第34話 助けた先で得たもの
岩へ何かが叩きつけられる音は、一度では終わらなかった。
直人と麗華は《晶甲獣》の亡骸を回り込み、青白い霧の奥へ進む。自動救難信号はほとんど途切れなくなっていたが、直人の身体は熱を持ち、踏み出すたびに脇腹と左肩が痛んだ。レベルが上がったことで感覚も僅かにずれ、普段なら無意識に合わせられる歩幅さえ意識して抑える必要がある。
「この先です。反応は四人、全員あります」
麗華の声にも疲労が滲んでいた。目の奥の痛みを堪えながら、それでも端末と前方から視線を外さない。
空洞の先で、霧が激しく揺れた。
天然の岩棚を背にした四人と、その手前で地面を掻く《岩殻猪》が見える。先頭に立つ三十歳ほどの男は、防護服を裂かれながらも武器を下ろしていない。すぐ脇では二十代の女性が片手を壁へ当て、視線の届かない霧の振動を探っていた。
岩棚の奥には、重い防護装備を着た大柄な男が横たわっている。左脚は応急固定され、肋部を庇う呼吸は浅い。その傍らに膝をつく若い女性の手袋は血に濡れ、能力を使い続けたためか、顔色を失っていた。
「後ろへ下がれ!」
先頭の男――葛城修司が叫ぶ。
同時に、《岩殻猪》が岩棚へ向けて突進した。葛城が《軌道偏向》を重ねると、正面を向いていた頭部が僅かに外へ流れる。突進そのものを止める力ではない。それでも、仲間へ直撃する軌道から数十センチだけ逸らした。
「右前脚を落とします!」
麗華は直人の指示を待たなかった。これまでの足運びから狙いを共有し、射程へ入った右前脚へ局所重圧を集中させる。
岩殻猪の姿勢が崩れた。直人は《魔力循環》で踏み込むが、成長直後の身体は予想より鋭く前へ出た。着地を半歩早く切り替え、外殻のない脚の付け根へ短剣を突き入れる。
魔物が倒れ込む先には葛城たちがいる。直人が柄を捻って頭を外へ向け、葛城も残る力で軌道を押す。巨体は岩棚を避けて横倒しになり、麗華の重圧が胴を地面へ押さえ込んだ。
直人が止めを刺すと、空洞へ残ったのは荒い呼吸だけだった。
「野々村、周囲は」
葛城の問いに、壁へ触れていた女性――野々村美琴が目を閉じる。
「近くに動く反応はない。大きいのが倒れた振動も、今ので最後」
直人は魔物から短剣を抜き、刃を払った。
「救助要請を受けて来た。瀬名直人。こっちは鷹宮麗華だ」
「鷹宮……?」
葛城の目が麗華へ移る。驚きより先に警戒が浮かんだが、麗華はそれを問い返さず、負傷者の前へ膝をついた。
「黒岩大吾さんですね。藤宮さん、現在の状態を教えてください」
「左脚の損傷と、肋骨も何本か。内側までは分かりません。《止血促進》で出血は抑えています。でも、もう長くは……」
藤宮千秋の声は掠れ、最後まで言い切る前に身体が揺れた。麗華が肩を支え、直人は黒岩の呼吸と固定具を確認する。ここで無理に動かせば、脚だけでなく肋部の損傷まで悪化しかねない。
「運ぶより、救助隊をここへ呼ぶ。正確な位置は送れるか」
「未登録区画ですが、発信標の経路記録があります。真紀さん、応答を」
『……こちら管制。位置情報を受信しました。公的ギルド救助隊へ共有します。南側既存坑道から接近中。到着見込み、十二分です』
麗華は黒岩の状態、藤宮の能力消耗、周囲の安全を一つずつ報告する。真紀は余計な評価を挟まず、救助隊が必要とする情報へ整理して送り直した。
十二分の待機は短くない。直人と葛城が通路側を警戒し、野々村が壁から周囲の振動を拾う。麗華は藤宮の能力を休ませるため企業支給の止血材を使い、負傷箇所を動かさないよう補助固定を重ねた。
やがて複数の足音と公的ギルドの識別信号が届く。救助隊は黒岩を医療用担架へ移し、藤宮にも酸素と補液を繋いだ。四人全員が搬送可能だと確認されて、葛城はようやく武器を床へ置いた。
その時、麗華の端末が静かに通知を発した。
『《霧脈反転》の最適観測時間は終了しました。現在地から観測地点への再配置も不可能です。本企画における鉱脈推定は実施不能として記録します』
「承知しました」
麗華の返答は揺れなかった。ただし端末を閉じる指先が一度だけ止まり、失ったものの重さまで消えたわけではないと直人には分かった。
「調査を捨てて、俺たちを助けに来たのか」
葛城が低く問う。
「ええ」
「それで信用を買うつもりか。鷹宮資源開発は、まだ俺たちを欲しがってるんだろ」
疲労で掠れた声には、単なる嫌味では済まない怒りがあった。麗華は言葉を選ぶように一度息を吸う。
「結果として信用へ繋がるなら、それを拒む理由はありません。ですが――」
「企業はいつもそう言う。助けた、支援した、だから次は契約しろ。大吾が仲間を庇って潰れたことも、藤宮が立てなくなるまで能力を使ったことも、最後は救助成功の一行にされる」
葛城の拳が震えた。彼が恐れているのは借りを作ることではない。仲間が命を削った事実へ企業の値札を付けられ、自分たちの言葉を奪われることだった。
「だったら、生きて帰って自分で話せ」
直人の声に、葛城が顔を上げる。
「お前たちが黙れば、記録には会社とギルドの言葉しか残らない。仲間の命を商売の材料にされたくないなら、お前が何があったかを言え。疑うのも断るのも、生きて帰った奴にしかできない」
「簡単に言うな。現場を知らない連中に、何を言っても――」
「だから、この場に来た人間まで看板だけで決めるな」
直人は麗華へ視線を向けた。
「こいつは、お前たちを助ければ会社の信用になるかもしれないって一度は考えた。それを自分で判断理由から外して、成功寸前の企画を捨てた。鷹宮を信用しろとは言わない。でも、麗華が自分で捨てたものまで、会社の都合に変えるな」
葛城は反論せず、麗華を見た。
「瀬名さんの言うとおりです。あなた方の名前を知った時、契約の可能性が頭をよぎりました」
麗華は逃げずに認める。
「だからこそ、それを救助の理由にはしないと決めました。あの場であなた方を助けると決めた時、契約のことまでは考えていません。ここへ来たのは、わたくし自身が、人を見捨てて得た成果を成功とは呼べなかったからです」
葛城の視線が、麗華の汚れた装備と、能力使用で青ざめた顔へ落ちる。次いで、担架へ固定された黒岩と、救助隊員に支えられる藤宮を見た。
「……鷹宮の会社を信用したわけじゃない」
「それで構いません」
「だが、あんた本人の依頼なら、一度くらい話を聞く」
麗華は喜びを表へ出さず、ただ静かに頭を下げた。
当初の調査計画は失敗した。見つけた反応も鉱脈の証明にはならず、正式な再調査が必要になる。それでも、未登録ルートと《晶甲獣》の情報、そして何より四人の生還は、予定表の中にはなかった結果だった。
救助隊が帰還を開始する。直人と麗華もその後ろにつき、青白い霧の中を歩き出した。
麗華が家名ではなく、自分の判断で得た最初の信用を連れて。
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