# 第047話 失った構造
第一回測定は、協力申請へ署名した翌日の放課後に行われた。
第3技術工房の一角には可動式の隔壁が立てられ、普段の作業区画と測定区画が分離されている。床へ埋め込まれた荷重計、呼吸と心拍を拾う生体センサー、六つの接触端子を備えた《レイヤー・スコープ》。いずれも開始前の自己診断を終え、待機を示す青い光を灯していた。
「じゃ、ナオくん。脱いで」
「説明を省くな」
「上着だけだよ。何を想像したの?」
「お前が省略した情報を補っただけだ」
「その補い方、今後の研究対象に加えようかな」
透花は楽しそうに笑ったが、直人が制服の上着を脱ぐと、すぐ技術者の顔へ戻った。
薄い測定着の上から、胸部、背中、両腕へ接触センサーを配置する。装着そのものは御厨が担当し、透花は端末側で位置と感度を確認していた。研究者と同年代の協力者という関係へ甘えず、接触を必要最小限に分けている。
「安静時の基準を取るよ。普段通りに呼吸して、三分間動かないで」
表示欄へ心拍、体温、筋出力、微弱なエネルギー反応が順に並ぶ。
直人は呼吸を整え、体内の力を意識的に沈めた。《魔力循環》の内部名称も、勇者としての過去も話していない。公的登録上は《成長型自己強化能力・仮》。魔物との戦いを重ねることで、身体能力が段階的に変化することまでが、今回開示した範囲だった。
「基準値、取得。次は右手の握力から。いきなり全力にしないで、三段階に分けて上げて」
指示に従い、直人は計測器を握った。
筋肉の収縮と同時に複数の波形が上昇する。二段階目までは透花も無言だったが、三段階目へ移った時、画面の一部を拡大した。
「御厨先生、能力反応の開始点、取れてます?」
「自動判定では該当なし。雑音除去前の原波形を残して」
力は明らかに増している。それにもかかわらず、通常の能力測定で検出される発動開始時の山が見当たらないらしい。
「次は能力を使った状態で同じ動作。できる?」
「可能だ」
直人は体内にある力を、僅かに四肢へ巡らせた。
かつての出力には遠く及ばない。だが、レベル四の身体へ定着した魔力は、意識に応じて筋肉と骨格の働きを押し上げる。
計測器が軋み、表示値が上がった。
透花の笑みが消える。
「出力は変わってる。熱も筋収縮も追従してる。でも、途中が薄い」
「途中?」
「普通の能力なら、能力反応が先に立って、それに身体が引っ張られる。ナオくんは身体側の結果だけが先に見える感じ。何も使ってないわけじゃないのに、私の装置が経路を拾えてない」
御厨は結論を口にせず、測定条件の再確認を指示した。
センサーを交換し、端末を再起動し、反対側の腕でも測る。結果は変わらなかった。機器の故障ではない。少なくとも、同じ装置で記録された一般能力者の反応とは違っている。
「面白いね、ナオくん」
「俺の身体を見て言う台詞ではない」
「研究者にとって、分からないは最高級の褒め言葉だよ」
灰青色の瞳が、先ほどより近い位置から直人を覗き込む。直人が顔を動かすと、透花は満足したように一歩下がった。
「今の、嫌だった?」
「測定に必要な距離ではなかった」
「ちゃんと答えるんだ。ナオくんって、からかい甲斐あるね」
まだ研究対象への好奇心が中心だ。それでも透花は、数値だけでなく直人の反応まで見逃すつもりがないらしい。
◇
休憩を挟み、透花は直人の過去の公的測定記録を画面へ重ねた。
帰還直後。学園への転入時。ダンジョン活動開始後。そして現在。
「訓練で少しずつ伸びた線じゃない。一定期間ほとんど変わらなくて、ある時点で複数の値がまとめて切り替わってる」
透花は四つの記録へ階段状の補助線を引いた。
「魔物と戦った後、自覚できるくらい身体が変わるんだよね?」
「ああ。ただし、戦うたびに必ず変わるわけじゃない」
「蓄積した何かが条件を満たした時だけ、一段上へ移る。仮の呼び方が必要だな……《段階遷移》。今はそれで登録しておく」
「仮説を名前にしていいのか」
「名前がないと、間違ってた時に取り消せないでしょ」
言いながら、透花は比較用の個人記録を開いた。
画面に表示された名前は、柊木透花。
「装置の較正には、構造が分かってるデータが要るからね。これ、私が能力を失う前の記録」
七か月前。元等級二《構造解析》。接触時の反応は安定し、装備内部の欠損やエネルギー経路を高精度で読み取っている。
その記録は、ある日を境に急激に崩れていた。
「学校管理の研究だった。高密度のダンジョン由来試料で、封印も手順も決められてた。だから、誰かが勝手に危険物を触らせた事故じゃないよ」
透花は先回りして責任の所在を切り分けた。
試料へ触れた瞬間、普段なら層や接合部として整理される情報が、一度に流れ込んだという。どこまでが物質で、どこからがエネルギー経路なのか分からないほど複雑で、視界は白い雑音に覆われ、指先の感覚が消えた。
透花はすぐに手を離し、研究も中止された。
「その日は休めば戻ると思ってた。次の日は、触っても深いところまで見えなくなった。二日目には表面だけ。三日目は――」
言葉が途切れた。
透花の指先が、無意識に作業台へ触れている。
「何も見えなかった。触れば分かるのが普通だったのに、ただ冷たいだけだった」
画面には、能力反応が少しずつ細くなり、最後には測定下限を割った経過が残されていた。
ATLASの診断は、《能力反応消失・原因不明・要経過観察》。検査は繰り返されたが、能力が消えた原因も、戻す方法も判明しなかった。
「まあ、なくても全然困ってないけどね。見ての通り機械で測れるし、装備設計は頭でするものだし」
透花はいつもの笑顔を作った。
直人は画面の端へ並ぶ試作記録を見た。《レイヤー・スコープ》の初期型から現行型まで、失った日からほとんど間を置かず改良が続けられている。
「困っていない人間は、失った感覚を取り戻すために、これだけ装置を作らない」
透花の笑みが固まった。
「能力がなくても、お前が身につけた技術まで消えたわけじゃない。それは昨日見た」
直人は、慰めるために言葉を丸めなかった。
「だが、残ったものに価値があることと、失ったものが惜しくないことは別だ。平気だと言い切らなければ今のお前を認められないなら、それはお前自身も、能力だけで自分を測っている」
「……研究協力者が、研究者の心理まで解析するのは契約外なんだけど」
「今のは測定結果じゃない。見れば分かる」
第46話で返された言葉に、透花はしばらく何も言えなかった。
やがて作業台から指を離し、誤魔化すように端末を閉じる。
「ナオくん、思ってたより容赦ないね」
「訂正が必要か」
「今はいい。もう少しデータが揃ったら、反論する」
逃げたのではなく、答えを保留した顔だった。
透花は測定結果を保存し、新しい比較計画を表示する。
「次は、私だけじゃなくて、ほかの能力喪失者の記録とも比べたい。本人の同意を取って匿名化してるデータがある」
「どこにある」
「私が関わってるコミュニティ」
透花は再び笑った。ただし、その笑みには先ほどまでと違う慎重さが混じっていた。
「ナオくん。スキル・アウターって、知ってる?」
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