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# 第040話 崩れた安全区画



 実習二日目の朝、直人は前夜に記録した軋み音について、高岡と美鈴へ報告した。


 公的ギルドが設置した振動計にも、同時刻に弱い反応が残っていた。ただし数値は《翠環回廊》で日常的に観測される植物根の成長振動、その範囲内である。


「反応位置は予定経路から外れている。それでも見なかったことにはしない」


 高岡は地図上の該当区画を巡回対象へ加え、近くを通る班には迂回を指示した。さらに石床の下へ簡易感知器を追加する。


「これで絶対に安全、とは言わん。異常があれば訓練を捨てて退避しろ。予定を守ることと、生きて帰ることの順番を間違えるな」


 必要な確認と対策は行われた。少なくとも、警告を軽視して先へ進んだわけではない。


 午前の行程は、第一野営地点から南東の中継区画までの集団移動だった。そこで班を組み替えた救助訓練を行い、午後には別経路で戻る。直人たちの班は、芦原奏太を含む二班と同じ隊列へ組み込まれた。


 奏太は歩きながら、要所の標識片へ《蓄光》を重ねていた。前日に蓄えた淡い緑光が弱まる前に、新しい光を足している。


「一晩は持つけど、三日目までは厳しそうです。帰りにもう一度触れます」


「端末の記録と重ねれば十分だ。能力だけに保たせるな」


 真壁の答えに、奏太は素直に頷いた。


 紗良は隊列の中央で、歩調の乱れた者がいないかを見ている。まだ誰にも接続していない。必要になる前から能力を広げず、まず目と耳を使う。その姿を確認し、直人も前方へ意識を戻した。


 中継区画まで残り百メートルほど。回廊は幅を広げ、三つの通路が合流する円形の石室へ続いていた。地図上では、緊急時の一時集合にも使われる安全区画である。天井は補強材で固められ、壁にはギルドの通信中継器が二基設置されていた。


 先頭が石室へ入った時、透子が足を止めた。


「待って。下で音がする」


「昨夜と同じか?」


 直人の問いへ、透子は石床へ掌を押し当てた。淡い茶髪の奥で、表情が険しくなる。


「違う。近い。それに、速い――」


 言葉の途中で、床が突き上げられた。


 石室全体が一度大きく跳ね、天井から砂塵が降る。直後、北側の床を割って巨大な根がせり上がった。根は石板を持ち上げながら膨張し、耐荷重を超えた接合部が連続して裂けていく。


「全員、南通路へ退避!」


 美鈴の指示が飛んだ。


 学生たちが動き出す。その頭上で、補強材に支えられていた石板が傾いた。


「真壁!」


「分かっている!」


 真壁が腕を掲げる。落下しかけた石板が空中で止まり、震えながら同じ位置へ縫い留められた。だが対象が大きすぎる。真壁の額には瞬く間に汗が浮かび、固定した空間の周囲から細かな破片が降り続けた。


「十秒しか持たない! 走れ!」


 直人とルーカスが、転倒した学生を立たせて南側へ押し出す。奏太が壁へ残した標識だけが、舞い上がる粉塵の中で退避方向を示していた。


 七秒後、石板が落ちた。


 轟音と衝撃が石室を揺らし、北側通路が完全に潰れる。だが崩落はそこで止まらなかった。根に押された西壁へ縦の亀裂が走り、その向こうにあった下層空洞まで一気に破断した。


 開いた暗闇から、複数の咆哮が重なった。


 崩落に追われた中型の獣型魔物が、粉塵を突き破って石室へ流れ込んでくる。低い四足の身体に樹皮のような外皮をまとい、恐慌したまま目の前の人間へ突進した。


「後ろへ行かせるな!」


 ルーカスが先頭の一体を正面から受け止めた。衝突の力を《衝撃貯蔵》へ取り込み、踏みとどまった拳から別の個体へ叩き返す。


 一体が壁へ弾かれた。しかし二体目が横から飛び込み、ルーカスの胸を前脚で薙いだ。巨体が石床へ倒れたところへ、崩れた床材が左脚を打つ。


「ルーカス!」


「来るな、紗良! まだ前だ!」


 声は出ている。だが起き上がれない。


 直人は紗良へ向かった三体目の進路へ入り、短剣を下顎から急所へ通した。倒れる身体を蹴って横へ流し、その影から飛び出した個体の前脚を斬る。


「透子、数!」


「石室に五! 壁の向こうに、まだいる!」


「真壁は学生を南へ。ここは俺が止める!」


「一人で残るな。通路入口まで下がりながら戦え!」


 真壁は反対意見と代案を同時に返し、動ける学生を南通路へ誘導した。直人も異を唱えず、魔物の注意を引きながら後退する。


 その時、足元でもう一度根が動いた。


 南通路の中央が隆起し、壁と天井が内側へ折れる。直人たちの前後へ石材が降り注ぎ、退避済みの美鈴たちと石室側の学生を分断した。


 通信中継器の一基が壁ごと砕け、残る一基も赤い警告灯を点滅させる。悲鳴と破砕音の中で、奏太の標識光だけが緑色の点を連ねていた。


 奏太は倒れた女子生徒を庇い、崩れた石材を脇腹へ受けていた。意識はあり、外から見える出血も少ない。自分で上体を起こそうとしたが、顔から血の気が引いている。


「僕は、平気です。先に、あっちを」


「喋るな。動くな」


 直人は短く制し、周囲を見た。


 高岡は二人の学生を庇って粉塵の直撃を受け、壁際へ膝をついていた。呼吸のたびに喉から細い音が漏れ、うまく空気を吸い込めていない。ほかにも頭部から血を流す者、腕を押さえる者、立ち上がれない者が石室と通路へ散らばっていた。


 残った魔物を直人と動ける学生が退けるまで、数分とかからなかった。


 だが、戦闘が終わっても危機は終わらない。


「負傷者を一か所へ! 歩ける者は互いに支えろ。透子、空洞と二次崩落を確認。真壁は残った通信機を!」


 直人の声に、全員が動いた。


 断続的な雑音の向こうで、美鈴から応答が返る。彼女の側にも負傷者がおり、最短通路は二か所で閉塞。外部救助隊は安全な迂回路へ回るため、到着まで約九十分を要するという。


「九十分……ここで持たせるしかない」


 真壁が通信端末を握り締めた。


 集められた負傷者は十一名。


 自力では動けない者が三名。支えがなければ移動できない者が四名。残る四名も傷を負っている。外傷だけでは、本当の優先順位までは分からない。


 胸と脚を傷めたルーカス。呼吸のできない高岡。目立つ出血はないまま、青ざめていく奏太。そして、痛みを訴えるほかの学生たち。


 紗良は十一人を前に立ち尽くしていた。


 呼吸が浅い。開いた両手が、小さく震えている。直人が名を呼ぶより先に、紗良は首を横へ振った。


「大丈夫。今度は――」


 その瞳は、九か月前の崩落現場を見ていた。


「今度は、全員助けるから」


この小説をお読みいただきありがとうございます。

よければ★★★★★マークとブックマークで応援していただけると嬉しいです!

完結作品にはなりますが、応援が多ければ第二章突入も考えています!

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