# 第041話 今しか救えない命
「今度は、全員助けるから」
紗良は最も近くにいたルーカスの傍らへ膝をつき、その手首を握った。
《生体同調》が成立する。
胸部を打った鈍い痛み。左脚を走る鋭い熱。呼吸は浅いが、心拍と血流はまだ保たれている。紗良は接続を残したまま高岡へ移り、首筋へ指を当てた。
二人目。
腫れた気道を空気が擦る苦しさと、酸素を取り込めない焦りが流れ込む。続いて奏太の脇腹へ触れた瞬間、紗良の表情が変わった。
三人目。
外から見える傷は浅い。だが腹部の奥では、破れた血管から出血が続いていた。血圧が落ち、末端から体温が失われ始めている。
「芦原君、横になって。絶対に起きないで」
「でも、ほかの人が――」
「いいから!」
普段の紗良らしくない強い声に、奏太は息を呑んだ。
その背後で、頭から血を流していた生徒が呻く。紗良は振り返り、額へ触れた。
四人目。
安定運用の限界だった。
四つの心拍と痛みが、紗良の内側へ重なる。一人ずつなら区別できる情報が、接続人数の増加とともに輪郭を失っていく。それでも彼女は立ち上がり、腕を押さえて座り込む女子生徒へ手を伸ばした。
「紗良、待て」
「待てない。十一人いるの」
「もう四人だ」
「分かってる!」
五人目へ接続した瞬間、紗良の身体が大きく揺れた。
ルーカスの胸痛と、高岡の呼吸苦。奏太から失われていく血の冷たさに、頭部外傷の吐き気、折れた腕の激痛が混ざり合う。どの苦しさが誰のものか分からない。それでも、残る負傷者の声が耳へ届いた。
「まだいる。全員の状態を見ないと、また気づけないまま――」
六人目へ触れようとした指が、空を掻いた。
既に繋いだ五人の心拍さえ、遠ざかったり急に近づいたりする。紗良自身の呼吸も乱れ、鼻から一筋の血が落ちた。
「接続を切れ」
「切ったら、その間に悪くなるかもしれない!」
「このまま倒れれば全部切れる」
「倒れない。今度はちゃんとやる。お兄ちゃんの時より、私は――」
「紗良」
倒れたままのルーカスが、痛みに顔を歪めながら呼びかけた。
「俺はいい。あっちを先に見てやれ」
紗良の呼吸が止まった。
粉塵に曇った石室が、九か月前の崩落現場へ重なる。
『俺はいい。他の人も見てやれ』
意識があり、言葉を話せて、笑おうとさえしていた兄。その声に従ったあとで、二度と帰ってこなかった兄。
「言わないで……」
紗良の唇が震えた。
「そんなこと、言わないでよ!」
抑え込んでいた声が石室へ響いた。
「大丈夫って言った人が、本当に大丈夫かなんて分からない! お兄ちゃんだって喋ってた。私に笑ってた! でも、見えないところで血が流れてて……今度も誰かの言葉を信じて離れたら、その人が死ぬかもしれない!」
涙が溢れ、頬の粉塵に筋を作る。接続した負傷者の苦痛が彼女の身体を揺らし、視線すら定まらない。
「誰かを選んだら、選ばなかった人が死ぬかもしれない。ルーカスを離して、ルーカスが死んだら? 高岡さんを誰かに任せて、呼吸が止まったら? また私が選んだせいで誰かが――!」
「紗良、俺を見ろ」
直人は倒れかけた肩を支えた。だが、誰へ能力を使えとは言わない。
奏太の顔色が危険なことは直人にも分かる。だが、身体の内側で何が起き、誰がどれだけ待てるのかを見られるのは紗良だけだった。ここで直人が治療対象を命じれば、助かっても、失っても、それは直人の判断になる。紗良はまた、自分で選ぶことから逃げたままになる。
答えを奪わず、恐怖だけに答えを決めさせない。そのために必要な問いを選ぶ。
「十一人全員へ繋げば、助けられるのか」
「……分からない」
「違う。今のお前は、もう五人の状態も見失ってる」
紗良は反論しようとしたが、誰の呼吸が乱れたのか判別できず、言葉を失った。
「今、お前にしかできないことは何だ」
「状態を、正確に見て……生命を繋ぐこと」
「骨を固定するのは、お前にしかできないか」
「違う」
「出血している傷を押さえるのは?」
「ほかの人にも、できる」
「高岡さんの気道を確保して、支給された酸素を使うのは?」
紗良は荒い呼吸を繰り返しながら、高岡へ意識を絞った。
「姿勢を保って、酸素を使えば……すぐには止まらない。誰かが呼吸を見ていれば、待てる」
「ルーカスは」
「胸と脚を固定すれば、短時間なら待てる。今すぐ大量に血が失われてるわけじゃない」
答えるたび、混線していた情報が少しずつ意味を取り戻していく。
「誰は、お前が離れたら死ぬ」
その問いだけは、残酷なほど明確だった。
紗良の視線が奏太へ向く。
脇腹に目立つ出血はない。意識もある。しかし《生体同調》の奥では、血圧が今も下がり続けていた。外から傷を押さえることも、骨を固定することもできない。救助隊が来るまで放置すれば、間に合わない。
「……芦原君」
名前を口にした瞬間、紗良の顔が苦痛に歪んだ。
「でも、ほかの人を切ったら」
「切り捨てるんじゃない」
直人は紗良の震える肩を強く掴んだ。
「救い方を分けるんだ。お前にしか繋げない命を、お前が持て。骨を固定できる奴、傷を押さえられる奴、呼吸を見られる奴はここにいる。残りを一人で抱えて全員を落とすな。俺たちに寄越せ!」
「もし、任せて駄目だったら……」
「その結果までお前一人の罪にするな。俺たちは守られるだけの荷物じゃない。選んだ後を一緒に背負うための仲間だ!」
紗良は涙を拭わなかった。
ルーカスを見る。彼は苦痛に耐えながら、真っ直ぐ頷いた。
「俺は真壁たちに任せろ。今度は『大丈夫』じゃない。待てるって、お前が見たんだろ」
兄の言葉とは違う。
自分の状態を把握した上で、ほかの仲間へ命を託す言葉だった。
紗良は目を閉じ、五つの接続を一度すべて解いた。膝が崩れかけたが、自分で踏みとどまる。そして奏太の脇腹と胸へ両手を当て、ただ一人へ深く同調した。
濁っていた情報が、一気に澄んだ。
損傷した血管。落ち続ける血圧。弱まる呼吸。今、補助すべき生命活動が正確に見える。
「芦原君へ集中する」
紗良は顔を上げた。
「ルーカスは胸と左脚を固定。高岡さんは気道を確保して酸素を。頭の傷は圧迫止血して、意識を確認し続けて。ほかの人も、変化があったらすぐ教えて」
真壁と透子、動ける学生たちが一斉に動き始める。
救助隊が来るまで、まだ長い時間が残っている。奏太の出血も止まったわけではなく、ほかの負傷者が急変する可能性も消えてはいない。これは救命の完了ではなく、全員を生かすための最初の役割分担にすぎなかった。
紗良は奏太を選んだ。
ほかの十人を見捨てるためではない。
その命を、仲間へ託すために。
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