# 第046話 等級0の技術者
《翠環回廊》の事故から半月ほどが過ぎ、学園にはようやく普段の空気が戻り始めていた。
負傷した学生たちはまだ治療やリハビリを続けている。廊下を行き交う生徒の声も、事故以前とまったく同じではない。それでも授業は進み、新しい実習予定が組まれ、止まっていた日常は少しずつ動いていた。
そんな放課後、直人の学園端末へ一通の依頼が届いた。
『学生研究員による能力測定への協力申請』
依頼者は、同じ高校二年生の柊木透花。所属はダンジョン工学系技術コース・第3技術工房となっている。
添付された概要には、《成長型自己強化能力・仮》による身体変化とダンジョン活動記録の比較測定、とあった。目的、予定時間、使用機器、成人責任者の名前まで記載されている。書式上の不備はない。
だが、正式な書式が揃っていることと、命や秘密を預けられることは別だった。
直人は承諾欄を空白のままにし、指定された第3技術工房へ向かった。
◇
技術棟の奥にある工房は、戦闘訓練施設とは違う熱を帯びていた。
金属を削る乾いた音。冷却装置の低い唸り。作業台には分解された探査端末や防護装備が並び、天井から伸びた可動式の照明が、それぞれの手元を白く照らしている。油と焼けた樹脂の匂いに混じり、洗浄薬品の刺激が鼻を掠めた。
「あ、来た来た。待ってたよ、ナオくん!」
大型装置の陰から、小柄な少女が顔を出した。
青みを帯びた黒髪は顎の辺りで揃えられ、動くたび軽く跳ねる。灰青色の瞳は好奇心を隠そうともせず、笑うと整った顔立ちに猫のような生意気さが浮かんだ。制服の上には灰白色の工房用ジャケットを羽織り、頭へ載せた保護ゴーグルの縁には細かな擦り傷がある。
右手には精密工具。細い指先には、小さな切り傷と薄い火傷の痕が残っていた。
見栄えのために工具を持っている手ではない。
「初対面でその呼び方なのか」
「瀬名くんだと、普通すぎるでしょ。等級一で等級四に勝って、生徒会長まで追い詰めて、ダンジョンでは救助記録を増やしてる人に普通の呼び方なんて似合わないよ」
「一敗している」
「戦績を訂正するところ、そこなんだ」
透花は工具を指先で回し、面白そうに直人を眺めた。話題性や戦績に浮ついた様子はなく、観察対象の反応を一つ拾ったことを純粋に喜んでいる目だった。
「柊木。説明より先に被験協力者を採点しない」
工房の奥から、落ち着いた女性の声が飛んだ。
御厨文乃は三十代後半ほどの女性だった。黒髪を低い位置で束ね、細い長方形の眼鏡を掛けている。濃紺の作業衣は装飾より機能を優先したもので、袖口まで隙なく留められていた。華やかな透花とは対照的に、黙って立っているだけで確認漏れを見つけられそうな実務家の雰囲気がある。
「第3技術工房主任の御厨です。今回の成人責任者を務めます。瀬名君、まだ申請を承諾していませんね」
「内容を確認してから決めます」
「正しい対応です」
御厨は不快感も落胆も見せず、作業台の端末を直人へ向けた。
測定目的は、公的登録能力による身体出力の変化と、能力反応、魔力伝導の比較。生体情報の原記録を閲覧できるのは、透花、御厨、申請時に指定された校内解析担当者だけ。外部企業への提供は行わず、研究成果として使用する場合も匿名化した上で直人の再同意を必要とする。
「測定中止は?」
「理由を問わず、あなたの意思で即時停止できます。測定済みデータの削除請求も可能です」
「ATLASへの登録範囲は」
「測定を実施した事実と学校研究番号まで。原記録は工房内の分離保管領域です。法令上の緊急開示を除き、勝手に分野横断解析へ回しません」
御厨の回答に迷いはなかった。
直人がさらに、装置の危険性、身体負荷、研究目的外の異常を発見した場合の扱いまで尋ねても、透花は口を挟まなかった。先ほどまでの笑みを消し、御厨の説明と直人の質問を一つずつ確認している。
必要な場面で冗談を止められる。その切り替えを、直人は記憶へ加えた。
「装置を見せてくれ」
「やっと私の番だね」
透花が作業台の布を勢いよく取り払った。
現れたのは、掌ほどの六つの接触センサーと、それらを束ねる黒い解析端末だった。小型画面の周囲には後付けらしい端子が並ぶが、配線は無秩序ではない。修理や交換を前提に、機能ごとに色と配置が整理されている。
「多層構造解析端末、《レイヤー・スコープ》。超音波、熱、電磁反応、能力反応、素材密度、微細振動を重ねて見る。元の私なら触ってすぐ分かったことを、今は六個のセンサーと数分かけて調べる感じ」
透花は説明しながら、試験用の複合装甲板へセンサーを貼り付けた。
画面に複数の波形が走り、装甲板の断面図が少しずつ組み上がる。透花は途中で一つの値へ眉を寄せ、左上のセンサーを数ミリ移動させた。表示されていなかった微細な亀裂が、接合部の内側に赤く浮かび上がる。
「能力より遅いし、見られないものも多い。でも、この結果なら私以外の人も見られるし、同じ条件でもう一度確かめられる」
誇る声に、僅かな硬さが混じった。
失った能力との比較を、何度も他人から向けられてきたのだろう。先に自分から欠点を並べれば、相手に哀れまれる前に笑っていられる。
直人は装甲板ではなく、画面に残った解析履歴を見た。最初の測定で生じた誤差と、センサー位置を修正した根拠まで記録されている。
「この装置を設計したのは、お前か」
「基本設計はね。御厨先生には安全規格で三回くらい殴られたけど」
「規格書で差し戻しただけです」
「書類も厚ければ鈍器だよ、先生」
透花は笑った。しかし直人が次の言葉を発するまで、その瞳は彼の評価を待っていた。
「なら、俺が判断する相手は、元等級二の《構造解析》じゃない。この装置を作って、測定結果に責任を持つ今のお前だ」
透花の指が止まった。
能力を失っても同じだ、とは言わない。失ったものを知らない直人が、簡単に埋められる傷ではない。
それでも、目の前に残った技術まで失われたことにはさせない。
「装置と条件は信用できる。測定を受ける」
数秒の沈黙の後、透花の口元に笑みが戻った。ただし最初の軽い笑顔とは違い、何かを確かめたようにゆっくりと形作られていく。
「能力と一緒に、私の頭まで消えたわけじゃないからね」
「見れば分かる」
「……そっか」
透花はそれだけ答えると、すぐにいつもの調子を取り戻した。
「じゃあ、契約成立。次はナオくんの中身を、隅々まで見せてもらおうかな」
「言い方を変えろ」
「あれ、今ちょっと警戒した?」
「研究目的外の観察をするな」
透花の弾む笑い声を聞きながら、直人は端末の承諾欄へ署名した。
画面に、新しい測定予定が登録される。
対象者、瀬名直人。
測定項目、能力反応、魔力伝導、身体出力。
第一回測定、実施待機。
等級を失った技術者の計測器が、地球の能力体系から外れた力へ、初めて向けられようとしていた。
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