# 第055話 能力のない研究者
《リイグナイター》事件から四日後、学園の合同報告室には、押収装置の分解図が投影されていた。
直人の左腕には薄い治療材が巻かれている。熱を受けた皮膚はまだ痛むが、日常動作に支障はない。隣に座る透花は、その腕を一度だけ見てから、正面の資料へ視線を戻した。
能力犯罪対策課の担当者が、淡々と捜査状況を読み上げる。
「東條恭介は現場で身柄を確保しましたが、能力犯罪対策課への護送中に逃走しました。現在も行方は分かっていません。不法監視、研究データ窃取、旧施設への侵入、違法装置への関与など、複数の容疑で捜索を継続しています」
護送車両の位置情報と車内監視が、同時に四十秒ほど途絶えていた。復旧時には後部扉の施錠だけが解除され、東條の姿は消えていたという。通常の能力反応も、既知の電子侵入痕も検出されていない。
「押収前に外部通信記録の大半も消去されています。逃走への外部関与を含め、装置の設計者と提供元との繋がりを調べています」
透花の指が、膝の上で僅かに強く組まれた。捕まったという事実に預けかけていた緊張が、再び身体へ戻ってくる。直人は安易に大丈夫だとは言わず、二人の端末へ共有された緊急連絡先と警戒情報を確認した。
残された設計痕は、学園都市で一般に使われる規格と一致しなかった。危険性を記した箇所だけが九条へ渡った資料から削られていたことも、偶然では説明できない。
「九条焔司は?」
牧瀬の問いに、担当者が次の画面を開く。
「神経障害、不整脈、体温調節機能の低下が残っていますが、意識は回復しました。拘束下で治療を継続しています」
九条は、外部支援者から受け取った接触手順と、消去された通信内容を記憶の範囲で供述し始めていた。
報告書には、短い本人の言葉も添えられている。
『装置を使うと決めた責任は俺にある。だからといって、俺たちの焦りを実験材料にした人間を逃がす理由にはならない』
利用されていたから無罪になるわけではない。それでも、自分の選択した罪と、利用した者の罪を分けて語ろうとしていた。
《零位解放戦線》は事実上、まとまりを失った。警備局へ情報を出す者、牧瀬の《再起支援連盟》へ相談を求める者、連絡を絶った者に分かれている。
「違法実験は、はっきり否定します」
牧瀬が机の上で手を組んだ。
「ですが、この事件を理由に、能力を取り戻したいと願う人間まで危険視しないでいただきたい。九条のしたことを裁くのと、能力喪失者が職や資格を失った後の制度を見直すのは、同時にできるはずです」
「自衛派の装備も、まとめて没収では困る」
鬼塚が続ける。
「審査には応じる。出力も安全制限も見せる。だが、今回人を運び出した装備まで、違法装置と同じ箱へ入れるな」
警備局側も、装備ごとの審査を約束した。鬼塚たちの避難活動は正式に記録される一方、携行装備の許可範囲は改めて確認される。功績が規則を消すことも、規則が功績を消すこともなかった。
ATLASについても同様だった。
旧設備による警報遅延は起きた。しかし遅延が解けた後は異常出力を検出し、避難経路、負傷者情報、医療搬送を統合していた。問題は監視機構が存在することだけではなく、その評価根拠を当事者が十分に知れないことにある。
能力喪失者の分類について、人間による再審査を増やし、本人へ説明できる範囲を検討する協議が始まることになった。牧瀬たち当事者も参加する。ただし、決まったのは検討の開始だけだ。失われた資格も、止まった支援も、今日からすべて戻るわけではない。
透花は、その説明を黙って聞いていた。
◇
続く研究審査で、《リイグナイター》は治療機器ではなく、残留経路を外部エネルギーで強制駆動する違法危険装置と正式に整理された。押収品は証拠物として封印され、能力回復研究へ転用することも認められない。
一方、《レイヤー・スコープ》が記録した波形と、透花が組み立てた停止手順は高く評価された。《基底共鳴成分》は、能力・魔物・ダンジョンの起源相関を調べる仮説として、学園の研究登録へ進む。直人の測定データは契約どおり匿名化され、許可された研究者以外には公開されない。
「柊木さんの学生研究員資格は継続します」
審査担当者が告げた。
「ただし、能力実験区画の利用資格は、等級0の現状では復帰しません」
「はい。そこは別の話ですから」
透花は悔しさを隠さなかった。それでも、代わりの成果を並べて不利益そのものをなかったことにはしない。
御厨が分解図を閉じる。
「今回評価されたのは、失った《構造解析》ではありません。現在のあなたが作った装置と、現在のあなたが下した停止判断です」
「能力のない研究者でも、席はあるってこと?」
「実績のある研究者に、能力がない。それだけです」
透花は一度目を伏せ、やがて小さく笑った。
◇
報告を終えた夕方、第3技術工房には測定装置の待機音が戻っていた。
透花は作業台に置かれた金属片へ指先を触れる。返ってくるのは、冷たさと表面の僅かな傷だけだった。《構造解析》は戻っていない。
「ねえ、ナオくん。あの時、私があの装置を選んでたら、どうした?」
何気ない調子を装っていたが、金属片を押さえる指は動かなかった。
「止めた」
「私が自分で決めても?」
「死ぬと分かってる装置ならな」
「じゃあ、本当に安全なものだったら?」
「止めない。それを使うかは、お前が決めることだ」
直人が守ろうとしたのは、能力のない透花という形ではない。誰かに作られた答えで命を失うことだけだった。どちらの自分で生きるかまで、彼は奪わない。
透花はようやく金属片から指を離した。
「安全に戻せる方法が、いつか本当に見つかったらさ」
透花は金属片を置き、直人を見た。
「私、たぶん欲しがるよ」
「欲しがればいい」
「即答なんだ」
「欲しいものを欲しいと言うことと、今のお前を否定することは別だろ」
透花の灰青色の瞳が、少しだけ細くなる。
「でも、今の私を消してまで戻る気はない。怖い時に助けてって言った私も、機械で遠回りしてる私も、なかったことにはしない」
「それを決めたのは、お前だ」
「うん。ナオくんは道を開けただけ」
そう言ってから、透花は直人の治療材へ指を伸ばした。火傷の具合を見るように手首を取り、そのまま端末を覗き込むため肩を寄せる。髪が制服へ触れるほど近い。
戦闘中なら気にも留めない距離に、直人の反応が一拍遅れた。
「透花。近い」
「おや。熱には突っ込めるのに、これは駄目?」
「比較するものじゃない」
透花は楽しそうに笑った。以前と同じ明るさに見えて、その指はすぐには直人の手首を離さない。
「ナオくん、からかうと面白いんだもん」
冗談の形を借りなければ、まだ言えないものがあった。
それでも、自分から触れた指先に能力は要らない。
能力のない研究者は、現在の自分の手で次の測定を始めた。
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