第4話 胡散臭い同級生と幼馴染
瀬名直人が退院したのは、地球へ帰還してから十日後だった。
肋骨と左足首にはまだ固定具が残っていたが、医師からは日常生活に支障なしと判断された。異世界なら治癒魔法で数分もかからなかった傷へ十日を費やした事実は、レベル一へ戻った肉体の脆さを嫌でも思い知らせる。それでも、痛みが残っているからこそ、自分の限界を誤認せずに済むと直人は考えた。
出発の朝、母は衣類や薬に加え、保存食や裁縫道具、家族写真まで鞄へ詰め込んでいた。向こうでも買えると言いかけた直人は、肩までの黒髪を耳へかけながら荷物を確認する母の横顔を見て、口を閉じた。何かを持たせることで、もう一度送り出す不安に耐えようとしているのだろう。
父は最後の鞄を車へ積み込み、玄関先で直人の肩を叩いた。
「危ないと思ったら帰ってこい。理由は後で聞く」
「分かった」
「その返事は信用できないな」
短く刈った髪に白いものが増えた父の目は、直人が危険を一人で処理しようとする性格を、すでに見抜いていた。直人は少し考え、言葉を選び直す。
「一人で決める前に連絡する。助けが必要なら、ちゃんと言う」
父はようやく頷いた。三歳下の妹は、その横で直人の学園端末を操作し、毎晩九時の通話予定を勝手に登録している。
「消したら分かるから」
「監視か?」
「家族の確認。監視とは違う」
迷いのない断言に、直人はわずかに笑った。家族を守るために学園都市へ行くのに、その家族を不安へ置き去りにしては意味がない。妹と小指を絡めて約束し、十一か月ぶりに戻った家を再び離れた。
◇
列車が境界を越えた瞬間、街の景色が変わった。
道路を走る無人車両、建物の間を巡回する小型ドローン、壁面へ投影される交通情報と能力事故警報。駅へ降りる前から端末には住宅までの経路が表示され、改札へ近づけば本人確認と決済が自動で完了した。
《瀬名直人さん。学園都市へようこそ》
歓迎文の下には、現在地、健康状態、移動予定が並んでいた。便利ではある。だが、利用者が迷わないということは、管理する側も利用者を見失わないということだった。
割り当てられた住居は学校から徒歩十分ほどの一戸建てで、玄関、照明、空調、冷蔵庫、医療センサーまでATLASへ接続されていた。学生一人には十分すぎる広さだが、直人には生活可能な観察室にも見える。
もっとも、監視される可能性があるからといって、学園都市を避ける選択肢はなかった。ダンジョン、超能力、地球でも残ったレベル制度。その全てへ最も近づける場所がここである以上、見られる危険は承知の上で利用するしかない。
荷物を置いた翌朝、直人は支給された制服へ袖を通し、学校へ向かった。
白を基調とした校舎は、教育施設というより研究都市の中枢に近かった。通常の教室棟に加え、訓練場、研究棟、医療棟が渡り廊下で結ばれ、敷地の奥には能力事故を想定した隔離区画まで見える。
正面ゲートで端末を認証板へかざしたが、扉は開かなかった。
《編入情報を照合中です》
表示が変わらないまま背後へ列が伸び始める。直人が脇へ退こうとした時、横から伸びた指が認証板の隅を二度叩いた。
「仮登録と本登録が喧嘩しとるな。一回、学生用の回線へ切り替えてみ」
声の主は、直人と同年代の男子生徒だった。癖のある黒髪を無造作に流し、細い黒縁眼鏡の奥で楽しそうに目を細めている。背丈も体格も平均的で、制服の襟元は少し緩い。人混みへ紛れれば見失いそうな外見なのに、口元へ浮かべた人懐っこくも胡散臭い笑みだけは、妙に印象へ残った。
男子生徒に言われた通り端末を操作すると、今度は一秒もかからず扉が開いた。
「助かった。どうして原因が分かった?」
「毎年、転入生が引っかかる不具合や。最新都市のくせに、変なとこだけ頭固いねん」
男子生徒は当然のように直人の隣へ並び、校内へ歩き出した。
「瀬名直人。今日から二年に編入する子やろ?」
「まだ名乗っていない」
「行方不明やった生徒が帰ってきて、いきなり特別編入や。噂にならん方がおかしいって。怖い顔すんなや、なおとっち」
「なおとっち?」
「直人やから、なおとっち。俺は羽柴零士。同じクラスやし、仲良うしよな」
「瀬名でいい」
「ほな、なおとっちで決まりやな」
会話が成立していない。そう判断して歩みを速めた直人へ、零士は笑いながらついてくる。
「そっちは職員用通路やで。教室は反対」
直人は足を止め、壁面表示を確認した。確かに零士の言う通りだった。先ほどまで経路を示していた端末は、校舎へ入った途端、複数の案内通知を同時に表示して分かりにくくなっている。
「案内は頼む、羽柴」
「零士でええよ。友達やろ?」
「認証を直してもらっただけだ」
「友達の始まりなんて、大体そんくらい軽いもんやって」
零士は軽口を叩きながら、職員室、食堂、医療棟、訓練場への近道まで手際よく説明した。馴れ馴れしさに反して、直人が必要としていない個人情報までは聞いてこない。その距離感は不快ではなかった。
二年の教室へ入ると、会話の音が一斉に弱まった。行方不明から戻った編入生という噂は、零士の言葉通り広まっていたらしい。
教卓に立っていた担任は、四十歳前後の男性だった。短く整えた黒髪と角張った顔立ち、厚い肩幅のせいで体育教師にも見えるが、着ているのは皺一つない濃紺のスーツだった。値踏みするような視線ではなく、負傷の残る左足へ一度だけ目を向けた後、直人の顔へ戻す。
「瀬名直人だ。事情について無理に聞き出すことは禁止する。本人が話したくないことへ踏み込むな」
先に釘を刺した教師のおかげで、教室の好奇心は完全には消えなくとも、質問攻めにはならずに済んだ。
「なんや、先生。俺が華麗に助け舟出す予定やったのに」
「羽柴、お前はまず自分の遅刻を心配しろ」
「転入生を救助しとったんです。人命優先やないですか」
「校門から教室までで遭難者を作るな」
教室に笑いが起こり、直人へ集まっていた視線が散った。零士が意図して空気を変えたのか、ただ普段からこうなのかは分からない。どちらにせよ、助けられたことは事実だった。
直人の席は窓際の後方で、零士はその一つ前だった。始業前の説明が終わると、担任が教卓へ五人分の名前を表示する。
「瀬名には明日から、ダンジョン基礎実習へ参加してもらう。能力だけでなく、集団行動と緊急時の判断を見るための合同班だ」
表示されたのは、真壁遼介、ルーカス・アルメイダ、白石透子、そして瀬名直人。最後の一人の名前を見た瞬間、直人の呼吸がわずかに止まった。
水瀬紗良。
幼い頃から何度も見た名前だった。
「残りの班員は別クラスだ。今日は顔合わせだけ行う。ちょうど来たようだな」
教室の扉が開く。
栗色の髪を胸元まで柔らかく伸ばした少女が、医療実習用の白い上着を抱えて立っていた。整った顔立ちには穏やかな印象があったが、直人を見つけた瞬間、茶色の瞳が大きく揺れた。
抱えていた上着が床へ落ちる。
「……直人?」
十一か月前まで、隣にいることが当たり前だった幼馴染の声だった。
直人が答えるより早く、紗良は教室の中へ駆け込んできた。
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