# 第051話 再点火
九条から試験条件が送られてきたのは、当日の朝だった。
場所は共同支援施設に併設された機材試験区画。供給量は最低出力から開始し、異常検知時には外部遮断器で停止する。九条が前日に約束した三項目は揃っていたが、装置の供給源と制御中枢については、最後まで黒塗りのままだった。
「これは承認された人体試験ではありません」
厚い観察窓の手前で、御厨が九条へ念を押した。
御厨は試験を許可するために来たのではない。未成年の透花を危険な場へ立ち会わせる以上、緊急時の救護連絡と記録保全を担うために同行していた。施設側にも、人を接続する試験へ切り替わったことは通報済みだった。
「承認を待つ気はない。止められても、場所を変えてやるだけだ」
九条はそう答え、黒い上着を脱いだ。
胸と背中を挟む暗灰色の筐体。四肢には細い検出帯が巻かれ、そこから伸びる配線が背部の制御箱へ集まっている。医療機器に似せた外観だったが、透花が見ているのは形ではない。配線の太さ、端子の規格、熱を逃がすための空隙。安全装置らしい部品が、主供給路から不自然に遠い。
「それが装置の名前?」
透花が筐体側面の刻印を読む。
「《リイグナイター》。消えた火を、もう一度点ける」
「名前だけは随分と自信満々だね」
軽口に聞こえたが、透花の指先は硬い。直人はその横で、筐体から外部電源までの距離と、九条へ一歩で届く位置を確かめた。
透花が持ち込んだ《レイヤー・スコープ》は、九条の心拍、神経反応、体温分布と、能力反応に似た波形を別々の層へ表示する。緊急遮断器は透花と御厨の双方が操作できる。直人の役割は、遮断が働かなかった時に九条を装置から引き離すことだった。
「基準波形、取れた。今は能力反応なし。残留してる《基底共鳴成分》も、前に見せてもらった記録と同じくらい」
「始めろ」
「最低出力、三秒まで。私が止めろと言ったら、理由を聞く前に止める」
「分かっている」
九条が操作子を押した。
低い駆動音が試験室の床を伝い、背部筐体の表示灯が順に点る。初めに変化したのは、九条の内側ではなかった。外部供給線の波形が立ち上がり、残留反応の帯へ重なる。その直後、五か月間ほとんど動かなかった細い線が、引きずられるように上昇した。
試験台には、加熱した金属板と耐熱性の標的が置かれている。
九条が右手を向けた。
金属板の表面から陽炎が消える。反対側の標的で温度警報が鳴り、耐熱材の中央だけが赤みを帯びた。
周囲から熱を集め、指定した一点へ移す。失われたはずの《熱量収束》と、同じ結果だった。
「動いた……」
九条の喉から、掠れた息が漏れた。いつも理路整然と制度の不備を語る男の顔から、年齢も警戒も消えていた。
透花も画面を見つめたまま動かない。灰青色の瞳に映っているのは警告表示ではなく、一度消えた力が再び現れたという事実だった。
その一瞬を、鋭い電子音が切り裂いた。
「心拍が跳ねた。停止!」
透花が遮断器を叩く。
外部供給は落ちた。だが、《基底共鳴成分》の上昇は止まらない。九条の右腕が硬直し、引き攣った指先が意志と無関係に折れ曲がる。奥歯を噛み締めた口元から呻きが漏れ、全身を細かな痙攣が走った。
さらに室温表示が急降下した。
加熱板だけではない。壁、床、観察窓の金属枠からまで熱が奪われ、白い曇りが広がっていく。観察区画にいる透花の指先からも急速に色が引いた。
「止まってない。内部に溜めてる!」
透花は三層の表示を切り替え、筐体の右側を指した。
「ナオくん、右脇の補助線! 主線じゃなく、青い固定具の下!」
直人は試験室へ踏み込み、痙攣する九条の肩を支えながら筐体の奥へ指を差し入れた。青い固定具ごと補助線を引き抜く。短い放電音とともに表示灯が消え、九条の身体から力が抜けた。
直人が床へ倒れる前に抱え止める。御厨が救護連絡を確定させ、透花は九条の首元へセンサーを当てた。
「意識は?」
「ある……力も、消えた」
九条の唇は青ざめていた。それでも声音にあったのは恐怖より、確かに一度動いたものを失った悔しさだった。
◇
救護担当者の検査で生命の危険がないと確認された後も、九条の不整脈と右腕の神経痛は残った。
透花は試験記録を九条の前へ並べる。
「これは回復じゃない。装置側の供給が先に立ち上がって、その波形に残留経路が引っ張られてる。自分の力で発動したんじゃないよ」
「だが、《熱量収束》は起きた」
「似た現象は起きた。でも供給を切れば消えるし、制御も戻ってない。最後は標的を選ばず、この部屋全部から熱を奪った。人がいれば、その体温まで持っていく」
透花は停止直後の波形を拡大した。外部遮断から完全停止まで、設計図には存在しない遅延がある。安全監視器は不整脈を検出していたのに、その信号が主制御へ届く構造にもなっていなかった。
「渡された資料には、こんな蓄積経路は書かれてなかった。提供者は何て説明したの?」
「一時的な神経痛はあり得る。最低出力なら安全範囲だと」
「嘘だね。少なくとも、全部は教えてない」
九条は黙った。その沈黙だけで、装置を渡した相手への信頼が揺らいだことは分かった。しかし、連絡手段も相手の素性も、彼は明かさなかった。
「九条さん。次はやめて」
透花の声から、いつもの軽さが消えていた。
「出力を上げたら、能力が戻る前に身体が壊れる。これは残った道を直す機械じゃない。外から無理やり燃料を流して、焼きながら通してるだけだよ」
「それでも、道は残っていた」
九条は震える右手を見下ろした。先ほどまで、その手は五か月ぶりに熱を動かしていた。
「可能性が一度でも証明されたなら、俺は止まれない」
「証明されたのは、力を出せることだけだ」
直人が静かに言う。
「その方法で人生を取り戻せるとは、まだ証明されていない」
「なら、次で証明する。使うのは俺だけだ。ほかの誰かを実験台にはしない」
九条の言葉は狂気から出たものではなかった。力とともに仕事を失い、説明も選択肢も与えられなかった人間が、初めて見つけた可能性へ縋る声だった。だからこそ、理屈だけでは止まらない。
透花は《リイグナイター》の停止波形を見つめた。
未知の提供者は、安全性を知らなかったのではない。危険が現れる境界だけを、資料から正確に切り落としていた。
あの装置は、能力を失った人間を救うために未完成なのではない。
どこまで壊せば力が出るのかを、誰かが測るために渡した可能性があった。
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