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第31話 決めるのは、お前だ



 直人は、すぐには答えなかった。


 青白い霧の中で、麗華の端末だけが無機質な光を放っている。《霧脈反転》までの残り時間は一秒ずつ減り続け、その沈黙にも明確な代価があることを示していた。


「……聞こえませんでしたの?」


「聞こえた。だから考えてる。俺の答えを聞いて、お前はどうするつもりだ」


 問い返され、麗華は僅かに息を詰めた。


「参考にします。あなたは、こういう状況での判断に慣れているのでしょう」


「俺が決めれば、成功しても失敗しても、それは俺の判断になる」


 直人は二本の経路が表示された画面へ目を落とした。第一観測地点へ進む道と、救難信号の推定範囲へ向かう道。どちらを選んでも、選ばなかった方の結果までは引き受けられない。


「これはお前の企画だ。人命を優先するって条件を出したのも、それで俺を同行させたのもお前だろ」


「契約に書いた以上、守るべきだと言いたいのですか」


「違う。契約書に決めてもらうなと言ってる」


 麗華の眉が寄った。直人は彼女の反発を待つように一度言葉を切り、それから静かに続けた。


「あれを書いた時のお前は、今ここにいる四人の名前も、負傷の程度も知らなかった。自分の企画が成功寸前まで来た時に、全部捨てられるかも知らなかった。事前に決めた原則は大事だ。でも、最後に選ぶのは今のお前だ」


「では、あの条項に意味はなかったと?」


「迷った時に、自分が何を優先したかったか思い出せる。十分意味はある。それでも、責任まで紙に預けることはできない」


「あなたは、わたくしに契約を守らせたいのですか。それとも、破らせたいのですか」


「どっちでもない。あの条件を出したお前と、全部失うかもしれない今のお前が、同じ答えを選ぶのかを聞いてる」


 契約を盾に救助を命じることも、企画責任を理由に調査継続を正当化することもできる。だが直人が求めているのは、どちらかの理屈へ身を隠すことではなかった。


 麗華は反論しかけ、唇を閉じた。


 救助隊は既に動いている。自分たちが調査を継続しても、四人を見捨てたと公的に責められるとは限らない。危険な未確認区画へ学生二人が向かうより、専門の救助隊へ任せるべきだという説明も成り立つ。


 だが、救助隊は四十五分以上。自分たちなら、位置誤差を含めても遥かに早く近づける。黒岩は自力で歩けず、藤宮は応急処置を続けている。その時間差が何を意味するのかを、麗華は理解していた。


 第一観測地点までは十一分。このまま進めば、《蒼脈晶》の鉱脈を推定できる可能性は高い。次の機会が完全に失われるわけではないが、今回の入域許可、人員、装置、地形、魔物の配置を改めて整える必要がある。少なくとも、自分が任された企画は失敗と評価されるだろう。


 失敗は許されない。


 鷹宮家の人間なのだから。


 あなたの判断は、家と推薦者の評価にもなる。


 何度も形を変えて向けられてきた言葉が、麗華の胸の内で重なった。成功しても当然とされ、失敗だけが自分の名で残る。その不公平さへ反発しながら、彼女自身も失敗を避けることを責任だと信じてきた。


「もし、わたくしの判断が間違っていたら?」


 絞り出した声は平静を保っていたが、端末を握る指先から血の気が引いていた。


「救助へ向かっても、間に合う保証はありません。位置情報には誤差がある。わたくしたちまで危険へ巻き込まれ、調査も救助も失敗する可能性があります」


「ある。逆に、俺たちが調査を続けても、ギルドの救助隊が間に合うかもしれない」


「それなら――」


「結果が分かってから選べるなら、判断なんて必要ない」


 どちらを選べば良い結果になるかではない。良い結果を保証できない状況で、それでも何を優先するのか。麗華が恐れていたのは、失敗そのものだけではなく、自分の選択によって誰かが損なわれることだった。


「結果を見て、次に間違えないようにする」


「簡単に言いますのね」


「簡単じゃない。選ばなかった方が正しかったかもしれないって、一生残ることもある」


 直人の声には、慰めも断定もなかった。ただ、選択から逃げなかった者だけが知る重さがあった。


「だから俺には、お前の代わりに正解だったことにはできない。鷹宮家でも、会社でも、契約書でもない。今ここにいる鷹宮麗華が決めろ」


 麗華は直人を見つめた。彼は救助へ行けとも、調査を続けろとも言わない。前回の交渉で求めたものを、都合のよい形へ薄めることも許さなかった。


 自分で決める権利が欲しい。


 そう告げた時、麗華が見ていたのは、誰にも功績を奪われずに成功する未来だった。だが権利とは、望んだ結果を選べることではない。どちらを選んでも失うものがある時に、それでも決断を引き受けることなのだ。


 救難者一覧へ再び目を向ける。葛城を助ければ、鷹宮資源開発への信用に繋がるかもしれない。その可能性を、麗華は意識から消せなかった。


 だからこそ、それを理由にはしないと決めた。


「坂上さん」


『聞いています』


 雑音の向こうから返る真紀の声は、何一つ結論を促さなかった。


「《霧晶坑道・未確認資源区画調査計画》は、第一観測地点への進行を中止します。目的を葛城チームの救助へ変更してください」


『確認します。救助へ変更した場合、《霧脈反転》の最適観測時間を逃し、今回の鉱脈推定は実施不能となる見込みです』


「承知しています」


 麗華は一度目を閉じた。怖くなくなったわけではない。現場裁量を失う未来も、子供の社会勉強だったと笑われる未来も、決断した今の方がはっきりと見えていた。


 それでも、次に開いた瞳から迷いは消えていた。


「ここで人を見捨てて鉱石を持ち帰ったとして、わたくしはそれを成功とは呼べません」


 言葉にした瞬間、企画の失敗が軽くなったわけではない。ただ、自分が何を守るために失敗を引き受けるのかだけは、明確になった。


「なお、葛城さんとの将来的な契約可能性は、この判断理由に含めないでください。人命救助への目的変更として記録を」


『承知しました。鷹宮麗華企画担当者の判断として、時刻と理由を正式記録します。公的ギルドへも目的変更を共有します』


 真紀は評価を挟まず、決断を麗華自身のものとして記録した。


 端末上から第一観測地点への青い経路が消え、南側の推定範囲へ橙色の線が引かれる。麗華はその表示を見つめた後、直人へ顔を向けた。


「これで、よろしいですか」


「俺に聞くな。お前が決めたんだろ」


 厳しい返答に、麗華は一瞬だけ目を見開いた。やがて小さく息を吐き、僅かに顎を上げる。


「ええ。わたくしが決めました」


 直人はそれ以上何も問わず、救難信号の最終受信位置を確認した。


「なら急ぐ。最後の通信から、もう六分以上経ってる」


「行きましょう」


 二人は《蒼脈晶》の待つ観測地点へ背を向けた。麗華が求めた自分で決める権利は、初めて彼女自身の選択によって、失敗するかもしれない道へ踏み出した。


この小説をお読みいただきありがとうございます。

よければ★★★★★マークとブックマークで応援していただけると嬉しいです!

完結作品にはなりますが、応援が多ければ第二章突入も考えています!

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