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# 第037話 幼馴染の晩ごはん



 鷹宮ホールディングスでの最終報告から三日後、直人が学園へ向かって歩いていると、車道を進んでいた濃紺の車が音もなく速度を落とした。


 光沢を抑えた車体は、朝の通学路に並ぶ自動運転車より一回り長い。後部座席の窓が下がり、艶のある黒髪と、端正な横顔が現れた。


「瀬名さん。お乗りください」


「どうしてここにいる」


「学校へ向かう途中です。あなたも同じでしょう」


 麗華は、それ以上の説明が必要なのかと問うように、強い意志の宿る瞳を向けた。直人の住居を訪ねて迎えに来たわけではないらしい。鷹宮資源開発から届いた追加確認へ、昨夜二人とも回答していた。その関係で車内から直人を見つけただけなのだろう。


「歩いても間に合う」


「存じています。ですが、同じ目的地へ空席を運ぶより合理的ですわ」


 以前の直人なら、鷹宮家の車へ乗る理由と、その裏にある条件を確かめていた。しかし霧晶坑道で互いの判断を見た今、この程度の厚意まで警戒する必要はなかった。


「分かった。乗せてもらう」


「初めからそう仰ればよろしいのです」


 車内で交わしたのは、再調査候補となった未登録区画についての短い話だけだった。麗華は父との会話へ触れず、直人も聞かなかった。ただ、以前より僅かに肩から力が抜けている。それだけで、あの報告が無意味ではなかったと分かる。


 学園の正門前で車を降りると、登校中の生徒たちの視線が集まった。鷹宮麗華が高級車で現れること自体は珍しくない。そこから等級一の瀬名直人まで降りてきたことが、彼らの足を鈍らせたらしい。


「噂になるぞ」


「霧晶坑道へ二人で入った時点で、今更ではなくて?」


「それもそうか」


 麗華が涼しい顔で校舎へ向かう。その先に、栗色の髪を肩口で揺らす紗良が立っていた。


 彼女の茶色い瞳が麗華から直人へ移り、ほんの一瞬だけ止まる。


「おはよう、直人。鷹宮さんも」


「おはようございます、水瀬さん」


 麗華は普段と変わらぬ挨拶を返し、自分の教室がある棟へ歩いていった。紗良はその背を見送ってから、直人の隣へ並ぶ。


「一緒だったんだね」


「途中で拾われた」


「拾われたって……直人、鷹宮さんを何だと思ってるの」


 紗良は呆れたように笑った。いつもの柔らかな表情だったが、返事までにあった半拍の空白を、直人は見落とさなかった。


「何か気になるのか?」


「別に。鷹宮さんとは、ダンジョンへ一緒に入った仲なんだなって思っただけ」


「そうだな」


「……そこで素直に頷くんだ」


 僅かに尖った声の理由を測りかねて直人が見ると、紗良は先に歩き出した。追及するほどのことではないらしい。少なくとも、麗華へ悪感情を向けている様子はなかった。


     ◇


 放課後、紗良は直人の机へ置かれた昼食の包みを指で摘まみ上げた。


「それで、お昼が栄養補助パン二つ。昨日の夜は?」


「米と缶詰。野菜ジュースも飲んだ」


「飲み物を野菜として数えないで」


「必要な栄養は入ってる」


「身体が急に変わるたび熱を出して、怪我も治りきってない人が言っても説得力ないよ」


 霧晶坑道で負った傷は塞がり、固定具も外れている。それでも急激な成長後の身体が、どれほど無理を抱えていたかを紗良は《生体同調》で知っている。直人が反論を探している間に、彼女は通学鞄を肩へ掛けた。


「今日、ご飯作ってあげる」


「急だな」


「前から心配してたの。今日のお昼を見たら、もう放っておけなくなっただけ」


 直人は自分の昼食を思い返し、反論を諦めた。「分かった」と答えると、紗良は当然のように買い物の予定を組み始めた。


 二人で商業区の食料品店へ寄り、直人の家へ戻った。紗良は冷蔵庫を開けるなり眉を寄せたが、調味料と最低限の食材があることには安堵したらしい。買ってきたジャガイモと玉葱を取り出し、慣れた手つきで包丁を動かし始める。


 直人も隣で人参の皮を剥いた。異世界では野営の食事を何度も作ったが、日本の家庭料理となると紗良の方が手際はよい。


 昔も水瀬家で調理を手伝う姿は見ていた。それでも、火加減を確かめながら次の材料へ迷いなく手を伸ばす動きには、直人の知らない時間が積み重なっている。変わったのは四年間を戦場で過ごした自分だけではない。地球に残った者たちにも、直人が見ていない十一か月があった。


「何?」


「いや。料理、上手くなったと思ってな」


「前からできたよ」


「前よりだ」


 紗良は少しだけ目を丸くし、それから照れを隠すように鍋へ顔を戻した。


「麗華とは、もう一度ダンジョンへ行くの?」


「再調査が決まれば、話が来る可能性はある」


「行く?」


「内容次第だ。ただ、前みたいに最初から断る理由はない」


「そっか」


 紗良は鍋へ肉を入れ、木べらで静かに返した。表情は鍋から立つ湯気に隠れていたが、その声に混じったものは不満だけではない。直人が誰かを信用できるようになったことへの安堵と、自分の知らないところで新しい関係が増えていく寂しさ。その両方を、彼女自身もまだ分けられていないようだった。


「紗良とも、そのうち街を回る約束が残ってる」


 木べらが鍋底へ小さく当たった。


「覚えてたんだ」


「俺から頼んだ約束だ。忘れない」


「……うん。実習とかが落ち着いたらね」


 今度の声は、少しだけ軽かった。


 やがて醤油と出汁の匂いが部屋へ満ち、肉じゃがが二つの器へ盛られた。向かい合って食べ始めれば、味は直人の記憶にあるものとよく似ていた。水瀬家で夕食を共にした、遠い日の味だった。


「悠真さん、これが好きだったな」


 紗良の箸が止まった。


 空気が変わったことに気づき、直人も箸を置く。


「……うん。肉じゃがの日だけ、帰るの早かった」


「事故の後、まだ墓参りにも行けてない。場所は両親から聞いたが、お前とは詳しく話してなかったな」


 悠真が魔物流入事故で亡くなったことは、帰還後に聞いていた。だが直人自身の治療や事情聴取が続き、紗良と再会してからも、二人だけで過去へ向き合う時間を作れずにいた。


「直人も大変だったから。私も、話そうと思うと……何から言えばいいか分からなくて」


「子供を庇って、崩落に巻き込まれたと聞いた」


「間違ってないよ。でも、それだけじゃない」


 紗良は膝の上へ手を下ろした。指先が、制服のスカートを強く掴んでいる。


「あの場所には、私もいたの」


 直人は息を止めかけたが、問いを重ねなかった。今の紗良に必要なのは、先回りした慰めでも、事故の責任を決めることでもない。彼女が九か月もの間、言葉にできなかったものを置く場所だった。


「話せるか」


 紗良はすぐには頷かなかった。


 冷め始めた肉じゃがへ視線を落とし、何度か浅く呼吸する。やがて顔を上げた時、その瞳には笑って誤魔化す余裕が残っていなかった。


「私、お兄ちゃんを選べなかった」


この小説をお読みいただきありがとうございます。

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完結作品にはなりますが、応援が多ければ第二章突入も考えています!

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