第24話 見えない敵
第一試合の終了から二十分後、瀬名直人は再び第一模擬戦場へ立っていた。
火炎による軽い熱傷は冷却処置を受け、肩と左腕の動きにも問題はない。だが、相馬颯真との戦いで消耗した魔力までは完全には戻っていなかった。《魔力循環》を使えば動けるものの、長期戦になれば不利になる。次の相手が単純な出力型ではない以上、その点は無視できなかった。
観客席では、ルーカスが相馬戦の再現を身振り手振りつきで透子へ語っていた。
「最後の滑り込み! あれだ。俺ならもう少し派手に決めるが、悪くなかった」
「ルーカス、さっきから自分が勝ったみたいに話してるよ」
「仲間の勝利は俺の勝利でもある」
「じゃあ負けたら?」
「それは本人の反省材料だ」
「便利な仲間意識だね」
透子の笑い声に紗良も小さく笑ったが、その目は直人の腕や足の動きを追っている。真壁は次の対戦相手の資料を読み込み、零士だけが「なおとっち、今度は何秒で変なことするんやろな」と楽しそうに観客席へ座っていた。
やがて反対側の入場口から、一人の少女が姿を現した。
如月玲奈。等級3《幻光》。
艶のある黒髪を肩甲骨の辺りまで伸ばし、前髪の一部だけを銀色の細いピンで留めている。長身ではないが姿勢がよく、切れ長の目と薄い唇が落ち着いた印象を作っていた。白を基調とした戦闘服には余計な装飾がなく、入場してからも観客席へ目を向けず、直人だけを静かに観察している。
「相馬君との試合、見ていたわ」
「参考になったか?」
「ええ。あなたは相手の身体をよく見る。視線、重心、呼吸、癖。だから、私とは相性が悪いと思う」
玲奈はそう言って、わずかに笑った。
「見るものが全部、本物ならね」
開始位置へ戻る直前、直人は彼女の靴底と呼吸の間隔、それから両手の位置だけを確認した。視覚を乱されるなら、最初から視覚だけに依存しなければいい。そう考える一方で、相手も当然そこまで読んでいるはずだと警戒を上げる。
『模擬戦、開始』
合図と同時に、玲奈の姿が三人へ増えた。
分身ではない。光の屈折と視覚情報への干渉を組み合わせ、自分の位置を複数あるように見せているのだろう。三人の玲奈が別々の方向へ走り、床を蹴る音まで三方向から聞こえたことで、直人の眉がわずかに動いた。
音まで偽装している。
「目を閉じれば勝てると思った?」
左右から同時に声が響き、その直後、頬へ衝撃が入った。
直人は反射的に腕を振ったが、拳は空を切る。背後へ回った玲奈の蹴りが脇腹へ入り、二歩よろめいたところへ今度は正面から掌底が飛んでくる。攻撃自体は身体強化型ほど重くない。それでも、見えない位置から連続して受ければ姿勢を崩される。
「なるほど」
直人は距離を取りながら、模擬短剣を構え直した。
「音まで作れるのか」
「そこまで教えると思う?」
「いや。確認しただけだ」
玲奈が四人に増える。直人は今度は追わず、戦場中央で足を止めた。
異世界にも幻覚を使う魔物や魔術師はいた。最も危険なのは、幻を見せられることそのものではない。幻の中から本物を探そうとして、敵が用意した判断基準へ自分から乗ることだった。
本物を見つける必要はない。本物だけが避けなければならない状況を作ればいい。
直人は床へ模擬短剣を投げた。刃が特殊床へ当たり、乾いた音を立てて跳ねる。続けて足元の訓練用マーカーを蹴り上げ、周囲へ散らした。
「何を――」
四人の玲奈が一斉に距離を取る。
直人はその動きを見ず、床へ落ちるマーカーの位置だけを覚えた。軽い樹脂片は幻像をすり抜けても動かない。しかし、本物の身体へ当たれば軌道が変わる。
三つ目のマーカーが、何もない空間で不自然に弾けた。
直人は即座に踏み込む。
「そこだ」
短剣を拾い上げながら横薙ぎに振るうと、空間が歪み、玲奈の実体が一瞬だけ現れた。だが彼女も予測していたらしく、上体を反らして刃を避け、そのまま直人の手首を掴む。
「小道具で見つけるところまでは想定内」
「そうか」
「え?」
直人は掴まれた右手を引かなかった。むしろ一歩踏み込み、玲奈との距離を完全に潰す。
幻覚系の能力は距離を取るほど有利になる。ならば、触れている間だけは位置を誤認しようがない。玲奈が腕を離そうとした瞬間、直人は手首を返して逆に彼女の袖を掴んだ。
「離して!」
玲奈の姿が再び三重にぶれた。
だが、直人は目を閉じた。
「見えなくても、今は関係ない」
足裏から伝わる重心、掴んだ布の張り、肩へ触れる腕の向き。それだけで十分だった。玲奈が膝蹴りを放つ気配を感じ、腰を引いて受け流し、そのまま彼女の身体を崩す。
しかし床へ倒れる直前、玲奈は自分から直人の胸元へ飛び込んだ。
「捕まったのは、あなたも同じよ」
至近距離で強い光が弾けた。
視界が真っ白に染まり、平衡感覚まで一瞬狂う。玲奈は拘束を抜け、直人の背後へ回った。首筋へ模擬短剣が迫り、観客席では紗良が思わず息を呑む。
直人は見えないまま、身体を沈めた。
刃が髪をかすめ、そのまま右脚を後方へ払うと玲奈の足首へ当たった。相手が崩れる気配を感じ、直人は肩から身体をぶつける。二人が床へ倒れ込み、直人は先に起き上がることを諦め、玲奈の右腕を両脚で挟んだ。
「っ……!」
「今度は光っても離さない」
視界はまだ白く霞んでいる。だが関節を極めるのに、顔を見る必要はなかった。
玲奈は左手で床を叩いた。
「降参!」
『勝者、瀬名直人』
終了の音声が響き、直人はすぐ拘束を解いた。
しばらくして視界が戻ると、玲奈は床へ座ったまま自分の手首をさすり、悔しそうにこちらを見上げていた。
「最後、見えてなかったでしょう」
「ああ。ほとんど何も」
「それでよく動けるわね」
「見えなくなること自体は、初めてじゃない」
「……失踪中?」
直人は肯定も否定もせず、玲奈へ手を差し出した。彼女も追及はせず、その手を取って立ち上がる。
「一つだけ訂正するわ。最初に、私とは相性が悪いと言ったけど」
「違ったか?」
「悪いのは私の方だったみたい」
「今回はな。次も同じとは限らない」
玲奈は少し驚いた後、今度は素直に笑った。
「そういうところ、相馬君が気に入った理由が分かった気がする」
◇
観客席へ戻った直人を、透子が両手を上げて迎えた。
「二連勝! しかも途中、完全に目閉じてたよね?」
「見えなかったからな」
「普通は見えなかったら止まるんだよ」
ルーカスは自分の目を両手で覆いながら、「俺も次の実習からこれで戦えば強く見えるか?」と言い出し、真壁から即座に「ただの危険行為だ」と切り捨てられた。
紗良だけは笑う前に直人の瞳孔を確認し、問題がないと分かってからようやく肩の力を抜いた。
「次もあるんだよね」
「ああ」
「今日は何戦するつもりなの……」
答える代わりに、直人の端末が振動した。
《戦闘適性再評価・第三試合》
《対戦者――榊原迅》
《能力等級4》
《能力――《振動制御》》
等級3を二人倒したことで、試験は終わらなかった。
むしろ、ここからが本当の再評価なのだと告げるように、次の対戦相手には初めて等級4の文字が表示されていた。
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