彩人くんと紬ちゃんね。二人とも探索者?」
「はい。俺はまだ登録したばかりですけど」
「そっか。今日は訓練だったのかな?」
「彩人の槍の練習です。さっき終わったところで」
玲奈さんは紬の方へ目を向けた。
「槍って、長いから扱いが大変そうだね」
「そうなんです。最近、狭い通路の迷宮へ行ったんですけど、何度も壁にぶつけちゃって」
「狭い通路……もしかして、石造りの迷宮?」
「はい。行ったことあるんですか?」
「何度かね。壁が近い場所も多いから、長柄武器には厄介かも」
玲奈さんはそんな話をしながら、足元の狼を軽く撫でた。
さっきから気になっていたので、俺は思い切って尋ねてみる。
「あの、玲奈さん。その狼って、何なんですか?」
「ああ、紹介がまだだったね。私の《獣霊》だよ」
「獣霊?」
「うん。私の職業は《獣霊師》。獣の姿をした霊体を呼び出して、一緒に戦うの」
玲奈さんが狼の背中に手を置くと、毛並みの間を淡い光が走った。
近くで見ると、身体の輪郭がほんの少し揺らいでいる。そこに確かに立っているのに、普通の生き物とはどこか違っていた。
「触ってみる?」
「いいんですか?」
「嫌がらなければね」
玲奈さんが軽く合図すると、狼は俺の前まで歩いてきた。
間近で見ると、想像以上に大きい。恐る恐る首元へ手を伸ばすと、指先に柔らかな毛並みと、不思議な温かさが伝わってきた。
「……本当に触れるんだ」
「もっと幽霊みたいなのを想像してた?」
「はい。透けてるのかと思ってました」
「ちゃんと実体があるよ。ほら、耳の後ろも触ってみて」
言われた通りにすると、狼が気持ちよさそうに目を細めた。
「へえ、そこが好きなのか」
しばらく撫でていると、律さんがこちらへ近づいてきた。
「彩人くん、ちょっと代わってもらっていい?」
「え?」
「僕だと逃げられるから、君が計測器を……」
狼がすっと俺の後ろへ回り込んだ。
「お前、いい加減諦めろって!」
拓真さんの声が響く。
玲奈さんは狼を自分の側へ呼び戻すと、今度は律さんに向かって言った。
「無理につけなくても、床に置く計測器で調べられるでしょ?」
「できるけど、脚の動きまでは取れない」
「今日は速度だけにしておこうよ。それに、あんまりしつこいと本当に嫌われるよ」
「……もう嫌われてるみたいだけど」
律さんの返事に、拓真さんがまた大きな声を出した。
「自覚あったのかよ!」
紬が俺の袖を軽く引く。
「彩人、そろそろ帰らない?」
「あ、そうだな」
すっかり話し込んでしまった。もともと今日は訓練を終えたら帰るつもりだったし、紬もこのあと予定があるかもしれない。
「すみません。俺たち、そろそろ……」
「あ、引き止めちゃったね。ごめんごめん」
玲奈さんが道を空けてくれる。
そこで、律さんが何か思い出したように顔を上げた。
「……さっき、槍って言ってたよね」
「え? はい」
「どういう槍?」
妙に真剣な顔だった。
「どういうって……普通の槍ですけど」
「材質は? 長さは?」
「えっと……」
質問に答えようとしたところで、拓真さんが律さんの肩を掴んだ。
「お前、帰るって言ってる相手まで引き止めるなよ!」
「……そうだった」
「彩人くん、ごめんね」
玲奈さんがそう言うと、律さんもようやく引き下がった。
「……また今度、見せてもらってもいい?」
俺は紬の方を見る。
「今度ならいいんじゃない? 彩人も機械に興味ありそうだったし」
「そうだな。機会があれば、ぜひ」
「ありがとう」
律さんは短く答え、再び工具箱へ手を伸ばした。
どうやら、これ以上は引き止められずに済みそうだ。
◇
「待って、彩人くん」
待機エリアを出ようとしたところで、今度は玲奈さんに呼び止められた。
「さっき、石造りの迷宮へ行ったって言ってたよね?」
「はい」
「実は私たちも、近いうちにあそこへ行く予定なんだ」
玲奈さんは律さんの方へ視線を向けた。
「律が石甲蜥蜴の鱗を欲しがっててね。装備の材料に使えるかもしれないんだって」
「石甲蜥蜴ですか。俺たちも戦いましたよ」
「へえ。どうだった?」
「硬かったです。背中の方は槍が通りにくくて、脚や首を狙わないと……」
「ああ、そうだよね。あの魔物は外側が硬いから」
玲奈さんは頷き、それから少し考えるように顎へ指を添えた。
「ちなみに、どこまで進んだの?」
「柱のある広間です。二匹と戦って、そこで引き返しました」
「引き返したのは、何かあったから?」
「腕が疲れてきたので。まだ奥へ行けそうでしたけど、無理しない方がいいかなって」
「そっか」
玲奈さんは短く頷いた。
すると、隣で話を聞いていた拓真さんが口を開いた。
「お前ら二人で石甲蜥蜴を三匹倒したのか?」
「はい。紬にかなり助けてもらいましたけど」
「へえ、なかなかやるじゃねえか!」
「まだ彩人は新人なので、危なくなったらすぐ引き返すようにしてます」
紬がそう補足すると、玲奈さんは彼女へ向き直った。
「紬ちゃんは探索者になって長いの?」
「何年か活動してます。今はDランクです」
「Dランクか。それなら、探索にはだいぶ慣れてそうだね」
「いえ、まだまだですよ」
紬はそう答えたが、その表情はどこか照れくさそうだった。
玲奈さんは一度拓真さんと律さんを見てから、俺たちへ提案してきた。
「もし都合が合えば、今度一緒に行ってみない?」
「えっ、いいんですか?」
「うん。私たちは浅い階層で素材を集めるつもりだから。もちろん、二人の動きも確認しながら、安全に行ける範囲でね」
思いがけない誘いだった。
さっき見た獣霊も、律さんの機械装備も、実際の迷宮ではどんなふうに使うのだろう。あの大盾を持った拓真さんの戦い方も気になる。
「俺はぜひ行ってみたいです」
「紬ちゃんはどう?」
玲奈さんが尋ねると、紬は少し考えてから頷いた。
「日程が合えば大丈夫です。ただ、彩人はまだ登録したばかりなので、無理のない探索にしてもらえるなら」
「もちろん。その辺りはちゃんと考えるよ」
「それなら、よろしくお願いします」
玲奈さんが端末を取り出し、俺たちは連絡先を交換した。
「予定が決まったら連絡するね。装備の調整も終わらせないといけないから、少し先になるかもしれないけど」
「分かりました」
そこまで話したところで、俺はふと気になっていたことを思い出した。
「そういえば、皆さんは何ランクなんですか?」
「私と拓真がCランクで、律がDランクだよ」
「Cランク……!」
思わず声が出た。
紬よりも一つ上のランクだ。さっきから気さくに話してくれていたが、かなり経験を積んだ探索者らしい。
「ガハハ! 一応、それなりに長くやってるからな。困ったことがあったら聞いてくれよ!」
拓真さんが胸を張る。
「ありがとうございます」
「ただし、律に武器を見せるときは気をつけろよ」
「……何で?」
本人が不思議そうに尋ねた。
「お前、本気で分かってねえのかよ……」
拓真さんは額に手を当てる。
玲奈さんは小さく肩をすくめ、狼の頭をひと撫でした。
「それじゃ、またね」
「はい。失礼します!」
俺たちは三人に挨拶し、協会をあとにした。
◇
「変わった人たちだったな」
協会を出て少し歩いたところで、俺は隣の紬に話しかけた。
「うん。特に律さんね。あんなに機械が好きな人、初めて見たかも」
「あの狼には完全に嫌われてたけどな」
「でも、計測器をつけたいっていうのも、何か理由があったんじゃない?」
「まあ、そうだろうけど……」
俺は先ほど見た金属製の装置を思い出した。
何本もの支柱や歯車が連動して動き、脚の力を補助するという機械。自分で設計したものを、何度も作り直しているらしい。
そういえば、律さんは俺の槍にも随分興味を持っていた。
絵から取り出す槍を、機械を作る人間が見たらどう思うのだろう。材質や構造について聞かれても、俺には分からないことが多そうだ。
「……次に会うとき、槍を見せるのが楽しみだな」
「彩人も、ちょっと似てるよね」
「何が?」
「好きなことになると夢中になるところ。律さんと気が合いそう」
「いや、俺はあんなに質問攻めにはしないだろ」
「この前、絵の中の紐についてずっと話してたのは誰だったかな?」
「……そんなに話してたっけ?」
「結構ね」
言い返そうとしたが、思い当たる節がある。
ひよりが姫君と竜をつなぐ紐に気づいたときも、あの絵について色々と考えてしまった。紬にも何度か話を聞いてもらった気がする。
「……まあ、少しは似てるかもな」
「少しだけ?」
「……結構?」
「そうそう」
紬は満足げに頷いた。
今度会うときは、もう少し槍について調べておこう。そう考えながら歩いていると、紬が俺の袖を引いた。
「彩人、こっち」
「ん?」
「帰り道、通り過ぎるよ」
顔を上げると、いつの間にか曲がり角を過ぎかけていた。
「……悪い」
「ほらね。やっぱり似てる」
今度こそ、何も言い返せなかった。




