第32話 救助ルート
《蒼脈晶》の観測地点へ背を向けた二人は、端末に示された橙色の経路を南へ急いだ。
公的ギルドへ目的変更が共有され、真紀から葛城チームの自動信号が断続的に転送される。位置の誤差は依然として大きいが、少なくとも信号そのものは途絶えていない。それが生存を保証するわけではなくとも、急ぐ理由としては十分だった。
「次の分岐を左です。そこから既存の連絡坑道へ入れば、推定範囲の北側へ出られます」
麗華は端末を確認しながら、青白い霧の中を先導する。調査計画を捨てた直後だというのに、足取りに迷いはない。決めた以上、残された時間を後悔へ使うつもりはないらしい。
だが左の分岐へ入って間もなく、二人の進路は崩れた岩盤に塞がれた。
天井から落ちた岩塊が坑道を埋め、隙間から細かな砂が流れ続けている。新しい亀裂が壁から天井へ走り、僅かな振動だけでも二次崩落を起こしかねなかった。
『管制からも崩落を確認しました。登録地図上の迂回路はありますが、推定位置までの時間的優位はほぼ失われます』
雑音に削られた真紀の報告を聞き、麗華は崩落面へ視線を走らせた。
「《重圧領域》で岩を退かすことはできません。わたくしの能力は、持ち上げるものではありませんから」
「分かってる。壊す必要もない」
直人は明かりを落とし、岩床へ片膝をついた。崩落の手前には古い蹄跡が残っているが、その上を横切るように、細い爪痕と鉱石殻の擦れた粉が右の壁際へ続いている。魔物は行き止まりへ好んで入らない。小型の個体が通れる場所が、そちらにある可能性は高かった。
壁の根元へ手を当てる。崩落面は乾いているのに、右側の割れ目だけが僅かに湿り、冷たい空気が流れ出していた。青白い霧も正面の岩塊へ溜まらず、割れ目へ吸い込まれるように細く揺れている。
さらに、露出した結晶の先端が一方向へ偏って伸びていた。長い時間をかけ、魔力を含む空気の通り道へ沿って成長したのだろう。
「この向こうに空洞がある」
「地図にはありませんわ」
「だから塞がれてない」
直人は割れ目の奥へ小石を落とした。短い落下音の後、予想より遠くから反響が返る。一人が身体を横にすれば通れそうな幅があり、その先は広がっていた。
「確実とは言えない。葛城たちの位置へ繋がってる保証もない。ただ、空気は南へ流れてる。魔物の痕も新しい」
麗華は登録地図と割れ目を交互に見た。以前なら、根拠の薄い未確認経路を計画へ組み込むまでに、さらに多くの確認を求めていただろう。だが今は、救助隊との時間差を失えば何のために目的を変えたのかを理解している。
「入り口を安定させる方法は?」
「上の薄い岩を、先に落とせるか。通ってる途中に来る方が困る」
「二枚までなら。落下範囲から離れてください」
麗華が亀裂の走る岩板を見据える。十二メートルの能力圏内にある位置を正確に捉え、一枚ずつ地面方向への荷重を集中させた。
鈍い破砕音とともに、浮いていた岩板が落ちる。霧と粉塵が噴き上がったが、二人はあらかじめ退避している。連鎖して崩れかけた小岩も先に重圧で落とし切り、入口周辺の不安定な部分だけを意図的に崩した。
「足元の三つも頼む。沈むなら今のうちがいい」
「右から順に押さえます」
床で浮いていた岩が追加荷重によって砂礫へ深く食い込み、踏み場として安定する。《重圧領域》は道を作る能力ではない。それでも、落ちるものを先に落とし、動く足場を地面へ固定すれば、安全に通れる短い時間を作れる。
直人が先に割れ目へ入り、麗華が続く。数歩進んだところで、外部通信は雑音だけになった。二人は経路記録用の発信標を残しながら、肩が岩へ触れるほど狭い隙間を抜けていく。
途中で通路は床から裂け、細い亀裂の上へ平たい岩板が橋のように残っていた。直人が柄の先で叩くと、岩板は中央ではなく右端だけを僅かに浮かせる。踏み込めば傾き、身体を壁との間へ挟みかねない。
「右端を地面へ押し込めるか。壊すほど強くなくていい」
「位置を示してください」
直人が光で縁をなぞり、麗華が短く呼吸を整える。岩板の右端へ限定した荷重がかかると、浮いていた部分が砂礫を押し固めながら沈んだ。直人は自分の体重を少しずつ預け、揺れが止まったことを確かめてから渡る。
麗華が続いた時、天井で小さな亀裂音がした。彼女は振り返らず、直人が照らした二つの浮石へ順に重圧を加える。石は二人の背後へ落ち、通過後の足場を塞いだが、頭上に残して追われるよりは安全だった。
「目の奥は?」
「まだ問題ありません。ですが、連続使用には限度があります」
「必要な場所は先に俺が絞る。お前は全部を見ようとするな」
「承知しました。瀬名さんも、危険箇所を見つけてから一人で試さないように」
互いに足りない部分を指摘する声に、入域直後の刺々しさはなかった。直人が地形の変化を先に読み、麗華が必要な一点だけを安定させる。戦闘とは違う場面でも、その分担は形になり始めていた。
やがて視界が開けた。
その先にあったのは、地図へ登録されていない天然空洞だった。低い天井を青白い結晶が覆い、左右には魔物が長く通った跡が筋のように刻まれている。空気は確かに南へ流れ、自動救難信号の受信強度も先ほどより僅かに上がった。
「繋がっています」
麗華の声へ安堵が混じる。しかし端末の地図には、現在位置を示す光点だけが空白の上へ浮かび、先の形までは何も表示されなかった。
「ここからは地図じゃなく、痕跡で進む。信号が強くなる方を確かめながらだ」
「ええ。必要な判断は共有してください。今度は、遅れません」
麗華は崩落区画を振り返らなかった。直人はその横顔を一度見てから、空洞の奥へ歩き出す。
しばらく進んだ時、麗華の探査端末が低い通知音を発した。
壁に露出した半透明の結晶へ、青い脈状の模様が走っている。探査値は通常結晶の基準を明らかに上回っていた。まだ《霧脈反転》前であり、鉱脈の位置や規模を推定できる固有反応ではない。それでも、後日の正式調査に値する有望な候補であることは分かった。
麗華の足が一瞬だけ止まる。
救助を選んだからこそ見つけた、既存ルート外の反応だった。数分だけでも試料を採り、周囲へ補助探査機を置けば、企画失敗を軽くできる材料になるかもしれない。
端末の奥で、葛城チームの自動信号がもう一度明滅した。
麗華は結晶へ伸ばしかけた手を下ろす。
「位置と基礎反応だけ記録します。採取も追加探査も行いません」
「いいのか」
「ここで立ち止まるために、救助を選んだのではありません」
惜しくないはずはなかった。麗華の視線は一度だけ青い脈を追い、それから自分で前へ戻された。直人が念を押すまでもなく、彼女は決めた優先順位を守ったのだ。
「なら行くぞ。信号は近づいてる」
「はい」
二人が反応地点を離れた直後、空洞の奥から、岩を擦るような重い音が響いた。
床に残る足跡は、それまで追っていた小型魔物のものではない。直人の手の幅より大きな爪痕が岩を深く抉り、その縁には青灰色の結晶片が刺さっている。
直人が足を止め、麗華も同時に探査端末を伏せた。
霧の奥で、淡い青白色の二つの光が、ゆっくりと持ち上がった。
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