# 第097話 最初の報酬
初任務を終えた翌朝、天城は窓のない報告室で黒瀬綾乃と向かい合っていた。壁際では零士が解析端末を操作し、机には二人分の救助記録、五人分の拘束記録、回収した媒体の一覧が並んでいる。
「救助対象は二名とも生存。一名は経過観察のため入院が続きますが、生命の危険は脱しました」
綾乃は感想を挟まず、確定した事実だけを告げた。拘束した五人は別の担当へ引き渡され、奏と零士が保全した三つの媒体からは、次の移送日時らしい断片も見つかった。一つは内蔵処理で一部を失っていたが、外部認証の痕跡は残っている。ただし移送先も買い手も特定できず、仲介役の供述も裏付けを取るまでは結果に含めない。
「随分と回りくどいな。吐いた奴を順番に潰せば早ぇだろ」
「嘘を吐いた人から順番に関係のない相手を潰しますか?」
「間違えた奴を後で潰す」
「後では戻らないものがあります。今回、あなたが残したものと同じです」
天城は椅子の背へ身体を預け、救助記録の一行へ目を止めた。衰弱していた一人はまだ病院にいる。小春が維持し、ミナが拘束を外し、自分が邪魔な者を殺さずに伏せたから、その記録には生存と書かれていた。
「それで、仕事は成功か」
「契約上の達成条件はすべて満たしました。正式完了です」
「片方が死んでたら、失敗か」
「生存確保の条件は未達になります。ただし、報酬を減らして終わりではありません。何を知っていて、誰が何を選び、他に手段があったかを別に確認します」
「結果が同じでも、やったことが違えば分けるのか」
「結果だけで人を評価すれば、次も同じ結果を出せるか分かりませんから」
以前の施設では、数字が基準を超えれば次へ進み、届かなければ追加の実験が行われた。そこに理由を話す必要も、誰かの選択を分ける作業もなかった。天城は返事をせず、完了の文字をもう一度見た。
綾乃が端末を操作すると、天城の無記名端末へ新しい明細が届いた。基本報酬、危険手当、装備費、移動経費。最後に記された振込後残高を見ても、天城には多いのか少ないのか判断がつかない。
「数字が増えただけじゃねぇか」
「その数字で、食事も寝床も選べます」
「人を殺した時にも増えた」
「これは、誰も殺さず二人を連れ帰った結果で増えた数字です」
「あと、全部使える金やと思うなよ」
壁際から零士が口を挟み、明細の画面を報酬、経費精算、契約住居の費用へ色分けした。天城が睨んでも手を引かず、何を使えば次の仕事で自己負担になるかだけを短く示す。
「世界最強でも、この班じゃ新人や。分からんまま押して損する前に聞き」
「てめぇに金の使い方まで決められる筋合いはねぇ」
「決めとらん。選ぶ前に、何の数字か教えただけや」
同じ報酬でも、そこに至る過程は違う。命令された標的を殺せば、用途も知らない金が端末へ入った。今回は条件を読み、自分で受け、生きた二人と証言できる五人を残して仕事を終えた。
金額そのものに誇らしさは湧かなかった。それでも、以前の報酬と同じだと言い捨てる気にもならない。
「滞在場所は契約期間中に限り使用できます。組織管理の家具付き住居です。生活費は報酬から、故意に壊した設備はあなたの負担になります」
「壊さなきゃいいんだろ」
「それが最初に確認できるなら助かります」
鍵を受け取った天城は、報告室を出る前に端末を開いた。零士が区別した個人利用可能額から、簡易宿泊棟の利用料と焼き肉弁当の代金を選び、朱音へ送る。
数字の入力に迷いはなかった。借りた時に表示されていた額を、そのまま覚えている。送金完了の下へ「仕事は終わった」と添えると、間を置かず駅前広場の位置情報が返ってきた。
◇
朱音が指定したのは、人通りのある駅前広場だった。約束の時刻より少し早く着いた天城が壁際に立っていると、朱音は遠くから白い髪を見つけ、足を速める。
「戻ったなら、先にそう連絡して」
「金は送った」
「振り込みが生存報告になると思ってるの?」
「死んでたら送れねぇだろ」
朱音の眉が寄った。天城にはそれが何に対する怒りなのか分からなかったが、通信を切らず、約束した金を返すだけでは足りなかったらしいことは分かる。
「仕事の中身は言えねぇ。二人捕まってて、二人とも生きて戻った。それだけだ」
朱音は問い返しかけ、口を閉じた。秘密を聞き出す権利はない。それでも、天城が成果を殺した人数ではなく、帰った人数で説明したことを聞き逃さなかった。
「あなたが助けたの?」
「俺一人じゃねぇ。面倒な奴らが、それぞれ勝手に使えた」
「それ、仲間って言うんじゃないの」
「違ぇ」
即答だった。朱音は呆れたように息を吐いたが、訂正を迫らなかった。言葉が違っていても、天城の中で自分以外の働きが結果に入ったことだけは確かだった。
「宿泊費と食事代は受け取った。借りは返したことにする」
「なら終わりだな」
「お兄ちゃんのことは、終わってない」
雑踏の中で、その一言だけが鋭く残った。天城は視線を逸らさず、いつものように悪人だと吐き捨てて会話を切ることもしない。
「知ってる」
「忘れたら、何度でも言うから」
「好きにしろ」
許しはなく、返済で均されたのは一夜分の金だけだった。それでも朱音は、天城が再び記録の外へ消えず、借りたものを返しに現れたことを自分の目で確かめた。
「寝る場所は?」
「決まった。仕事してる間だけ使える部屋だ」
「住所を教えろとは言わない。でも、端末は切らないで」
「借りは返した」
「返済と、連絡を切っていいかは別」
理屈が通っているようには聞こえなかった。しかし天城は拒絶せず、端末をポケットへ戻した。朱音もそれ以上付き添わず、別の方向へ歩き出す。二人の距離は縮まっていない。ただ、互いが消えないための細い線だけが残った。
◇
契約住居は、繁華街から離れた住宅区の一室だった。小さな台所と浴室、寝具、机、冷蔵庫、洗濯機。戦うための設備は一つもなく、天城が壊す必要のあるものも見当たらない。
冷蔵庫を開けると、中には何も入っていなかった。水も食事も自分で買うのだと、玄関に置かれた生活案内に書いてある。天城は数枚めくり、ゴミの分別表へ辿り着いたところで机へ放った。
着替えを洗濯機へ押し込み、表示されたボタンを押す。短い警告音だけが鳴り、機械は動かない。蓋を開けて殴れば直る構造には見えたが、故意に壊せば自分の負担になるという綾乃の声が頭へ残った。
天城は十秒ほど洗濯機を睨み、端末を取り出した。朱音との通信欄を開き、機械の写真を一枚送る。
『動かねぇ』
ほどなく、短い返信が来た。
『洗剤は入れた?』
天城は洗濯機の周囲を見回した。洗剤が何で、どこにあるのかも分からない。買っていない物が部屋から出てくるはずもなかった。
『洗剤ってどれだ』
返事が来るまでの間、天城はもう一度、生活案内を手に取った。世界で最も強い男が最初の報酬で手に入れたのは、誰にも命じられずに使える部屋と、壊しても解決しないものばかりの生活だった。
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