第8話 五人で生きて帰る
群れの長が《空間固定》を砕いた直後、太い腕を横薙ぎに振るった。
瀬名直人は魔力を脚へ巡らせ、真壁遼介の制服を掴んで後方へ引いた。二人の鼻先を爪が通過し、岩壁へ食い込む。遅れて届いた風圧だけで身体が揺れ、砕けた石片が頬を切った。
「止められないなら、どうする!」
「止める必要はない。攻撃の向きを変える」
直人が答える間にも、群れの長は岩壁から腕を引き抜いた。周囲の裂爪猿は襲いかからず、五人の逃げ道だけを塞いでいる。長が獲物を仕留めるまで手を出さない。統率されているというより、逆らうことを恐れている動きだった。
透子は片膝をつき、両手を床へ当てた。《反響地図》の波が岩盤を走り、明るかった表情が集中へ切り替わる。
「左の壁の向こうに空洞がある。厚さは二メートル弱。その先にも人が一人……たぶん榊先生!」
「壁を壊せば合流できるな」と真壁が言う。
「俺たちの攻撃じゃ足りない。だから、あいつに壊させる」
直人が群れの長を示すと、ルーカスは一度だけ大きく瞬き、それから口角を上げた。
「つまり、あの化け物の拳を借りるわけか。貸してくれる顔には見えないぞ」
「返す必要もないよ。無期限で借りよう」
「透子、たまに俺より図太いよな」
二人の軽口に紗良は笑わなかった。直人が自分を囮にするつもりだと察し、栗色の髪を揺らして一歩詰め寄る。
「また自分だけ危険な役をするつもり?」
「俺しか動きを読めない。だが、一人でやるつもりはない」
直人は真壁へ視線を移した。
「右足へ体重が乗った瞬間だけ固定してくれ。全身を止める必要はない。透子は壁の最も薄い場所を示す。ルーカスは攻撃を正面から受けるな。腕へ触れる程度で衝撃を奪い、壁へ返せ。紗良は全員の身体を見て、限界になる前に止めろ」
「お前は?」
「目を引いて、壁へ向かせる」
「それを普通は囮と言うんだよ」と紗良が低く返した。
直人は否定しなかった。
「囮と捨て駒は違う。戻る手順まで含めて作戦にする。俺が戻れなくなったら、その時は真壁が中止を決めろ」
「勝手に決めるな」
真壁は直人を睨んだが、反対ではなく作戦を引き受ける目をしていた。
「中止を決めるのは最初から俺だ。お前も班員なら、俺の命令で戻れ」
「ああ。頼む」
短いやり取りで役割が定まった。
この作戦は誰か一人の強さに頼るものではない。一人でも役割を外せば、直人は爪に潰され、ルーカスは衝撃に耐えきれず、退路も開かない。それでも提案したのは、先ほどの戦いで四人が何をできるかを見たからだった。信頼と呼ぶにはまだ早い。だが、命を預ける判断はもう済んでいた。
群れの長が踏み込み、洞窟全体が揺れる。透子が裂爪猿の位置を次々に読み上げ、真壁が左右から回り込む二体を固定した。ルーカスは紗良を背へ庇いながら爪を籠手で受け流し、蓄えた衝撃に顔をしかめる。
「これ、想像より重いぞ!」
「筋肉が売りなんでしょ。返品不可だよ!」
「応援の仕方を間違えてないか!」
直人は群れの長の潰れた左目側へ走った。魔力循環で脚を補助しても、異世界時代の速度には遠く及ばない。それでも、敵が見えていない側を選び、床の石を蹴って音を立てれば、残る右目がこちらへ向く。
長い腕が振り下ろされた。直人は直前まで動かず、爪が頭上へ迫った瞬間に横へ転がる。腕は床を砕き、亀裂が左の壁まで走った。
「今のでも足りない!」と透子が叫ぶ。「あと半歩、壁側!」
直人は起き上がったが、左足に定着負荷と古傷の痛みが重なり、踏み込みが遅れた。群れの長の指が肩をかすめ、身体が岩壁へ叩きつけられる。
「直人!」
紗良の声に反応して、群れの長がそちらを見た。
痛みで息が止まりかけた直人の中で、恐怖より先に熱が立ち上がった。自分が倒れることではない。自分を見た紗良が動きを止め、次の標的になることが許せなかった。
「俺を見ろ!」
直人は岩を掴んで立ち、訓練剣を群れの長の顔へ投げつけた。刃のない剣は傷を与えなかったが、残る右目の前を横切り、怒りをこちらへ引き戻すには十分だった。
群れの長が咆哮し、直人へ向かって突進する。
「右脚へ乗る!」紗良が筋肉の動きを読み、叫んだ。
「固定する!」
真壁の《空間固定》が右足首だけを捉えた。全身を縛るより狭く、深い固定。群れの長は勢いを殺せず、軸足を残したまま上体を大きく傾ける。
「薄い場所、そこ!」透子が壁の一点を指した。
「待ってました!」
ルーカスが奪っていた衝撃を両腕から放つ。拳は群れの長ではなく、傾いた肩を横から打った。巨体の進路が半歩ずれ、振り抜かれた腕と頭部が、透子の示した岩壁へ同時に激突する。
爆発のような音とともに壁が崩れた。
土煙の向こうへ細い通路が開き、その反対側から榊美鈴の声が飛ぶ。
「全員、伏せろ!」
五人が身を低くした直後、榊の投じた拘束索が群れの長の首へ巻きついた。だが巨体は倒れず、崩れた岩を押し退けて直人へ爪を伸ばす。
直人の手元に武器はない。代わりに足元には、崩落で折れた金属杭が転がっていた。
それを拾い、残る右目へ狙いを定める。
魔王を倒した時の力はない。聖剣も、勇者の加護もない。それでも、背後には守るべき仲間がいる。
「ここから先へは、行かせない」
直人は一歩踏み込み、金属杭を眼窩の奥まで突き込んだ。
群れの長の身体が激しく痙攣し、榊が拘束索を引いて頭部を岩へ叩きつける。真壁が首の周囲を固定し、ルーカスが最後の衝撃を顎へ放った。巨体は一度だけ跳ね、やがて動かなくなった。
長を失った裂爪猿たちは統率を失い、暗い横穴へ逃げていく。透子が反響を追い、敵が遠ざかったことを確認すると、ルーカスはその場へ仰向けに倒れた。
「今の俺、格好よかったよな?」
「うん。三割くらい」
「命懸けで三割!」
「残り七割は、みんなの分」
透子が笑って手を差し出す。ルーカスは文句を言いながらも、その手を取って起き上がった。
榊は五人の負傷を確認し、最後に直人の前で止まった。
「学生だけで交戦を続けたことは褒めない。ただし、教員との分断後に班を崩さず、全員で生還経路を作った判断は正しかった」
真壁は肩で息をしながら、四人を見回した。
「全員で帰ると言った。まだ入口へ戻っていない。気を抜くな」
その言葉に直人は頷いた。異世界では何度も仲間を失った。だが今回は、五人とも立っている。それだけのことが、勝利よりも重く胸へ残った。
◇
地上へ戻った直後、五人はギルド併設の救護所へ運ばれた。
紗良は治療を受けながらも直人の隣を離れず、彼の腕へ触れて眉を寄せる。戦闘前より筋肉の密度がわずかに増し、脈や体温の変化も通常の自己強化能力とは異なっていた。
「さっき、直人の身体が急に変わった。後で話すって言ったよね」
「ああ。俺にも分からない部分はある。それでも、話せることは話す」
直人が答えた時、救護所の測定端末が短い警告音を発した。
《実習中の生体数値に非連続的変化を確認》
《登録能力との不一致を検出》
《能力等級の再評価を開始します》
画面を見つめる直人の視界には、それとは別の表示が浮かんでいた。
《経験値を獲得しました》
地球で直人だけが持つレベル制度。
だが、その変化を観測していたのは、直人と紗良だけではなかった。
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