# 第068話 代表であるということ
救出から一時間も経たないうちに、シャルロットはフランス代表団の臨時会議室へ戻っていた。
深い青の上着には、地下搬送路で付いた埃が残っている。着替えを勧められたが、彼女は断った。命令を外れた時の姿も、その先で何をしたかも、綺麗に整えてから説明することではないと思ったからだ。
長机の向こうには、銀の混じった短髪の保安責任者と、濃紺のスーツを着た随行団責任者が座っている。壁際では記録担当者が端末を開き、時刻と発言を逐一残していた。
「では、デュヴァル選手。確認を始めます」
保安責任者の声は、彼女を送り出さなかった時と同じだった。責める色も、救出を称える熱もない。
「あなたは、西側要人警護区画で待機するよう命じられていた。間違いありませんか」
「ありませんわ」
「命令の理由は理解していましたか」
「ええ。二次襲撃の可能性、外国の学生が日本側の治安作戦へ参加する問題、わたくし自身が標的となる危険。そして、フランス代表と要人を守る責任です」
「その命令が誤りだったと考えたから、離れたのですか」
シャルロットは、すぐには答えなかった。
正しい命令に従わなかった、と言えば矛盾に見える。だが、命令を間違いだったことにすれば、あの部屋で自分たちを守ろうとした人間の判断まで踏みにじる。
「いいえ。待機命令には、今も合理的な理由があったと考えていますわ」
記録担当者の指が動く。
「ただし、命令が出た後で状況が変わりました。誘拐された七名が外周搬送路へ到達するまで三分。成人の専門能力者が隔壁へ着くまで五分以上。わたくしの《電磁支配》なら、破壊せずに開けられる可能性があると判明しました」
「可能性にすぎなかった」
「承知していました。間に合わない可能性も、隔壁を開けられない可能性も、移動中に襲撃される可能性もありました」
「あなたが離れた後、警護区画へ二次襲撃があれば?」
「残った四名と保安員へ危険を負わせていました。ですから防護区画への集約、出入口の監視、わたくしの位置情報共有を提案しました。それで危険が消えたとは申しません」
救出は成功した。警護区画も襲われなかった。
しかし、それは選択した時点では知らなかった結果だ。
随行団責任者が、静かに指を組んだ。
「瀬名直人から、支援を命じられましたか」
「いいえ」
「必要だとは言われた」
「事実として。《電磁支配》があれば救出可能性が上がると聞きました。ですが、来いとは言われておりません」
「では、命令から外れたのは」
胸の内に、地下へ向かう前の重さが戻る。
国家に従う自分と、直人に従う自分。そのどちらへも隠れられなくなった場所で、最後に決めたのは誰だったのか。
「わたくしです」
シャルロットは青い瞳を逸らさなかった。
「フランス代表主将、シャルロット・デュヴァル本人の判断ですわ」
会議室へ、端末の入力音だけが響く。
「七名を救出できなかった場合も、同じように答えましたか」
「答えるべきでした」
「質問を変えます。同じ情報、同じ時間、同じ危険が与えられた場合、あなたは次も待機命令から外れますか」
今度は、迷わなかった。
「はい」
保安責任者の目が僅かに細くなる。
「救出に成功したからではありません。あの時点で、わたくしにしか間に合わない可能性がありました。ならば次も、残る側の危険を減らし、理由を記録し、その後の責任を負った上で向かいます」
「国家命令より、自分の判断を優先すると?」
「命令を軽く扱うつもりはありませんわ」
シャルロットの指先が、膝の上で一度だけ強く握られる。
「ですが、国家の顔であることを、考えなかった言い訳にはいたしません。わたくしは母国の名を背負っております。だからこそ、自分の判断を母国へ説明できる代表でありたいのです」
声は大きくなかった。
それでも最後の一言は、会議室にいる全員へ明瞭に届いた。
随行団責任者は目を伏せ、手元の記録へ視線を落とした。
「救出という結果だけで、命令外行動が消えることはありません」
「はい」
「本件は正式注意とします。あなたの通告、判断理由、安全措置、現場結果を緊急任務判断記録へ残す。同様の行動を無条件に容認する前例とはしません」
「受け入れますわ」
「一方、情報を隠さず事前通告したこと、残存戦力を再配置したこと、現場で代替困難な能力が必要だったことも記録します。現時点で代表資格は停止しません」
シャルロットの肩から、僅かに力が抜けた。
許されたからではない。成功だけを見て褒められたからでもない。
自分が何を知り、何を恐れ、それでも何を選んだか。そのすべてが、母国の記録へ自分の名で残った。
「説明は以上です」
保安責任者は端末を閉じる前に続けた。
「デュヴァル選手。大会運営と参加各国は、安全確認後に決勝を実施すると決定しました。開催は明日午後です」
シャルロットは瞬きをした後、椅子から立ち上がる。
「承知しましたわ」
「今度は、定められた競技場の中で判断してください」
「もちろんです」
そこでようやく、彼女は腰へ片手を当てた。
「フランスの三勝目は、わたくしたちが正面から持ち帰ってみせますわ」
◇
会議室を出ると、直人が廊下の壁へ背を預けていた。
日本側の聴取を先に終え、警備担当者へシャルロットと交わした通信内容をそのまま伝えたらしい。彼は結果を尋ねず、まず一つだけ聞いた。
「説明できたか」
「ええ。命令から外れたことも、危険も、次も同じ判断をすることも」
「そうか」
「それだけですの?」
「代表を続けるかどうかは、フランスが決めることだ。俺が見たかったのは、お前が自分の判断を国の前でも自分の言葉で言えるかだ」
シャルロットは数秒、直人を見つめた。
「本当に、どこまでも生意気ですわね。わたくしを試したおつもり?」
「信用した相手が、言った通りに帰って説明できるか確認しただけだ」
胸の奥へ、事情聴取とは違う熱が差し込む。
シャルロットはそれを表情へ出す代わりに、いつもより高く顎を上げた。
「でしたら、次は競技場で確認なさい。昨日は共闘しましたが、明日は敵ですわ」
「日本が先に三つ取る」
「わたくしたちが取りますわ! オーホホホホッ!」
高らかな笑いが、ようやく平常を取り戻し始めた大会施設の廊下へ響く。
延期された決勝は、もう一度動き出した。
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