第5話 幼馴染と最初の実習班
水瀬紗良は教室へ駆け込んできたが、直人の目の前で急停止した。
抱きつこうとしていたらしい両腕が途中で止まり、茶色の瞳が左足の固定具と制服の下に残る包帯を追う。胸元まで伸びた栗色の髪は走った勢いで乱れ、いつも穏やかだった顔には、喜びより先に痛ましさが浮かんでいた。
「本当に、直人なの……?」
「ああ。久しぶりだ、紗良」
「久しぶりって……十一か月だよ」
責めるような言葉とは裏腹に、声は今にも途切れそうだった。紗良は直人の胸を叩こうとして、包帯に気づくと手を引っ込め、そのまま手首を握った。
指先から淡い温かさが流れ込む。《生体同調》による確認だ。脈拍、呼吸、筋肉の緊張、傷の状態を読み取っていた紗良の眉が、次第に深く寄っていく。
「肋骨だけじゃない。古い骨折の痕も、裂けた筋肉が治った痕もある。こんなの、十一か月で……何をしてたの?」
直人は答えを探した。嘘で安心させるのは簡単だが、紗良は昔から、直人が誤魔化す時だけ視線をわずかに外す癖を知っている。
「今は、全部は話せない」
「話せないんじゃなくて、話したくない?」
「巻き込みたくない」
紗良の指に力が入った。安心より先に拒絶されたと感じたのだろう。その表情を見て、直人は自分の言葉が足りなかったことに気づく。
「紗良を信用していないわけじゃない。話すことで危険が増えるかもしれないから、まだ判断できない。それでも、俺が戻ったことまで黙るつもりはなかった」
「だったら、せめて帰ってきたって連絡してよ」
「昨日まで入院していた。今日、会えると思っていた」
「そういうところ、変わってない」
紗良は涙を拭いながら笑い、今度は傷を避けて直人の制服の袖を掴んだ。怒りも心配も消えてはいなかったが、目の前にいる直人へ触れられることが、ひとまずはそれらを上回ったらしい。
「なおとっち、登校初日から女の子泣かせとるやん。なかなか将来有望やな」
前の席から羽柴零士が口を挟む。
「羽柴、黙っていろ」
「零士でええって。あと、その子が水瀬さんやろ? 実習班の顔合わせ、そろそろ始まるで」
紗良が零士を見て、直人へ小声で尋ねた。
「もう友達できたの?」
「本人だけがそう言っている」
「照れんでええやん。友情は片方から始まることもあるんやで」
零士の軽口で教室に残っていた緊張が散り、担任は呆れた顔で三人を実習用の会議室へ追い出した。
◇
会議室では、残る三人がすでに待っていた。
真壁遼介は、百八十センチ近い長身に、短い黒髪をきっちり横へ流した男子生徒だった。太い眉と四角い顎が生真面目な印象を強めており、椅子へ座っていても背筋を崩さない。
その隣では、日焼けした肌と焦げ茶色の巻き毛を持つルーカス・アルメイダが、窮屈そうに制服の肩を動かしていた。鍛えた体格は同年代より一回り大きいが、緑がかった瞳と白い歯を見せる笑顔には威圧感がない。
白石透子は、小柄な身体を椅子へ浅く預け、耳の下で切り揃えた淡い茶髪を指で整えていた。目立つ表情は浮かべないものの、灰色の瞳は入室した直人の足運びから紗良の手の位置まで、静かに観察している。
「真壁遼介だ。等級三《空間固定》。この班の班長を任された」
真壁は立ち上がり、続けて全員の能力と役割を確認した。ルーカスは等級三《衝撃貯蔵》による前衛、紗良は等級二《生体同調》による治療、透子は等級二《反響地図》による索敵。そして直人は、等級一《成長型自己強化能力・仮》による近接補助だった。
「瀬名。怪我が残っているようだが、明日の実習へ参加できるのか」
「全力疾走は難しい。だが、歩行と短時間の戦闘なら問題ない」
「問題ないと言う人間ほど、現場で無理をする」
「なら、言葉ではなく行動で判断してくれ。限界が来る前に申告する」
真壁の目が細くなる。
「班では俺の指示に従ってもらう。独断は事故へ繋がる」
「指示が合理的なら従う。見落としがあれば、その場で指摘する」
「俺を試すつもりか?」
「命を預ける相手を確認するのは、お互いに必要だろう」
空気がわずかに張り詰めた。紗良が口を開きかけたが、その前に真壁が頷く。
「いい。俺もお前が口で言う通りの人間か確認する。反対意見は理由と代案を添えろ」
「それでいい」
「初対面から硬いな、お前たち!」
ルーカスが腹を抱えて笑い、透子もほんの少しだけ口元を緩めた。衝突を避けるのではなく、条件を明確にしたことで、少なくとも班として話す土台はできた。
顔合わせの後、透子は直人が社会変化をほとんど知らないと聞き、机上へ年表を表示した。
十一か月前、世界各地に異空間へ通じる扉が出現。その直後、複数の扉から魔物が地上へ流出し、多数の都市が被害を受けた。後に《第一次大流出災害》と呼ばれる事件である。
災害の最中から超常的な力を使う人々が確認され、各国は能力者の登録制度を整備した。日本では公的機関であるギルドが冒険者登録、入域許可、救助要請、実績管理を担当し、民間企業は装備開発や資源加工、攻略支援へ参入した。能力者が公的機関、企業、独立活動のどこを選ぶかは、原則として本人の自由だという。
「魔物が現れた時期と、能力者が発現した時期は?」
直人の質問に、透子は年表を拡大した。
「最初の公式記録はほぼ同時。数時間単位では前後してるけど、混乱がひどくて確定できてない。関係があるという説は多いけど、原因は不明」
「偶然と考えるには近すぎるな」
「私もそう思う。でも、証拠はない」
透子は淡々と答えたが、その目には同じ疑問を追う者の色があった。
やがて担任が明日の実習資料を送信する。場所は低危険度に指定された訓練用ダンジョン。対象は小鬼型魔物が数体で、教員の監督もつく。初回実習としては標準的な内容だった。
直人は添付された最新映像を開き、洞窟の壁に残った三本の傷へ目を留めた。
「ここを拡大できるか」
透子が映像を止める。傷は人の頭より高い位置から斜めに走り、岩の表面を深く削っていた。
「小鬼型の爪じゃないな」とルーカスが言う。
「古い傷なら問題ない。事前調査では対象外の大型反応は出ていない」
真壁はそう判断したが、直人は傷の縁に残る白い岩粉を見ていた。雨風のない洞窟でも、古い傷なら湿気で色が変わる。これは新しい。
映像が再生され、調査用カメラが奥へ進んだ瞬間、画面の端を黒い影が横切った。
「今の、戻して」
透子が操作するより早く映像が途切れ、《異常反応なし》の表示へ切り替わる。
直人は画面を見つめたまま、異世界で同じ爪痕を残した魔物を思い出していた。
低危険度のダンジョンへいるはずがない。
そして、もしあれが本当に同じ魔物なら、小鬼を餌にするため一体だけで潜むこともなかった。
「真壁。明日の実習、想定より敵が多い可能性がある」
「根拠は?」
直人は消えた映像の奥を見据えた。
「この傷をつけた奴は、群れで狩る」
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