# 第039話 翠環回廊
《翠環回廊》の入口は、森の中に埋もれた神殿の門に似ていた。
地表へ露出した灰色の石造門を、幾重もの巨大な根が抱え込んでいる。根の隙間には淡い緑色の苔が光り、朝の冷たい空気の中へ、湿った土と青葉の匂いを漂わせていた。
数日分の装備を背負った学生たちが、その手前に設けられた公的ギルドの入域管理所へ集まっている。二十人ほどの参加者に、引率教員と現地担当職員を加えた一団だった。
「いやあ、こうして見ると懐かしいな! 我ら初期実習班、華麗に復活!」
大きな荷物を物ともせず、ルーカスが両腕を広げた。日焼けした顔に浮かぶ笑みも、焦げ茶色の巻き毛も以前と変わらない。
「遊びに来たわけじゃない。二泊三日の長期実習だ。荷物を下ろす前に固定具を確認しろ」
真壁が冷静に返す。長身の背へ収めた野営装備は、教本の見本のように無駄なく固定されていた。
「真壁君、再集合して最初の言葉がそれ?」
「白石、お前の右側の紐も緩んでいる」
「本当だ。班長、さすが!」
透子は悪びれずに笑い、淡い茶髪を揺らして留め具を締め直した。
直人は四人を見渡した。能力と役割の均衡を理由に学校が組んだ合同班だが、最初のダンジョン実習以来、互いの癖は既に知っている。編成表の上だけで集められた関係ではなくなっていた。
隣では、紗良が救護用の腰鞄を開き、中の止血材をもう一度数えている。昨夜流した涙の痕はない。それでも、救助訓練を含む実習を前にした指先には、普段より僅かに力が入っていた。
「三回目だぞ」
「何が?」
「中身の確認」
「必要なものが足りないよりいいでしょ」
紗良は鞄を閉じ、直人を見返した。気まずさから目を逸らすことも、昨夜の話をなかったことにする様子もない。
「重さは?」
「規定内。自分で運べる量にしてる」
「ならいい」
それ以上は言わなかった。全員を救おうとする紗良の危うさを知ったからといって、荷物一つまで取り上げれば、話を聞いた意味がなくなる。
管理所の前では、灰色のギルド制服を着た高岡誠司が入域者一覧を確認していた。日に焼けた顔と左腕の古い火傷痕は、直人が冒険者登録を受けた時のままだ。
「学生は班ごとに登録端末へ認証。予定ルートと第一野営地点は配布済みの資料から変わっていない。入域後は一時間ごとに位置報告、分岐通過時は経路標識を残せ。企業の護衛付き見学じゃない。自分の足と判断で、三日間を管理する実習だ」
高岡の隣に立つ榊美鈴が、鋭い視線を学生たちへ巡らせた。黒い実習服の上へ軽装甲を着け、右頬の細い傷痕まで現場の空気に馴染んでいる。
「教員とギルド職員は同行するが、平時の判断を代行するためではない。進路、休憩、能力の使用量は各班で管理しろ。救護担当が倒れれば、それも班全体の管理失敗だ」
紗良の肩が僅かに強張った。
美鈴は特定の誰かへ言ったのではない。長期行動では当然の注意だ。直人も紗良を見ず、装備端末へ表示された経路を確認した。
班ごとの認証が進む中、別班の男子生徒が石造門の脇へ白い標識片を並べ始めた。中背で、灰褐色の髪を耳の上で短く切っている。やや細い目には緊張があったが、手元の動きは丁寧だった。
「芦原奏太。二年D組、等級二《蓄光》です。分岐標識を担当します」
自己紹介してから標識片へ触れると、白い表面に淡い緑光が宿った。
「触れた物へ光を蓄えて、あとから弱く光らせられます。端末が使えなくても目印になるので、自分の班以外の色は動かさないでください」
「了解。私の《反響地図》と組み合わせたら、帰り道はかなり堅くできそうだね」
透子が屈んで標識を覗き込むと、奏太の緊張が少し解けた。
「助かります。僕、前で戦うのは得意じゃないので」
「帰り道を消さない奴は、前衛と同じくらい必要だ」
直人がそう告げると、奏太は意外そうに目を瞬かせ、それから小さく頷いた。
◇
認証を終えた一団が石造門をくぐると、外の朝日は数歩で届かなくなった。
古い回廊の壁を割り、太い根が天井から床へ斜めに走っている。根の表面を覆う苔と、壁の結晶に似た緑色の鉱物が仄かな光を放っていた。濡れた石床へ落ちた水滴の音が、何重にも反響して奥へ消えていく。
《霧晶坑道》のように視界を奪う霧はない。代わりに、曲がりくねった根と石壁が十数メートル先を隠し、上下へ重なる通路が方向感覚を狂わせる。一本道に見える場所ほど、足元や頭上に別の空間が潜んでいた。
「右前方、壁の奥に細い空洞。下にも一本ある。生き物の反響は……今のところなし」
透子が指を石壁へ当て、目を閉じて告げる。普段の明るさは消え、声も必要な情報だけに絞られていた。
「予定経路は正面だが、根で幅が半分になっている。隊列を一列へ変更する。ルーカスが前、透子、紗良、直人、俺の順だ」
真壁の指示に、全員が迷わず位置を変えた。
「直人が先頭じゃなくていいのか?」
「今回は長期実習だ。索敵情報なしでお前だけ先へ行く方が困る」
「ごもっとも」
前衛をルーカスへ任せ、直人は最後尾の真壁と死角を分担した。自分がすべてを先に見つける必要はない。透子が地形を読み、真壁が隊列を決め、ルーカスが狭路の前を受け持つ。それぞれの判断が繋がれば、直人一人で動くより安全な場面もある。
途中、石床を押し上げた根が通路を塞いでいた。地図では通行可能となっているが、装備を背負ったまま越えれば足を取られる高さだ。
透子が反響から左壁の向こうに並行通路を見つけ、直人が空気の流れと床の擦過痕から、そちらが現在も使われていると確認する。真壁は予定経路への固執を見せず、全員の残存体力と所要時間を比べて迂回を決めた。
分岐には奏太の班が残した淡い光があった。透子が反響情報を端末へ重ね、直人たちも自班の標識を追加する。
能力一つで攻略するのではない。機械、目印、記録、複数人の観察を重ね、どれかが失われても帰れる道を作る。それが長期実習で求められる判断だった。
◇
予定より十八分遅れて、直人たちは第一野営地点へ到着した。
半円状の石室には先行班が安全確認を終え、区画ごとに天幕と警戒装置を設置し始めている。奏太は壁沿いへ発光標識を置きながら、透子が渡した分岐記録と照合していた。
「遅延理由は?」
美鈴の問いへ、真壁が答える。
「植物根による予定経路の狭窄です。強行通過より左側並行路の方が安全と判断しました。反響、通行痕、経路標識の三点で通行可能を確認しています」
「判断を記録へ残せ。予定から外れたことより、理由を説明できないことの方が問題だ」
「はい」
報告を終えると、班は野営準備へ移った。ルーカスと真壁が天幕を固定し、透子が警戒装置の配置を確認する。直人が水と燃料を分けている間、紗良は全員の顔色を見回した。
「体調、確認しようか?」
「俺は腹が減った以外は完璧だ!」
「それは顔を見れば分かる」
真壁が切り捨て、透子が笑う。
紗良もつられて笑ったあと、能力を使わずに一人ずつへ疲労や痛みの有無を尋ねた。必要になれば触れて確認する。しかし今は、本人の申告と目で見える状態を先に使う。その選び方を、直人は黙って見ていた。
やがて野営地点の照明が落とされ、壁際の《蓄光》標識だけが緑の輪郭を残した。
最初の一日は、予定の範囲内で終わろうとしていた。
眠りへ入る直前、直人は石床の遥か下から、重いものが軋むような低い音を聞いた。透子も顔を上げたが、二度目はない。警戒装置にも反応はなく、巡回中のギルド職員は古い根が伸びる際の音だろうと判断した。
直人は発生位置と時刻を端末へ記録した。
静かな回廊の奥で、巨大な根は今も石を押し続けていた。
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