# 第044話 生きて帰る計算
「透子、西側空洞と石柱の位置をもう一度見てくれ」
直人の声に、透子は壁へ両手を当てた。
遠くから迫る群れの振動を拾いながら、石柱の亀裂、天井へ伸びる植物根、その向こうにある空洞までを《反響地図》へ組み込んでいく。
「石柱が倒れれば通路は塞がる。でも根を切ったら、ほとんど間を置かずに落ちる。西側から戻る人も巻き込まれるよ」
「落ちる位置を固定すれば、何秒持つ」
問われた真壁が石柱を見た。既に大型石板を固定した消耗が残り、腕には細かな震えがある。
「完全には止められない。落下方向を三秒、よくて四秒ずらすだけだ」
「それでいい」
直人は地図上の経路へ指を走らせた。
搬送列はそのまま狭窄部へ進める。最後尾には救助隊の護衛二人と、まだ戦える学生を残す。魔物とは狭い下層通路の出口で接触し、一度に前へ出られる数を抑える。倒し切ろうとせず、攻撃するたびに西側通路へ後退する。
最後の担架が狭窄部を抜けた時点で、直人が植物根を切る。
真壁が石柱の落下を数秒だけ遅らせ、その間に直人もこちら側へ走り抜ける。
「瀬名だけに誘導を背負わせない。護衛は交互に後退し、最終位置まで戦闘を継続する」
救助隊長が即座に人員を割り振った。
「白石さんは接近方向と退路を共有。真壁君は最後の固定へ集中。それまでは能力を使うな。水瀬さんは搬送列へ――」
「私、最後に残ります」
紗良が言った。
救助隊長の眉が寄る。
「能力使用の限界に近い。戦闘には出せない」
「戦いません。直人が戻った時、怪我をしていたら生きたまま引っ張るために残ります」
言葉に迷いはなかった。
救助隊長は直人を見る。直人は反射的に安全な搬送列へ行けと言いかけ、それを飲み込んだ。自分を生存条件へ入れると決めた直後に、助ける側の紗良を遠ざければ、何も変わらない。
「紗良は狭窄部の内側から動くな。俺が六メートル以内へ戻った時だけ状態を見ろ。無理に接続を維持するな」
「分かった」
紗良も、自分の限界を無視して全員へ繋ぐとは言わなかった。
計画が決まると、全員が同時に動いた。
担架は速度を上げて狭窄部へ向かう。奏太の救護員は処置を続けたまま走り、ルーカスは揺れの痛みに歯を食いしばった。それでも戦闘へ戻ろうとはしない。
「直人! 俺の分まで格好つけるなよ!」
「怪我人は黙って運ばれてろ」
「帰ってきたら覚えてろ!」
ルーカスの声が遠ざかる。
直後、透子が鋭く告げた。
「来る! 正面に六、左の下層から四……まだ後ろにもいる!」
最初の獣型魔物が、狭い通路から飛び出した。
直人は《魔力循環》を全身へ巡らせ、突進を正面で受けず半歩横へ流す。短剣が前脚の内側を裂き、崩れた頭部を救助隊の護衛が横から打ち据えた。
二体目を別の護衛が盾で逸らす。三体目は動ける学生が投じた障害物へ足を取られ、後続と衝突した。
「下がる!」
一体を倒すたび、全員で数歩下がる。
戦う人数を増やさず、前へ出す魔物の数も増やさない。透子が壁越しの位置を叫び、直人が攻撃の順番を決め、護衛と学生が役割を変えながら穴を埋める。
一分。
先頭の担架が狭窄部を抜けた。
二分。
高岡を運ぶ担架が続き、歩ける負傷者も根の隙間を通過していく。
「右から一体、壁を回る!」
透子の声に反応し、直人は振り返らず短剣を投げた。壁際から跳び出した個体の肩へ刃が刺さり、進路が逸れる。その隙に最後の護衛が西側通路へ退いた。
「最後の担架、狭窄部へ入った!」
残るのは直人、護衛二人、学生二人。そして石柱の近くで構える真壁と、その内側で待つ透子と紗良だけだった。
「護衛と学生は先へ!」
直人が叫ぶ。
「お前も遅れるな!」
救助隊長から通信が返る。
直人は最後まで残るのではなく、最後に戻る役目を引き受けた。その違いを、自分へ刻み込む。
全員が狭窄部へ入ったことを確認し、植物根へ短剣を振り下ろした。
太い根が断ち切られ、支えを失った石柱が傾く。
「真壁!」
「固定する!」
空間が軋んだ。
落下しかけた石柱が不自然な角度で止まり、細かな石片だけが雨のように降る。真壁の両腕が震え、額の血管が浮いた。
「三秒だ! 走れ!」
直人は石柱の下へ飛び込んだ。
背後から追いついた一体の爪が、脇腹を掠める。熱い痛みとともに戦闘服が裂けたが、足は止めない。
「二秒!」
狭窄部の向こうで紗良が手を伸ばしている。
直人はその手を取った。
接触と同時に《生体同調》が成立する。紗良へ流れ込んだのは、脇腹の裂傷、上がりすぎた心拍、酸素を求める肺の苦しさ。それでも致命傷ではない。
「動ける。引くよ!」
紗良は生命活動を短く支えながら、直人の腕を自分の側へ引いた。
「解除!」
直人が通過した瞬間、真壁が固定を解く。
石柱と根が轟音を立てて落ち、押し寄せていた魔物群との間を完全に塞いだ。衝突音が何度も響いたが、崩れた岩と根は動かない。
真壁が膝をつき、透子も壁から手を離して座り込む。紗良は接続を切った後も直人の手首を掴んだままだった。
「戻ったぞ」
「……遅い」
「予定の三秒以内だ」
「そういう話じゃない」
紗良の目には涙が残っていた。怒っているのに、掴んだ手から力を抜こうとしない。
「約束して。勝手に、自分だけを諦めないで」
絶対に死なないとは言えない。
危険を避けられない時も、誰かが残らなければならない時もある。直人はその現実を知りすぎている。だから、できない約束で紗良を安心させることはできなかった。
「危険な時に、必ず安全な方を選ぶとは約束できない」
紗良の指が僅かに強張る。
「でも、自分を最初から切り捨てる計算はしない。危険な判断は共有する。お前たちが俺を助けられる可能性を、俺が勝手にゼロにはしない」
「……本当に?」
「ああ。今日、お前たちに助けられたことも忘れない」
紗良はようやく、小さく頷いた。
その後の搬送は止まらなかった。
残る経路を救助隊の護衛と透子が確認し、全員が《翠環回廊》の外へ出た。奏太は緊急手術のため、ルーカスと高岡も詳しい検査と治療のため、それぞれ医療搬送車へ移されていく。
十一人の負傷者は、誰一人欠けなかった。
地上の光の下で、直人は脇腹の処置を受ける。紗良も能力過剰使用による消耗を診られることになったが、離れる直前まで直人の手首を放さなかった。
全員で組み直した計算は、誰か一人の犠牲ではなく、全員の生還という答えへ届いた。
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