第28話 自分で決める権利
最初の交渉から二日後、鷹宮麗華は再び直人を同じ共用ラウンジへ呼び出した。
もう一度連絡が来る可能性は考えていた。だが、企業内の承認や資料の整理まで必要になる話を、これほど早く持ち帰ってくるとは思っていなかった。
窓際の席に着くと、その違いはすぐに分かった。前回は報酬や装備を示す資料が端末上へ幾つも並んでいたが、今日は一つの文書しか開かれていない。麗華は内容を読み上げるためではなく、必要な時に根拠を見せるためだけに端末を置いていた。
「前回のお答えを持ってきました」
「答え?」
「わたくし自身が何を賭けるのか、と聞いたでしょう」
麗華は真っ直ぐ直人を見た。用意された言葉を間違えまいとする硬さはあったが、鷹宮の名を盾にする気配はない。
「鷹宮ホールディングスには、《次世代事業実地裁量制度》という内部制度があります。若い一族や将来の幹部候補へ、一定の予算と実際の事業企画を預けるものです。人や金だけでなく、危険と現場判断まで扱えるかを見るための制度ですわ」
「今回の調査が、お前に預けられた企画か」
「ええ。わたくしは未成年ですから、正式な契約や法的責任、安全管理には成人社員が付きます。ですが、調査対象や人員案、現場の優先順位を組み立てたのはわたくしです。成否も、わたくし自身の評価になります」
麗華の指が端末へ触れ、制度上の処分規定を表示した。
「わたくしの判断ミスで失敗したと評価されれば、現場裁量資格を最低一年、停止される可能性があります。その間は新しい企画の責任者になれず、現場で独自の判断もできない。補助と研修へ戻されます」
「一年なら、終わった後にまた挑めばいいんじゃないのか」
直人の確認に、麗華はすぐ答えなかった。膝の上で重ねた手の親指だけが、もう片方の指を僅かに押す。
「一年という長さだけなら、そうでしょうね。ですが、一度そう判断されれば、『やはり子供に現場は早かった』『財閥令嬢の社会勉強だった』という結論が残ります」
最後の言葉を口にする前に、短い間があった。
「鷹宮の名前がなければ何もできない、と」
弱音として同意を求める声ではなかった。そう評価されることを恐れていると明言する代わりに、麗華は何を失うのかを事実として差し出していた。それ自体が、失敗を見せたがらない彼女にとって小さくない譲歩なのだと直人には分かった。
「家から与えられたものを捨てるつもりはありません。それを使わない方が、無責任ですから」
麗華は端末を閉じ、自分の言葉だけで続けた。
「それでも、わたくしが欲しいのは財産ではありません。自分で決める権利です。与えられた力を何に使い、どんな結果を残すかを、自分の判断として認めさせたい。そのために、今回の企画を成功させたいと思っています」
前回の問いへは、それで十分に答えていた。失うものの大きさではない。それを隠さず、自分が何を求めて現場へ出るのかを言葉にしたことを、直人は評価した。
しかし覚悟を示すことと、安全な契約を作ることは別だった。
「事情は分かった。次は、命を預けられる計画か確認する」
「そのための資料も、今日はすべて開示します」
麗華が端末を再び開く。表示された正式名称は、《霧晶坑道・未確認資源区画調査計画》だった。
「《霧晶坑道》は中危険度の資源型ダンジョンです。地下鉱山に近い構造で、内部には青白い魔力霧が漂っています」
「視界への影響は?」
「場所によっては近距離でも輪郭が不鮮明になります。光学機器、電磁探査、通信も不安定になることがある。既存ルート外には、地形も危険度も確定していない区画があります」
「そこで何を探す」
画面へ、青い脈状模様を持つ半透明の結晶が映し出された。
「《蒼脈晶》です。魔力を安定して通す性質が、一般的な魔力結晶より高い。能力者用装備、探査機器、医療機器、魔力伝導部品への利用が見込まれています。既存ルートの外で、高純度の鉱脈が存在する可能性を示す反応が見つかりました」
「可能性、か」
「まだ鉱脈の存在も規模も確定していません。その確認が今回の目的です」
麗華は、坑道内の魔力濃度を示す波形を呼び出した。三十時間から四十時間ほどの間隔で、流れの向きと濃度が大きく変わっている。
「《霧脈反転》と呼んでいます。反転直後の二十分から三十分だけ、高純度《蒼脈晶》が通常の結晶とは異なる反応を示す。その間なら、掘り返さずに鉱脈の位置と規模を推定できます」
「時間を逃したら、鉱石が消えるのか?」
「いいえ。次の反転を待てば、再調査は可能です。ただし入域許可、人員、装置、地形、魔物配置をすべて組み直さなければならない。今回の企画としては事実上の失敗です」
だからこそ、時間と人命が衝突する可能性を直人は前回から問い続けている。
「現場に入るのは?」
「あなたと、わたくしの二人です。未確認ルートは狭く、多人数では移動と退避が難しくなります。外部管制と装備支援は企業側が担当します」
「把握している危険情報を、契約後に追加するつもりは?」
「現在確認できる異常、環境危険、既知の魔物情報はすべて共有します。新情報が判明した場合も、入域前後を問わず即時共有します」
「撤退は誰が決める」
「双方が提案できます。負傷、能力継続困難、経路喪失など、現場で解消できない理由がある場合、一方へ続行を強制しません。生命への明確な危険が確認されれば、企業側の安全管理責任者にも強制撤退権があります」
「救難信号を拾った場合は?」
麗華は答える前に、一度だけ視線を資料へ落とした。霧脈反転の時刻、企画失敗、失う裁量。それらを頭の中で切り離そうとするように、呼吸をゆっくり整える。
「第三者の生命と調査目的、回収物が衝突した場合は、救助を優先します。必要なら調査目的も変更する。その条件を契約へ明記しました」
「契約だから助けるのか?」
問いに、麗華の視線が僅かに揺れた。
「少なくとも、そう明記しておかなければ、現場で迷った時に企画を続ける理由を探してしまうかもしれません」
麗華は完成した答えを装わなかった。
「正しい判断を先に決めておくことが、今のわたくしにできる準備です。実際に同じ選択を迫られた時、迷わないとまでは申しません。ですが、この条件から逃げないことは約束します」
失敗を恐れなくなったわけではない。だからこそ、恐れによって都合よく基準を変えないため、契約という形へ自分を置こうとしている。その考え方には未完成なところがあったが、少なくとも前回より命を預ける材料は揃っていた。
「分かった。同行する」
麗華の肩から、ごく僅かに力が抜けた。喜びを表へ出す代わりに小さく息を吐き、端末を持つ指の緊張を解く。
「ありがとうございます。では、正式な手続きを進めます」
「まだ信用したわけじゃない。現場で条件を守るかは見る」
「望むところです。わたくしも、あなたが資料どおりの人物か確かめますわ」
二人は端末上の条件を確認し、同行合意へ署名した。正式な入域許可は公的ギルドで別に受ける必要があるが、これで瀬名直人と鷹宮麗華による二人攻略は成立した。
直後、直人の端末へ入域予定時刻と調査資料が届く。最初の画面には、青白い霧に覆われた暗い坑道入口が映っていた。
《霧晶坑道》
《未確認資源区画調査》
「次は交渉じゃないな」
「ええ。次は現場です」
端末の画像の奥で、薄い霧が坑道の闇へ沈んでいる。その先に何が待つのかを確かめるのは、もう資料ではなく、二人の役目だった。
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