# 第088話 病室で鉢合わせ
天城との戦いから二日後、直人は学園都市内の総合医療施設にある個室で午後を迎えていた。意識を取り戻したのは前夜で、右肩は整復後の固定具によって胸元へ留められ、左の肋骨は三本折れている。左肺の挫傷と軽度の気胸も確認され、手術は不要でも最低七日間の入院が必要だと告げられた。全身を作り替えた三度の熱は引いていたが、レベルが上がった事実は、壊れた身体を戦う前へ戻してはくれなかった。
両親と妹は朝の面会で容体が安定したことを確認し、一度自宅へ戻っている。学校へ伝えられたのは、継続捜査中の能力犯罪現場で重傷を負ったことだけだった。天城、《等級6計画》、篠原達哉については、直人から話せる情報ではない。
左手で水差しへ伸びようとした時、病室の扉が開いた。固定された右肩へ響かせないよう動くだけでも、普段の数倍は時間が掛かっている。
「何してるの」
紗良は返事を待たず、ベッド脇へ置かれていた吸い口付きの容器を直人の手元へ寄せた。栗色の髪を低い位置でまとめ、空いた手には着替えと充電器の入った小さな鞄を提げている。
「水を取ろうとしただけだ」
「今の直人が言う『だけ』は信用しない」
口調は穏やかだったが、容器を置く指先は僅かに強張っていた。紗良は呼吸の深さと表示機器の数値へ目を走らせても、《生体同調》を使おうとはしない。ここでは医師と看護師へ任せることも、命を繋ぐ役割の一つだと知っている。
「連絡に書いてあった。肩は戻したけど、肋骨と肺は時間が必要なんでしょ」
「七日で出られる可能性はある」
「最低七日。勝手に短くしないで」
紗良は椅子へ座り、固定具から覗く直人の右手を見た。触れて確かめたい気持ちを抑えるように、自分の両手を膝の上で重ねる。
「今回、約束を破ったとは言わない。ちゃんと帰ることも考えて、救助も治療も受けたんでしょ」
「ああ」
「でも、頭で分かるのと、こうして息をしてるのを見るのは別なの」
直人はすぐに答えなかった。帰ることを勝利条件へ入れても、待つ側の恐怖まで消せるわけではない。その沈黙を責めず、紗良も事件の詳細を聞かなかった。
「話せないのは、被害に遭った人のことがあるから?」
「それと、捜査が続いてる」
「なら聞かない。話せる時に、直人から話して」
再び扉が叩かれた。紗良が膝の上の手を解くより先に、廊下から落ち着いた声が届く。
「失礼いたします」
入ってきた麗華は、先客を見て一度だけ足を止めた。艶のある長い黒髪を背へ流し、制服を端正に着こなしたまま、薄い書類入れを抱えている。
「水瀬さん。面会中でしたのね。時間を改めます」
「大丈夫。鷹宮さんも、直人のお見舞い?」
「ええ。学園の療養欠席手続きと、復帰判定の一般規則を確認してきました。瀬名さんが退院日だけを見て、翌日から通常予定へ戻しかねませんので」
「麗華まで俺を何だと思ってる」
「前例に基づく適正な評価ですわ」
麗華は書類を卓上へ置き、ベッドの正面から直人を見た。落ち着いた表情は崩れていない。それでも固定具と酸素飽和度の表示を見た指が、書類の縁を僅かに強く押さえた。
「危険へ向かうなとは申しません。ですが、知らせを受けてから容体が確認できるまで、こちらには何も選べることがありませんでした」
紗良の視線が麗華へ向く。直人の判断を尊重するからこそ、結果を待つしかない時間が重くなる。その感覚は、二人に共通していた。
「次は、せめて病院から連絡が来る前に教えてくださいませ」
「努力する」
「善処より信用できませんわね」
三度目のノックは、返事より先に明るい声を連れてきた。紗良と麗華が同時に扉へ顔を向ける。
「ナオくーん、片腕生活を快適にする天才技術者が――あれ」
工房用ジャケットを羽織った透花が、入口で灰青色の目を瞬かせた。腕には工具箱ではなく、小型端末用の可動台を抱えている。応援席で顔を合わせていた二人と、病室で同時に向き合うことまでは予想していなかったらしい。
「応援席の同窓会?」
「病室では声を抑えてください、柊木さん」
「はーい。鷹宮さんは相変わらず真面目だねえ」
透花はいつもの笑みを作り、ベッドの左側へ回った。直人の袖へ伸びかけた指は、点滴の管を見て止まる。代わりに布団の端へ軽く触れ、その場に本当に直人がいることを確かめてから、可動台を掲げた。
「右手が使えなくても、端末を固定して左だけで操作できる試作品。退屈で勝手に退院しないようにね」
「病室の設備へ取り付けるなら、先に看護師さんへ確認しないと」
紗良の指摘に、透花は固定部を見下ろした。
「あ。それは正しい。じゃあ許可を取ってからにする」
「素直ですのね」
「ナオくんの腕を増やす機械じゃないからね。安全確認は大事」
三人は、それぞれ違う場所から直人の状態を見ていた。紗良は呼吸と生活を、麗華は復帰条件と判断を、透花は片腕で生じる不便を見ている。どれも別の積み重ねから生まれ、誰か一人の心配だけが特別に正しいわけではなかった。
紗良は、透花がためらいなく「ナオくん」と呼ぶたび、胸の奥へ小さな棘が触れるのを感じた。麗華も、紗良が直人の必要品を当然のように揃えている距離を静かに見ている。透花の笑みも、二人が自分より先に病室へいた事実を前に、いつもほど軽くはなかった。
「私、ナオくんに言われたんだ。次も戻るって」
「私にも、勝手に自分を諦めないと約束した」
透花と紗良の言葉が重なった。麗華は一拍置いて、ベッドの直人へ目を細める。
「随分、多方面へ同じ心配を掛けていますのね」
「否定できない」
「では、別々に待つのをやめませんか」
提案したのは紗良だった。麗華と透花が同時に彼女を見る。緊張は消えていないが、紗良は視線を逸らさなかった。
「直人が怪我を隠したり、危ないことを一人で決めたりした時、誰か一人だけが知ってても止められない。共有していい範囲を決めて、私たちも連絡を取ろう」
「賛成ですわ。ただし、瀬名さん本人の同意なく個人情報まで回すことはいたしません」
「そこは当然。ナオくん、私たちに包囲される許可は?」
「言い方を変えろ」
直人は三人の顔を順に見た。不安も嫉妬も消えてはいない。それでも、その感情を互いを遠ざける理由ではなく、自分を生かすための協力へ変えようとしている。
「お前たちが待っていることを、今度は戦う前から勝つ条件に入れる。危険な判断を黙って選ばない。助けが必要なら求める。俺も帰る側から外れない」
「今の、三人とも聞きましたわね」
「録音しておけばよかったかな」
「言ったことは覚えてる」
紗良がようやく笑う。麗華は端末を取り出し、透花も隣から連絡先を表示した。三人の名前が一つの連絡グループへ並び、直人を案じる競争相手であると同時に、無茶を止める最初の同志となった。
面会時間が終わり、三人が病室を出た後も、枕元の端末には新しい連絡先が残っていた。しばらくして、別の通知が一件だけ届く。
『天城が目を覚ました。私は、まだあいつに聞かせることがある』
朱音からの短い文を、直人は左手で開いた。
戦いは終わった。だが、生き残った者たちが、自分の選んだ結果と生きていく時間は、ここから始まる。
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