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# 第042話 選んだ後に残るもの



 一人へ絞った《生体同調》は、静かだった。


 五人分の痛みと呼吸が混ざり合っていた時とは違う。紗良の内側へ流れ込むのは、奏太の弱い心拍と、腹部の奥で続く出血がもたらす冷たさだけだった。


 だからこそ、状態の悪さがはっきりと分かる。


 能力で失われた血を戻すことはできない。傷ついた臓器を元通りにすることもできない。紗良にできるのは、急速に崩れようとする生命活動を支え、彼自身の身体が耐えられる時間を少しずつ引き延ばすことだけだった。


「血圧、まだ下がってる。呼吸も弱い」


「救助隊は予定通りなら残り八十二分だ」


 通信端末を確認した真壁が答える。その横では透子と動ける学生たちが、紗良から伝えられた手順に従って負傷者を分担していた。


 ルーカスの胸部と左脚は簡易固定具で動かないよう支えられ、高岡には支給酸素が使われている。頭部を負傷した生徒には一人が付き、呼びかけへの反応と呼吸を絶えず確認していた。


 直人は全員の間を動き、処置の抜けと周囲の安全を見ている。


 誰も、紗良が手放した命を放置してはいなかった。


「五分ごとに全員の状態を報告して。変化があれば時間を待たなくていい」


 紗良は奏太へ両手を当てたまま告げた。声にはまだ震えが残っている。それでも、何をしてほしいのかは明確だった。


 最初の二十分は長かった。


 奏太の唇から少しずつ色が失われ、閉じかけた瞼が何度も持ち上がる。紗良は呼吸の間隔と心拍の乱れを一つずつ整えた。額から流れた汗が顎を伝っても、拭うために手を離すことができない。


「水瀬さん……すみません」


「喋らなくていいよ」


「僕を、選んだから」


 かすれた言葉に、紗良は一瞬だけ目を伏せた。


「謝らないで。今のあなたを繋ぐために、私はここにいるの」


 奏太が何かを返す前に、呼吸が浅くなる。紗良は意識を深く沈め、弱まった生命の流れを支えた。


 その時、高岡のそばから切迫した声が上がった。


「呼吸音が変わった! さっきより苦しそうだ!」


 紗良の肩が跳ねる。


 振り向けば、高岡が喉を押さえ、酸素マスクの下で激しく咳き込んでいた。接続しなければ、内部の状態までは分からない。今すぐ手を伸ばしたいという衝動が、両腕を引き裂くように走った。


「紗良」


 直人の声が止める。命令ではなかった。


「奏太から離れても、今は持つか」


 問われて、紗良は繋がっている心拍を見る。補助を弱めれば、血圧は再び急落する。


「……持たない」


「なら、そっちは俺たちがやる」


 直人は高岡のもとへ駆け、処置をしていた学生と一緒に体勢を調整した。真壁が端末の救急手順を読み上げ、透子が胸の動きと呼吸の間隔を数える。


 短い咳が何度か続いた後、高岡の喉から漏れていた音が僅かに弱まった。苦しさは消えていない。それでも呼吸は続いている。


「水瀬、こっちは維持できる」


 高岡自身の低い声が届く。


 紗良は唇を噛み、奏太へ意識を戻した。


 任せるとは、見ないことではなかった。自分では見られない時間を、仲間の目と手へ預けることだった。


 四十分を過ぎた頃、奏太の意識が途切れた。


 名前を呼んでも返事はない。だが心臓は動いている。紗良は何度もそれを確かめ、消えそうになる呼吸を支え続けた。


 鼻血は止まっていたが、頭痛と吐き気は強くなっている。指先の感覚も薄い。直人が湿らせた布で額を拭い、少量の水を唇へ含ませた。


「代われないのが腹立つな」


「代わってもらったら困るよ。これは私にしかできないから」


「そうか。なら、ほかは俺たちにしかできない」


 直人はそれだけ言って立ち上がった。


 五分ごとの報告は途切れなかった。


 ルーカスの意識は清明。胸痛はあるが急激な悪化なし。高岡の呼吸は不安定ながら維持。頭部を負傷した生徒は呼びかけに反応あり。腕を折った生徒も、ほかの負傷者も、処置を受けながら待っている。


 誰かの状態が告げられるたび、紗良の胸は強く締めつけられた。それでも接続を広げなかった。自分が見なければならない一つと、仲間が見ている十を、同じ救命の中に置き続けた。


 残り十五分を切った時、通信機から美鈴の声が届いた。


『救助隊が迂回路の最終区画へ入った。到着まで十二分。全員の生存を再確認して』


 真壁たちの報告が重なる。


 十一人、全員生存。


 その言葉を聞いても、紗良は笑えなかった。奏太は意識を失ったまま。ルーカスは立てず、高岡も自力で歩ける状態ではない。助かったと呼ぶには、誰も傷つきすぎている。


「私が選んでも、何も治ってない」


 小さく漏れた声を、直人は聞き逃さなかった。


「芦原君は手術が必要で、ルーカスも高岡さんも、この後どうなるか分からない。ほかの人だって、すぐ元通りには――」


「全員を元通りにするところまで、お前一人の仕事にするつもりか」


 紗良が顔を上げる。


「命を繋いだ後には、救助隊が運ぶ。医者が治す。怪我をした本人が治療とリハビリを続ける。そこまで全部奪って、自分一人の責任にするな」


「でも、残る傷があったら」


「傷が残ることと、お前が見捨てたことは同じじゃない」


 直人の声は静かだったが、譲る余地はなかった。


「救うっていうのは、一人で最後まで抱えることじゃない。次の手へ、生きたまま渡すことだ。お前は今、そのための時間を作ってる」


「俺のリハビリまで勝手に背負うなよ、紗良」


 横たわったルーカスが、痛みに顔を歪めながら笑った。


「そこから先は俺の仕事だ。まあ、サボりそうになったら怒ってくれていいけどな」


 紗良の目から、新しい涙が一滴だけ落ちた。


「……絶対に怒るから」


「怖いな、それはサボれない」


 遠くから複数の足音が近づき、閉塞区画の向こうでギルドの識別灯が揺れた。


 救助隊は到着すると、負傷者の状態を一人ずつ引き継いだ。奏太には緊急搬送の判定が下り、ルーカスと高岡にも担架が用意される。ほかの学生たちも、長期入院や経過観察が必要になる可能性を告げられた。


 紗良は救護員へ、奏太の損傷位置、血圧の推移、意識を失った時刻を伝えた。最後の確認を終えると、救護員が彼女の手首へそっと触れる。


「ここからは私たちが引き受けます」


 紗良はすぐには手を離せなかった。


 それでも一度息を吸い、接続を解く。奏太の命は消えず、救護員の機材と手の中へ渡っていった。


 選んだ後に残ったのは、完全に治った十一人ではない。


 傷と、これから続く治療と、十一人分の命だった。


 担架が持ち上がる。救命は次の手へ渡ったが、全員が地上へ戻るまでは終わらない。


 直人は搬送経路の暗がりを見据えた。


 次は、この十一人を生きたまま連れ帰る番だった。


この小説をお読みいただきありがとうございます。

よければ★★★★★マークとブックマークで応援していただけると嬉しいです!

完結作品にはなりますが、応援が多ければ第二章突入も考えています!

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