# 第066話 わたくしが決めますわ
『お前が決めろ』
通信へ雑音が戻った。
シャルロットは返事をしないまま、端末の縁を握っていた。
直人から来いと言われれば、楽になれたのかもしれない。必要とされたから動いたのだと、自分へ言い訳ができる。国家の命令から外れた責任の一部を、彼へ預けることもできた。
だが、それでは国家に従う自分を、直人に従う自分へ置き換えただけだ。
国家の顔に隠れるな。
その言葉は、シャルロットが無意識に探していた逃げ道を正確に塞いでいた。
「……本当に、腹の立つ方ですわね」
『よく言われる』
「褒めておりませんわ」
細く息を吐き、端末から指を離す。
母国からの命令は間違っていない。ここを守る責任も消えない。それでも、今の情報を知った自分にしか選べないことがある。
シャルロットは通信を切らず、フランス随行団の保安責任者へ向き直った。
「現在時刻と、これからの発言を記録なさい」
「デュヴァル選手」
「命令の理由は理解しております。二次襲撃の可能性、わたくし自身が標的である危険、日本側の治安作戦へ外国の学生が参加する問題。そのどれも、無視してよいとは申しません」
室内にいる四人の代表と、警護担当者たちへ視線を巡らせる。
「ですから、全員で移動することもしません。代表四名はこの区画へ残り、保安責任者の指揮へ従ってください。内側の防護区画へ要人を集約し、出入口の監視を二名ずつ。わたくしの位置情報は、警備本部とこちらの双方へ常時共有します」
一人で全部を背負えるとは言わない。
自分が抜けることで生まれる穴を、残る人間へ何も告げず押しつけるつもりもなかった。
保安責任者は、黙って最後まで聞いた。その顔に同意はない。だが、感情で止めようとする色もなかった。
「それは、待機命令に従わないという通告ですか」
「ええ」
青い瞳を逸らさず、シャルロットは答えた。
「成人の専門能力者では間に合いません。隔壁の先には七名が連れ去られようとしており、わたくしの能力なら追跡可能時間内に開錠できる可能性があります。ここへ残る危険と、向こうへ行く危険。その両方を理解した上で、わたくしは日本側の緊急支援へ向かいます」
「許可はできません」
「許可されていないことも、記録なさい」
「代表資格を含む、正式な判断対象となります」
「承知しておりますわ」
結果が良ければ許されるとは思っていない。
間に合わないかもしれない。隔壁を開けられないかもしれない。ここが襲われるかもしれない。自分自身が負傷し、明日の決勝へ立てなくなる可能性もある。
それでも、何も選ばなかったという結果まで、命令の一文へ預けたくはなかった。
「わたくしは、フランスの代表です」
シャルロットは、ようやく背筋を伸ばした。
「だからこそ、自分にしか助けられない可能性を知りながら、考えることまで放棄した顔を母国へ持ち帰るわけにはまいりません。帰還後、命令から外れた理由も、発生した危険も、結果も、わたくし自身の言葉で説明いたします」
保安責任者の視線が僅かに動く。
「同じフランスの人間が誘拐されていなくても、ですか」
「国籍で《電磁支配》の届き方が変わるとでも?」
声に、迷いはなかった。
「フランス代表が他国の命を軽く扱ったという記録を残すより、命令から外れた判断を説明する方を選びますわ」
正しいからではない。
国家より自分を上へ置いたからでもない。
自分が知り、自分にできることを数えた末に選んだだけだ。
保安責任者は長い沈黙の後、携行端末を一台取り出した。
「これは許可ではありません。命令外行動を取る代表者の位置と生体状態を把握するための、安全管理措置です」
「十分ですわ」
「最短経路は北側連絡廊下。途中の防護シャッターが一枚停止しています。警備本部との回線を切らないでください」
「承知しました」
保安責任者は命令を撤回しなかった。シャルロットも、撤回されたことにはしなかった。
それでも互いに、発生する危険を一つでも減らすための仕事を続けていた。
シャルロットは端末を受け取り、四人のフランス代表へ向き直る。
「この区画を任せます。わたくし一人がフランス代表なのではありません。誰かが来たら、勝手に英雄になろうとせず、全員で守りなさい」
四人はそれぞれの顔で頷いた。
敗北した一人から情報を受け取り、次の一人が勝利へ繋ぐ。競技場で重ねてきたものは、試合が延期されたからといって消えない。
シャルロットは扉の前へ進んだ。
保安責任者が解錠操作を行う。細く開いた廊下の向こうでは、非常灯が明滅していた。
「デュヴァル選手」
呼び止められ、振り返る。
「必ず戻って、説明してください」
「当然ですわ」
腰へ片手を当て、胸を張る。
「わたくしを誰だと思っていますの?」
長い金髪の縦巻きを翻し、シャルロットは警護区画を飛び出した。
◇
地下搬送路では、榊原が隔壁の固定枠へ再び振動を流していた。
「あと一分待って来なければ、右下の固定部から壊す。安全は保証できない」
「それ以上は待てないな」
久我も同意する。
通信端末の追跡表示では、誘拐対象が外周搬送路の直前まで進んでいる。金属隔壁へ手を出さずに済む時間は、ほとんど残っていなかった。
鳴海が後方を守り、久世は隔壁が倒れた場合に備えて足場を準備している。
「瀬名。来ると思うか」
久我に問われ、直人は首を横へ振った。
「分からない」
「君があれだけ言ってもか」
「決めるのは俺じゃない」
直人は隔壁の向こうから伝わる微かな車輪音を数えた。
「ただ、来ると決めたなら、あいつは間に合わせる」
榊原が右下の固定部へ指を置く。
破壊開始まで、十秒。
その時、後方で停止していた防護シャッターが金属音を立てて持ち上がった。
隙間を滑り抜けた小柄な影が、深い青の上着を翻して着地する。呼吸は乱れていたが、背筋は伸びていた。
「随分と好き勝手に言ってくださいましたわね、瀬名直人」
「自分で決めたか」
「ええ。フランスにも、あなたにも決めさせておりません」
シャルロットは隔壁へ歩み寄ると、腰へ手を当て、胸を張った。
「国家指示から外れた責任は、帰ってからわたくしが説明いたします。ですから今は、このわたくしを必要だと言った責任を、あなたに果たしていただきますわ」
「何をすればいい」
「わたくしが道を開けます。あなたが、その先の七人まで道を繋ぎなさい」
「分かった」
短い返事を聞き、シャルロットの唇へようやく笑みが戻った。
「この程度の隔壁でわたくしを待たせたこと、後悔させて差し上げますわ! オーホホホホッ!」
高らかな声とともに、鋼鉄の内側で六本の固定ボルトが震え始めた。
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