# 第079話 被験者の痕跡
「天城皇牙を育てた、この場所よ」
篠原朱音が示した画像を、直人は黙って見つめた。
白い部屋に立つ少年の手足には、拘束具がない。逃げようと暴れた様子もなく、胸やこめかみに測定端子を付けられたまま、正面のカメラを睨んでいる。
「育てたと言い切る根拠は?」
「一枚だけじゃないから」
朱音が画面を横へ送った。
同じ被験番号が付された画像が、年代を隔てて三枚並ぶ。撮影日は欠けているが、幼い少年の身長と骨格は少しずつ変わっていた。背景はどれも似た白い壁で、屋外や生活空間を示すものはない。
一枚目には出力。二枚目には耐久。三枚目には適応。
人名の代わりに記されたのは、評価項目と数値だけだった。
「一度だけ検査を受けた人間の記録じゃない。同じ場所で、何年も測られてた」
「それでも、この施設に住んでいた証明にはならない」
「分かってる」
朱音は苛立ちを飲み込み、次の資料を開いた。
端子の位置、壁面へ埋め込まれた観測窓、床に引かれた目盛り。画像ごとに配置は違うが、少年だけは同じ番号で追跡されている。
「兄のメモには、『教育記録なし、生活記録なし、外部在籍なし』ってあった。天城皇牙って名前で、学校や家庭に繋がる記録も見つけられなかったみたい」
「記録が消されている可能性もある」
「だから、兄はここを探してた」
直人は三枚目で指を止めた。
現在より幼い天城の右腕に、薄い傷跡が幾つも走っている。目立つ負傷だけではない。治りかけた痕と新しい痕が、時期をずらして重なっていた。
「拘束もされてない。自分から受けてたってこと?」
「そうとは限らない」
「庇うの?」
灰緑色の目が、画面から直人へ跳ねた。
「庇ってない。ほかの生き方を知らない子供なら、縛らなくても台の上に立つ」
朱音の唇が止まる。
「それで人を殺していい理由にはならない。でも、あいつが何を当たり前だと思っているかを間違えれば、次の行動も読めない」
「……兄を殺した時も、実験だから当然だったって?」
「それを確かめる。本人に」
朱音は何かを言い返しかけ、視線を落とした。
許せない。その感情に迷いはないはずなのに、幼い天城の姿から目を離せずにいる。理由を知ることが許すことに繋がると恐れているようにも見えた。
「気になるのか」
「犯人を調べてるだけ」
返答は早すぎた。
「あいつがどこで何を覚えたか分かれば、次に何をするか読める。それだけよ」
「許すこととは別だ」
「分かったようなこと言わないで」
朱音の声が低くなる。
「この子供がどんな目に遭ってたとしても、兄が帰ってこないことは変わらない。かわいそうだったから仕方ないなんて、私は絶対に言わない」
「言わなくていい」
直人は画像の中の少年へ視線を戻した。
「事情を知ることと、したことを許すことは同じじゃない。むしろ、何を教えられて、何を自分で選んだのかを分けなきゃ、あいつ自身の責任も見えなくなる」
朱音は答えなかった。
ただ、画像を閉じようとしていた指だけが止まる。憎しみだけで切り捨てるには、そこに立つ少年は幼すぎた。それを認めることさえ、兄への裏切りに思えるのかもしれない。
「なら、そのために使おう」
直人はそれ以上踏み込まなかった。今ここで、朱音自身にも形の定まっていない感情へ名前を付ける必要はない。
簡易聴取車の扉が叩かれた。
警備担当者が入ってくる。手にしていたのは、先ほど搬送された等級四能力者の同意を得て共有された証言の要約だった。
「本人の容体は安定しています。篠原さんから連絡を受けた後、こちらへ相談するつもりだったことも確認できました」
「現場へ一人で来た理由は?」
直人の問いに、担当者が端末を操作する。
「指定時刻より前に、差出人を確認するだけのつもりだったそうです。ところが到着直後、天城と見られる人物から能力を使うよう求められた」
「何のために?」
「説明はなかったそうです。ただし、通知に添付された確認項目が残っています」
表示された項目を見て、朱音の指が止まった。
最大出力後の回復時間。
発動失敗時の身体反応。
外部から能力へ干渉された場合の再発動可否。
表現は違っても、施設資料に並ぶ出力、耐久、適応と方向が一致している。
「今も、同じことを測ってる……?」
「同じ施設が続けているとは断定できない」
直人は資料を見比べた。
「でも、等級だけで無作為に選んでいるわけじゃない。能力を限界近くまで使った記録が新しくある人間を見ている可能性がある」
達哉は失踪前、能力事故の現場対応へ参加していた。今日救われた男も、半月前に崩落事故で最大出力を使用している。
「高出力を使った等級四なんて、ほかにもいる」
朱音の指摘は正しい。公開記録だけで対象を完全には絞れない。通知が届かなかった者との違いも、非公開の検査情報まで見られなければ分からなかった。
「だからこれは正解じゃない。次に警戒を掛ける順番だ」
直人は一覧の抽出条件を確認した。
直近の全力運用。活動後の検査。能力制御に関する追加記録。外部から知れる情報と、本人か管理側しか持たない情報が混じっている。
「もし通知の送り手が、公開されていない回復経過まで知っているなら、別の問題も出る」
「情報が漏れてる?」
「可能性の一つだ。今は断定しない」
朱音が作った候補一覧には、直人の知る名前もあった。
久我玲司。
榊原迅。
鳴海颯介。
国際大会だけではない。三人とも、能力を高出力で運用した公的記録を持つ等級四だ。
直人はすぐに端末を取り出した。
「候補一覧と推測根拠を、警備担当へ渡してくれ」
「私の資料はもう提出してる」
「今の証言で意味が変わった。施設の三項目と、通知の確認項目も並べる。次は疑いじゃなく、警戒対象を絞る根拠になる」
担当者も頷き、正式な共有記録の作成を始めた。
直人は久我たちへ、個別に居場所を尋ねなかった。移動情報そのものが漏れている可能性を否定できない。学校の緊急連絡系統へ、同形式の通知を受けていないか確認を依頼する。
返答は一分も掛からなかった。
最初に届いたのは、生徒会からの一斉確認ではない。
榊原迅本人から、直人へ直接送られた短い連絡だった。
『瀬名。これ、お前が今調べてる件か』
添付された画面には、見覚えのある不自然な空白が入っている。
末尾の識別列も同じだった。
高等級能力者向け非公開適応確認。
指定時刻は、明日の夜。
朱音が椅子を蹴るように立ち上がった。
「次は、この人なの?」
「まだ標的だと確定したわけじゃない」
直人は榊原へ、単独では動かず、通知を学校と警備へ提出するよう返信した。
続けて現在地と資料の共有状況を送る。
「でも、確かめられる場所と時間は出た」
画面の指定地点を見つめる。
今度は偶然、救難信号を拾ったのではない。
天城皇牙が次に現れるかもしれない場所へ、こちらから先に立つための手掛かりだった。
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