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第27話 お前自身は、何を賭ける



 学内戦闘適性再評価から数日が過ぎても、校内にはまだ試合の余韻が残っていた。


 廊下を歩けば、等級1が等級4の榊原迅を破ったという囁きが追ってくる。久我玲司を敗北寸前まで追い詰めた、と声を潜める者もいた。以前なら直人の等級表示だけを見ていた生徒たちが、今は足運びや立ち姿まで確かめようとしている。


 評価が変わること自体は悪くない。しかし直人の内側に残っているのは、三勝した手応えより、久我の胸元へ届かなかった最後の数十センチだった。何が足りないかは分かっている。分かっていて越えられなかった感触は、傷が消えた後も身体の奥へ重く沈んでいた。


 放課後、学園端末へ届いた短い呼び出しに従い、直人は図書区画に隣接する共用ラウンジへ向かった。全面ガラスの仕切り越しに廊下を行き交う生徒の姿が見え、離れた席では数人が課題に取り組んでいる。人目はあるが、声を抑えれば会話までは聞かれない。密談にも見世物にもならない場所を選んだらしい。


 窓際の席で待っていた少女は、直人が近づくと静かに立ち上がった。


 鷹宮麗華。直人と同じ十六歳の高校二年生で、別のクラスに在籍する等級3《重圧領域》の能力者。そして、その名を知らない生徒の方が少ない財閥令嬢でもある。


 艶のある長い黒髪が、立ち上がる動きに合わせて背へ流れる。整った顔立ちは和風の美しさを感じさせ、制服は規則から外れたところなど一つもないのに、窮屈さより品の良さを際立たせていた。真っ直ぐ伸びた背筋や、相手を迎えるために揃えられた指先には育ちの良さが表れている。ただし、直人を見つめる目にあるのは温室の穏やかさではない。こちらの答えまで見逃すまいとする、静かで強い意志だった。


「お呼び立てして申し訳ありません。鷹宮麗華です」


「名前は知ってる。瀬名直人だ」


「ええ。あなたについては、わたくしも調べました」


 麗華は着席を勧め、卓上の端末を直人の方へ向けた。表示されているのは、学内模擬戦の結果、公的ギルドへの個人冒険者登録、公開範囲の救助実績だった。能力欄にも、等級1《成長型自己強化能力・仮》としか記されていない。


「相馬さんと如月さんには、相手が避けられない選択を作って勝った。榊原先輩には、能力制御の優先順位を読んで勝利した。久我会長には敗れましたが、気圧の境界を利用して懐まで到達した」


「試合の感想を聞くために呼んだわけじゃないだろ」


「もちろんです。先に、わたくしが何を評価しているか誤解のないようにしたかったのです」


 麗華は一度言葉を切ったが、視線は逸らさなかった。


「あなたの能力出力が欲しいわけではありません。久我会長より強いとも思っていない。わたくしが必要としているのは、未知の場所で危険を先に見つけ、強い相手との戦い方をその場で組み立てられる人です」


 持ち上げて気分をよくさせるための言葉ではなかった。麗華は直人の勝敗を並べたのではなく、何をしてその結果へ至ったかを見ている。少なくとも、等級1という表示だけで判断した者ではない。


「鷹宮総合資源開発が、近く資源型ダンジョンの調査を行います。既存経路の外にある未確認区画も対象です。現場班は少人数で、わたくし自身も参加します。瀬名さんには、その同行をお願いしたいのです」


 端末の表示が切り替わる。提示された報酬は学生冒険者への依頼として明らかに高く、必要装備と消耗品は企業側が負担。調査情報の一部共有に加え、回収成果に応じた追加報酬、専用探査装備の貸与まで含まれていた。


「好条件だな」


「それだけの働きを期待しています」


「だからこそ、先に聞く。調査の本当の目的は何だ。未確認区画で把握している危険は。現場には誰が入り、撤退を決めるのは誰だ?」


 直人が問いを重ねても、麗華の表情は崩れなかった。高純度の魔力資源反応を確かめる調査であること、企業の安全基準と外部管制を置くこと、詳細資料は機密保持を含む手続きの後に開示することを、順序立てて説明する。


 答えは整っていた。だが、すべて企業企画としての答えだった。


「調査中に遭難者を見つけたら?」


「公的ギルドへ通報し、安全規定に従って状況を判断します」


「救助へ向かえば、調査目的を失う状況でもか」


 麗華の唇が、初めてわずかに止まった。


「その場合は、現場と管制で協議を――」


「通信できなければ?」


「……事前に例外条件を定めます」


「誰の判断を基準にする」


 麗華は答えようとした。しかし口にできたのは、企業、安全規定、承認手順という言葉までだった。直人が知りたい部分だけが、そのどこにもない。


「俺が聞きたいのは、鷹宮家が何を出すかじゃない」


 端末に並ぶ好条件を指先で示し、直人は正面から麗華を見る。


「お前自身は、何を賭ける?」


 麗華の眉が、ごく僅かに寄った。


「わたくしは現場へ参加し、自分の能力も使います。鷹宮の情報、資金、装備も提示している。それでは不足ですの?」


「不足しているのは金額じゃない。与えられたものを並べた先で、何を選ぶのかが見えない」


 卓上端末の縁へ置かれた麗華の指先に、少しだけ力が入った。声を荒らげる代わりに、彼女は一度呼吸を整え、直人の言葉を正面から受け止める。


「生まれた家から得たものを使うことが、それほどいけないことですの?」


「悪いなんて言ってない」


「では、あなたはどうなのです?」


 問い返す声は丁寧なまま、刃のように迷いがなかった。


「あなたの戦い方が、すべて一人で生まれたものだとは思えません。誰かに教わったことも、誰かに助けられて生き残ったこともあるはずです。今あなたが自分の力として使う経験の中に、他人から与えられたものは一つもありませんの?」


 直人はすぐには答えなかった。


 剣の握り方を直した手。背中を預けた仲間。倒れた自分へ、まだ終わっていないと叫んだ声。名を口にしなくても、異世界で受け取ったものが自分の中にいくつ残っているか、数え切れるはずもない。


「その通りだ」


 あまりに素直な肯定だったのか、麗華の目が僅かに見開かれた。


「俺も、もらったものの上に立ってる。だから聞いてる。与えられた力を使うのは悪くない。何に使うかを決めるのは、受け取った本人だ」


 麗華が「鷹宮だから」とだけ見られることを嫌いながら、今回は鷹宮の名が用意できる条件を並べれば直人を動かせると、どこかで考えていた。その矛盾を突かれたのだと理解した時、端末を押さえていた指からゆっくり力が抜けた。


「今回、お前が何を選び、その結果をどこまで引き受けるのか。それが分からないままじゃ、一緒には行けない」


「条件が悪いから、ではなく?」


「条件はいい。金も装備も、生きて帰るためには必要だ。だが目的の詳細も、危険情報も、撤退権限も足りない。利益と人命がぶつかった時の基準も見えない。今の条件じゃ、命を預ける相手か判断できない」


 拒絶は明確だった。


 麗華は視線を落とし、表示された報酬欄を閉じた。悔しさに噛みしめた唇はすぐに戻ったが、資料を整理する手は普段より僅かに遅い。高額な条件を断られたことではなく、自分について問われた時に、自分の言葉で答えられなかったことが彼女を黙らせていた。


 やがて麗華は端末を伏せ、もう一度だけ直人を見た。


「では――その問いに答えられれば、もう一度話を聞いてくださいますの?」


「内容次第だ」


「十分ですわ」


 立ち上がった麗華の姿勢は、来た時と変わらず真っ直ぐだった。ただ、その目には用意された条件を提示する者ではなく、不足している答えを自分で探そうとする意志が宿っている。


 彼女が去った後、直人は閉じられた端末のあった場所をしばらく見ていた。一方的に断られて感情をぶつけることも、自分の論理へ逃げ込むこともせず、反論した上で次の機会を取りにきた。単なる財閥令嬢ではない。そう評価は改めたが、命を預けられるかはまだ別の話だった。


 廊下を歩く麗華の胸には、直人の問いが残り続けていた。


 鷹宮家が何を出せるかではない。自分が何を失う可能性を受け入れ、どの判断の責任を負うのか。


 麗華は端末を開き、これまで外部へ示す必要はないと考えていた社内制度と調査計画の資料を呼び出す。次は条件の豪華さではなく、危険も権限も、自分自身が負うものも隠さずに話す。そのために必要な項目を、一つずつ並べ始めた。

この小説をお読みいただきありがとうございます。

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完結作品にはなりますが、応援が多ければ第二章突入も考えています!

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