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# 第052話 怖いと言うこと



 第3技術工房の扉には、赤い封鎖表示が浮かんでいた。


 九条の試験から一夜が明けた朝。透花と直人が工房へ着いた時には、御厨と学園の情報保全担当者が廊下を封鎖していた。扉そのものに破壊痕はない。けれど、普段なら聞こえる換気装置の低い唸りも、作業端末の待機音も消えている。


「侵入ですか」


 直人の問いに、御厨が頷く。


「深夜二時十三分。旧式の保守用中継器へ偽造された作業資格が入力され、扉の異常通知が九分間遅延しました。ATLAS本体へ侵入されたわけではありません。遅らされた通知が復帰し、警報が上がっています」


「九分で、何を持っていかれたの?」


 透花の声は平静だった。


 保全担当者が、証拠記録を残しながら二人を中へ通す。工具棚も測定装置も、見た目には荒らされていない。狙われたのは奥の保管端末だった。


 透花自身の能力喪失前後の測定記録。三日間で《構造解析》が消えていった経過データ。そして、《基底共鳴成分》を抽出するために使った比較条件と補正式の一部。


「ナオくんの個人記録は?」


「別の同意区画です。暗号鍵も分けてあるため、閲覧された形跡はありません」


 御厨の答えを聞き、透花の肩から僅かに力が抜けた。


「よかった。研究対象の秘密を漏らしたら、担当者失格だもんね」


 笑いながら端末へ近づく。だが、保全済みの入力装置へ触れかけ、指を止めた。誰かがここに立ち、自分の記録を選び、自分の喪失を外へ持ち出した。その事実を確かめるように、作業椅子の位置と床の薄い汚れを何度も見比べている。


「人気者は困るなあ。研究データまで追いかけてくるなんて」


 冗談は工房の静けさへ落ち、誰にも拾われなかった。


     ◇


 前回封を切らずに保全した変換モジュールから、近距離受信器との接続鍵が見つかった。


 その鍵を手掛かりに捜索した結果、学園敷地外の設備収納箱から小型受信器が回収された。保存されていたのは、透花の装置が発した位置と稼働時刻だけではない。受信器へ手動で追記された行動記録が残っていた。


 学生住宅への帰宅と出発。第3技術工房。共同支援施設。部品店。九条との面会。そして、直人が同席していた日時。


「私の日記より几帳面じゃない?」


 透花は端末を覗き込み、口角を上げた。


 御厨は笑わなかった。


「設定ファイルには、東條恭介が普段使っている技術系専門校の開発証明が使われています。本人の資格情報を他者が盗用した可能性は残りますが、少なくとも偶然では説明できません」


 さらに、工房へ入力された偽造保守資格も、同じ系統の生成履歴を持っていた。


 東條本人が侵入したと断定するには、まだ捜査が必要だ。それでも、親切な部品提供者が何も知らずに巻き込まれただけだという可能性は、もうほとんど残っていなかった。


「警備局が東條の登録住所へ向かっています。柊木さんは、当面一人で行動しないこと。学生住宅も安全確認が終わるまで戻らないでください」


「はーい。等級ゼロの重要参考人、丁重に保護されまーす」


 明るい返事の直後、廊下で靴音が響いた。


 透花が振り返る。


 保全担当者が通り過ぎただけだった。彼女はすぐに前へ向き直ったが、呼吸は浅いままだった。


「御厨先生、少し外します」


 直人が告げると、御厨は透花の端末へ緊急連絡経路を設定しながら頷いた。


     ◇


 人のいない校舎間通路へ出ても、透花は冗談を続けた。


「いやあ、ナオくんと一緒にいた時間まで記録されてるとはね。私たち、思ったより注目のコンビだったみたい」


「透花」


「でもさ、見る目ないよね。盗むなら完成した研究にすればいいのに。まだ仮説だらけだよ?」


「もう笑わなくていい」


 透花の足が止まった。


 窓の外へ目を向ける。ガラスに映る自分の背後を確かめ、それに気づいたように視線を逸らした。


「笑ってた方が、私らしいでしょ」


「お前が作った装置も、研究も、笑わなければ消えるのか」


「消えないよ。そんなの分かってる」


「なら、何を守るために笑ってる」


 逃げ道を塞ぐ問いだった。


 透花の唇が震える。何かを返そうとして、声にならない。やがて伸びた指が直人の制服の袖をつかんだ。普段のように引っ張ってからかう触れ方ではない。細かな切り傷の残る指先が、離せば一人になると訴えるように布を握り締めていた。


「……ナオくん。私さ、本当はちょっと怖い」


 絞り出した言葉を境に、堪えていた呼吸が崩れた。


「能力を失った時、みんな急に優しくなった。重いものを持つな、無理をするな、休んでいいって。心配してくれたんだって分かってる。でも、何を作っても、何を言っても、最初に見られるのは能力を失った私だった」


 灰青色の瞳が濡れている。それでも透花は直人から目を逸らさなかった。


「助けてって言ったら、またそこへ戻される気がしたの。等級ゼロの、かわいそうな子。守ってもらわなきゃ何もできない子に」


 袖をつかむ力が強くなる。


「だけど、家へ帰る時間も、工房にいる時間も、誰と会ったかも知られてた。次はどこで見られてるのか分からない。一人になるの、嫌だよ」


 明るさの奥へ押し込めてきた恐怖が、嗚咽の混じる声となって溢れた。


「ナオくん。助けて」


 直人は握られた袖を外さなかった。


「怖いなら、俺を使え」


 透花が息を呑む。


「助けを求めたくらいで、お前が作った《レイヤー・スコープ》も、読み取った波形も、昨日止めた装置も消えない。誰かに守られたら、お前は技術者じゃなくなるのか」


「……ならない」


「お前をかわいそうな子に戻すのは、怖さじゃない。怖いと言った自分には価値がないと、お前自身が決めることだ」


 直人の声には、押し殺した熱があった。


「守られるだけの人間になりたくないなら、自分で決めろ。何を守って、何を壊すのか。決めたら道は俺が開ける。だから、一人で強いふりをして、選ぶ権利まであいつに渡すな」


 長い沈黙の後、透花が袖をつかんだまま頷いた。


「……じゃあ、使う。ナオくんを」


「ああ」


「盗まれたものを追う。九条さんの本格試験も止める。でも、最後に何を壊すかは私が決める」


「それでいい」


 その時、二人の端末へ御厨から緊急通知が届いた。


 盗まれたデータは、旧式の保守中継器を経由して施設外へ転送されていた。最後に応答した設備識別番号は、学園都市整備初期に使われ、今は閉鎖されている一棟を示している。


 画面に表示された名称を、透花が読み上げた。


「旧南部能力適性試験棟……」


 恐怖は消えていない。それでも、袖を握る指から逃げる力は抜けていた。


 次に進む場所を、自分で選んだからだ。


この小説をお読みいただきありがとうございます。

よければ★★★★★マークとブックマークで応援していただけると嬉しいです!

完結作品にはなりますが、応援が多ければ第二章突入も考えています!

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